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 見て見ぬふりができずに、ギルドを飛び出してから数十分ほどが経った頃。町の片隅で馬車を捕まえていたナツとハッピーになんとか合流することができた。
 当然、彼らはこちらが追ってくるなんて予想もしていなかったらしく「なんでおまえが……」と驚かれてしまったが、上手く説明する言葉が見つからなくて。気になってしまったのだから仕方がないだろう。その場は適当に濁し、探しに行くなら早くしようと二人を急かして馬車に押し込む。

 馭者は夜間の移動を訝しく思っていたようだが、それ以上は特に探らずに馬を走らせてくれた。
 カタンコトン、と小気味良い音をさせて客室が揺れる。途端、目の前の桜色がスライムのように溶けてぎょっとした。力なく座席に横たわる彼に具合が悪いのかと慌てて身を乗り出したところで、ふと初めて会った時のことを思い出す。そういえば、乗り物に酔いやすいのだっけ……?


「う、うぷ……」
「ナツは乗り物全般ダメだよね。なんでだろうね」


 てしてし。言いながらハッピーが桜色の頭を軽く叩く。おい、それ追い打ちだぞ。やめて差し上げろ。仮にも相棒(?)だろうに。
 慣れているのか、平然としたまま地味な嫌がらせを繰り返す青い塊をひょいと取り上げる。わ、と小さな声を上げたものの、彼は特に抵抗もせず腕に収まった。抱きしめながら、その頭をそおっと撫ぜる。

 不思議な猫だった。手触りや重さなどは自分の知る猫と相違ないのに、骨格や出し入れ自由の翼、そして人と変わらぬ言語能力は本来あるはずのない明確な違いだ。双方可愛いのは確かだけれど、この細腕のどこに私を掴んで飛べるだけの力があったのかは甚だ疑問である。
 ぼうっとハッピーの肉球をいじりながら、対面で魂を抜かれたような顔をしている青年を見つめた。形状や大きさは問わず、尽く乗り物と相性が悪いらしい。シンプルに可哀想。彼が酔っている姿を見るのはこれで何度めだったか。初めて会った列車内では、まさか相手を主人公だとは思わなかったし、今もこうして交流することになるとは考えもしなかった。


「……ねえ、ルーシィ」
「ぅえ?」


 唐突に呼ばれた自分の名に、はっと意識が現実に戻る。注意が散漫としていたせいで変な声が出てしまったが、眼下の青い猫は気にした様子もなくこちらを見上げていた。
 天を仰ぐような、まあるい瞳と逆さまに目が合う。こちらに背を預けたまま、ハッピーは静かに口を開いた。紡がれた声音はささやかで、それから少しだけ不服そうだった。


「ミラとの話、オイラにも聞こえちゃって。ギルド……入ってくれないの?」
「え、あー……と、えっと、うん、考え中だよ」
「考え中ってことは入ってくれる可能性もあるってこと? みんな良い人だし、面白いし、賑やかだし、きっとルーシィもすぐに仲良くなれると思うんだけどなぁ……」


 腿の上で投げ出された青い足が、ぱたぱたと遊ぶように揺れる。おまけに耳と尾がぺたりと伏せていて、まるで欲しいものが手に入らないと駄々を捏ねる子供のようだった。
 寂しげに俯いたハッピーと視線が途切れる。自然と訪れた沈黙に、気づかれぬようそっと息を整えた。僅かに跳ねた心臓は、ミラさんとの会話を聞かれていたことに対するもの。きゅっと締め付けられた心臓は、こんな私をも引き留めてくれていることに対してだった。

 今すぐにこの場で彼の求める返事を渡すことはできないけれど、代わりに「ありがとう」と青い毛並みをゆっくりゆっくり撫ぜつける。どこか恍惚とした様子でくたりと力を抜いたハッピーはむにゃむにゃと目を擦り、眠る態勢に入ってしまった。もう夜も遅い。睡魔に襲われても無理はないだろう。ナツもほぼ意識を失っているようだし、自分も少し寝ておこうと座面に転がる。腕の中からはすでに微かな寝息が聞こえてきていた。
 まだ知らぬ依頼内容に、行方不明のロメオくんの父親。それぞれに想いを馳せながら、手招くような静かな微睡に身を任せた。


──どうか上手くいきますように。


 そう星々に願いながら。


♦︎


「す、すんません……これ以上は馬車じゃ進めませんわ」
「っ、止まった!!」
「ルーシィ起きて、着いたよ〜」
「んぅ……? な、なんか異様に寒くない??」
ハコベ山を目指して