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「──ところで、ルーシィはうちに入ってくれるってことでいいのかしら?」


 ドリンクや羞恥の諸々をなんとか飲み下し、ようやくほんの少し肩の力が抜けた頃だった。
 それまでこちらに合わせて問わなかったのであろう本題を投げかけられて、どきりと心臓が跳ねる。後ろめたいことは何もないはずなのに、どこか核心を突かれた心地だった。彼女の声音には、呆れたり、急かしたりするような含みは塵もない。ただ世間話の一環で尋ねた疑問かつ、ギルドの関係者なら当然の質問だっただろう。


「あの、すみません……」


 それでもやっぱり、私はその優しさに応えるだけの勇気を持ち合わせていない。

──ヒロインの存在が頭の片隅を過ぎる。


「私、その……ギルドとか初めてなんです。今まで入ろうと思ったこともなくて。今日ここにお邪魔して、なんだか圧倒されてしまったというか……」


 そっと逃げるように目を伏せて、胸の内からひとつづつ言葉を拾い上げていく。一度は流れに身を任せて、原作に巻き込まれても構わないと思っていたのは本当だ。桜髪の青年が言うように、青猫が誘ってくれたように、そこに居ても良いような気がしていた。
 けれども、いざ目の前にその選択肢を差し出されると身が竦む思いがする。それを選ぶ権利が果たして私にあるのだろうか、と。


「なので、その、心の準備と言いますか……。と、とにかく、もう一度考える時間をいただけないでしょうか……?」


 ああ、なんだか下手くそな面接みたいだ。
 いっそ笑えるほどアドリブの効かない自分に呆れながら頭を抱える。支離滅裂なのはわかっているが、用意してきた台詞ではないので許してほしい。頭痛のする思いで軽く額をさすっていると余程深刻に見えたのか、彼女が宥めるように背を撫でてくれた。「もちろん、いいわよ」と、こちらを気遣う雰囲気が少しおろおろとしている。


「なんだか急かしてしまったみたいでごめんなさいね」
「いえ、私の問題ですので……」
「本当にゆっくりでいいのよ。初めてならわからないことなんてたくさんあるでしょうし、ギルドは世界中にいくつもあるもの。じっくり悩んで、その中から自分に合った場所を見つけるのが一番良いと思う」


 でも、と前置いた彼女がこちらを覗き込んでふわりと微笑んだ。雪のような銀色が揺れて微かに煌めく。


「でも、できればうちに入ってくれると嬉しいわ。せっかくこうして出会えたんだもの」


 はっと息を呑む。ゆ、油断していた。唐突にキラキラしたオーラに当てられ、否応なしに体が一瞬硬直してしまう。俯いていたことで視界が髪に僅かに遮られていたのは不幸中の幸いだった。いや、これを不幸と呼ぶにはあまりに失礼か。
 彼女に非は一切ないのだが、モデルの片鱗を見せつけられた気がして、どっと疲労が蓄積される。紙面で眺めるのと、実際に会うのとでは緊張度が釣り合うはずもなかった。

 落ち着け、と心の中で念じて、ゆっくりと顔を上げる。
 彼女の言っていることはきっと正しい。嘘もなく、謙虚で、それでいて手を伸ばせば迷いもせずに握り返してくれるような、そんな勇気だって持っている。ひやかしと思われても仕方のない自分の行動に、こんなにも優しく返してくれた。どこかの二人組と同じ、良い人。もっと言えば、お人好しだ。


「……ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」


 けれど、どうしても“根本”が違ってしまう。魔導士にとって生活に影響するギルドという存在は、確かに大事なものなのだろう。“私”は、初めての世界に戸惑っているように見えただろう。それもこれも合っている。合っている、が完璧な答えでもない。
 柔らかに笑うことを意識しながら、わざと当たり障りのない言葉を選んだ。胸の奥底で澱む一種の呪いのようなこれは、例え家族にだって相談できる内容ではないのだから。


「ええ、良い返事を待ってるわ」


 何の疑いもなく、女神のように整った顔を緩ませた彼女に、小さな嘘をついた事実が胸の奥に確かな痛みをもたらした。


♦︎


「(……まあ、“圧倒された”というか、あまりの惨状に普通に引いたのも理由の内なんだけど)」
「探しに行ってくれよ!! 心配なんだ!!」
「えっ、今度は何事……!??」
「あら、ロメオくん?」
それは呪いのように