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二度目の生を受けて待っていたのは、ある意味大変な暮らしだった。家はもはや屋敷というべき広さで、部屋の数も半端なく多い上、廊下はやたらと長い。それはもう、巨大な迷路と言い換えても良いくらいには豪邸であった。家具や小物、部屋の隅々、果ては庭まで余すところなく豪華で洗練されている。
極め付きは使用人の存在だ。凡人にはあり得ない、紛うことなきお金持ちの家庭のお嬢様の生活である。
──ルーシィ・ハートフィリア。
それが、この世界での私という個を指す言葉だった。苗字の次に名前の順番ではないため、どうやらここは日本とは別の場所らしい。が、しかし妙なことに言語は普通に通じていた。
そして、本を開けば何とびっくり。中身は英語だらけだった。最初は選び取ったそれが偶々英語の内容であったのだと思い、膨大な図書室の本を片っ端から確認してみたのだが……。果たして、日本語は一つとして見つけられなかった。家族や使用人達の目には奇妙な子供に映ったことだろう。この世界での母親こそ微笑ましげに見守ってくれたが、使用人達はなんだなんだと皆揃って首を傾げていた。無理もない。その子供は、まだ読めるはずもない文字を必死に辿っていたのだから。
その実、文字は読めなかった。前の世界で習った英語はそこまで得意と言えるものではなく、一つ一つの単語の意味から内容を薄っすらと予想できれば良い方で。そんなあまりにも頼りない知識では、理解できるものなど無いに等しい。ただ、ありがたいことに救いはあった。子供の学習能力だ。これが大変恐ろしいもので、日を重ねるごとに自然と読めるようになっていたのだ。言葉を話せない赤子が、年を経て喋ることを覚えるのと同じような現象なのだろう。子供ってすごい。
そのように二度目の人生に戸惑いながらも、悩んでも仕方がないと割り切り、流されるままに生活してきたある日のことだった。体が弱く病気がちな母に呼ばれ、私は彼女の部屋を訪れる。まさか、そこでとんでもないものを目撃してしまうとは、夢にも思っていなかったのだ。
「おい、レイラ。どこから呼び出してんだ」
「花瓶の水です……、ごほっ」
「ちっ」
「すみません。手の届く範囲にそれくらいしかなくて……」
「もういいから、じっとしてろ」
人魚がいた。いや、決して冗談なんかではなくて。ましてや、人魚のように美しいだとかそういう比喩なんてものでもなくて。
扉を開け、母と親しげに話すその人(魚?)を真っ先に認めた私は、ドアノブに手を置いたままの体勢でピシリとその場に硬直した。一秒、二秒、三秒……たっぷり五秒くらい凝視してから現実逃避をするように一度目を瞑る。いやいやいや、あり得ないだろう。そんなファンタジーな生き物がいるはずがないし、そもそも人魚って浮いているものなのか……?
慣れない生活からの疲れが見せた幻覚であろうことを願いながら、そっと開いた瞼の先。しかし、変わらず彼女はそこにいた。母を見つめる視線が、不意にこちらを向く。見え隠れしていたはずの優しい色は一気に鳴りを潜め、その鮮やかな青は不機嫌に私を睨み据えた。
「おい、誰だこいつ?」
「前に伝えたでしょう? 私の可愛い娘のルーシィです」
「こいつが……?」
「ええ。……仲良くしてあげてくださいね、“アクエリアス”」
そう呼ばれた彼女は、どういう原理かふよふよと浮いた状態で未だ固まっている私に近づき、こちらを見下ろしてきた。眉を顰め好意的とは言えない表情だったが、どこか探るような、観察するような双眸には興味が僅かに混ざっている。
いや、というかちょっと待て。今なんて言った?
「(“アクエリアス”、だって……?)」
聞き覚えのある名称がじわりと脳内に浸透していく。同時に、冷や水を浴びせられたような不吉な予感が背筋を駆け抜けた。
そういえば、名前だけではなく、この人の容姿にもひどく見覚えがあった。真っ青な海をそのまま垂らしたような長く艶やかな髪に、美しい顔立ちと女性なら誰もが憧れる完璧なスタイル。加えて、腰から続く魚の尾びれ。本来なら脚があるはずのその場所は、昔見たお伽話の中の人魚姫のそれと酷似していた。
──こ、この人はかの有名な『フェアリーテイル』の星霊様では……?
見れば見るほどに想像しているそれと、目の前の人物とが合致していく。あり得ない、と声に出そうになったのをすんでのところで堪えた。言ってはならない、とそれだけは直感が囁いていたから。心臓の鼓動が嫌に速くなる。だって、二次元のキャラクターが実在するなんて、そんな馬鹿な話は疑わしいにもほどがあるだろう。
「(まさか、この世界は……)」
異世界……?
まずい。現状の理解が全く追いつかない。口元を引きつらせ、静かに冷や汗を流す私を他所に、目の前の彼女は変わらない表情で見下ろし続けていた。
つむぎ星