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「やめんかバカタレ!!」


 かの妖精の尻尾には、ガチの巨人がいたようだ。
 見上げないと全貌が窺えないほどの大きなそれは、その巨体から怒号を響かせて現在進行形だった乱闘をぴたりと止めてしまった。まさに鶴の一声。ただの喧嘩に魔法まで使いそうになっていたので、これでギルドが崩れ去ることは免れたであろう。残念ながら酷い有様なのは変わらないが。むしろ手遅れ感すらある。
 荒れ放題の好き放題に暴れた結果、机や椅子は真っ二つになっている(どうしたらそんなにも簡単に破壊できるのか)し、ボコボコにされた喧嘩の敗者は折り重なるようにして倒れている。絵面がもはや事件。どこぞの漫画の世界だよ、と思ったところで特大のブーメランであることに気がついて頭を抱えた。ここがそうじゃんか……。

 原作を僅かしか知らない身からするとすでに不安しかないので、別の仕事を探したくなったのは言うまでもない。危機を回避したいという当然の本能である。
 しかし、他に行く当てなどなかった。その上、元々意志が強いとも言えない私は拒否して引き返す選択もできず……。ただただ流されるままに出入り口で棒立ちしていたのはお察しだ。


──魔導士ギルド“妖精の尻尾”。


 お騒がせギルドと名高いが、その予想を遥かに超える変人の集まりなのかもしれなかった。


♦︎


 ギルド内の騒ぎを鎮めた謎の巨人、もとい妖精の尻尾のマスターによるありがたいお話を受けて彼らの心は一つになったようだった。
 なお、私の場合は一つになるどころかそのほとんどを聞き流してしまっていた。びっくりするほど何も心に残っていない。だが、決してわざとではない。目の回るような展開の数々に脳が勝手に現実逃避をしたらしいのだ。

 今後に関わる重要な話だったらどうしてくれよう。もうついていけそうもない。何せ、ここは漫画やアニメの世界なのだ。今の自分にとってそれが現実だろうと、前の世界との齟齬に辟易するのはなんら不思議ではない。
 要は、疲れている。そう、私は、疲れて、いる……のだ。

 はあ、と盛大にため息をついて目の前の机に突っ伏す。先程の乱闘で奇跡的に無事だった内の一席だ。腕の上に額を乗せて目を瞑ると、残った聴覚がより一層働いて辺りの喧騒を次々と拾っていく。昼間から酒を煽り、世間話に花を咲かせる。どんちゃん騒ぎ、そんな言葉がよく似合うと思った。
 前の世界ではあまり見ない光景だ。そもそも街並みや建物の造りからして違う。実際に行ったことはないが、きっと外国のそれと雰囲気が似ているのだろう。


「……どうしよう……」


 これから先の身の振り方を憂い、思わず口の中で小さく呟いた。
 この場にいる全員……かはわからないが、それぞれが魔導士だと思うとなんとも言えない心地にさせられる。だって、そうだろう。簡単に言えば、魔法使いが大勢いるわけだから。超能力者と言い換えてもいい。絶滅危惧種並みに、いや、正直それ以上だ。そう、例えば宇宙人並みに存在が確かではない人種ということ。
 前の世界ならば、あっという間に話題を掻っ攫えること間違いない。なんなら研究材料として隔離待ったなし、だ。うーん、相当やばい状況下。

 今でこそ生活や身体の一部になっている魔法という概念だが、けれどもやはり特別なものという認識は覆らない。自分にとってそれは、元々あるはずのなかったものだから当然だ。『ない』のが正常、『ある』のは異常。
 もちろん、だからと言って消えてほしいというわけではないのだが……。あくまで魔法が当たり前に、そこかしこに散りばめられているのが未だに落ち着かないだけで。

 僅かに身を起こし、ほとんど無意識に腰に触れた。キーケース越しに、ちゃりん、と聞き慣れた軽やかな金属の音がして、なんだかほっとする。一人じゃない、とそう言われているような気になった。そうして、心の中で苦笑した。“魔法”という存在は当たり前ではないくせに、“星霊魔法彼女ら”の存在は当たり前になってしまっているらしい。
 これではこの世界の常識に染まってしまうのも時間の問題かもしれないなあ。感嘆のような、一種の嘆きのような。一言では言い表せない微妙な感情が渦巻いたその時、不意に影が差した。

 からん、と涼しげな氷の音がして、緑色の液体が入ったグラスが目の前に置かれる。トップに乗せられた真っ白のほんのり溶けたアイスクリームと、彩りの良い真っ赤なチェリーが問答無用に食欲をそそった。
 一瞬呆気にとられて、それから窺うようにそちらを見やると、なんとびっくり。雑誌でよく見かけていた、あのモデルがいて。


「初めまして、私はミラジェーンよ。よろしくね」
「え、あ、はい……存じてます。私はルーシィと申します。よろしくお願い致します……」
「ふふ、そんなに固くならないで。気軽にミラって呼んでね」


 いや、固くもなるだろう。長椅子の空いていたスペースに座ってきた美人に対して、どきりと身も心も硬直する。なんだろうこの、意図せず街中で芸能人と鉢合わせたみたいな感覚は。というか彼女、モデルなのだから芸能人そのものではないか。うわ、まずい。気づかなければよかった。変な汗が出てきそう、誰か助けてくれ……。
 間を持たせる案も浮かばなければ、まさかこの状況で逃げる選択肢もないので、そっと視線をドリンクに向けて「あの、これは……?」と問いかけた。若干声が震えている。


「ウェルカムドリンクみたいなものよ。お近づきの印にって。もちろんお代はとらないから、安心してね」
「ありがとうございます……」


 予想通りというか、そりゃそうだよなという答えが返ってきて笑顔が引きつりそうになる。我ながら苦し紛れの質問すぎて、むしろ今後の首を絞めた気がした。
 手入れの行き届いた眩しい美貌から目を逸らし、いただいたドリンクに恐る恐る口をつける。ストローからしゅわしゅわした液体が流れ出て、喉の辺りを爽やかに刺激した。舌に残る甘味も疲れた体には薬のようによく効く。なんだかクセになりそうだ。

 ほっと無意識に息を吐いて、くすりと小さく笑われたのは、彼女にはこの動揺が筒抜けだったということだろうか。居た堪れなさを目の前のアイスをスプーンで掬うことで誤魔化し、ひたすらに糖分を摂って時間を潰した。会話だけをこなそうとするから余計に上手くいかないのだ。飲み食いしながらであれば、例え会話を振られたとしても無理やり考える時間を作り出せるはず……。
 そう思っていたのに、何故か彼女はにこにこと微笑むばかりで。結局、それを平らげるまで特に何もせずにそっとそばで見守っているだけだった。

 そうして、私は空になったグラスを眺め、ようやく自分が喉が乾くほどの緊張に苛まれていたのだと知る。同時に、とんでもなく気遣われていたことにも気づき、子供のように夢中になっていた事実に顔から火が出る思いをしたのであった。


♦︎


「ご、ごちそうさまです……(やばいやばい、“恥ずか死ぬ”ってこういうことかっ……!!)」
「はあい、どういたしまして。なんだか“妹”に似ていたから微笑ましくて……って、あら? 聞こえてないみたいね」
「おい、やべえって……! 見ろよ、あそこ」
「絶世の美女が二人?? 花畑が見えるんだが、ここが天国か……」
「ウチの看板娘と張り合う美人とか、よく見つけてきたなナツのやつ」
「ほんとな。つか、あのナツが“連れて来れた”っていうのが謎」
「ははっ、違いねえ」
踏み込んだ喧騒