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 静止する暇もなく飛び出して行ったタウロスと、その勢いに押され気味のバルカンを遠目から眺める。
 馭者には肩を貸し、今度こそ馬車まで避難できたので彼は現在客室で休んでおり、事態が収束するまでは大人しくしているそうだ。普通に過ごしていれば感じることのなかった死の感覚に、余程参ってしまったらしい。そりゃそうだわ。私だって怖い。

 ハッピーはナツを探しに行ったので近くにはいない。一人で心細く思いながらも、ふらふらとなんとか雪を踏み締めて馬車から距離をとっていく。
 本当は馭者と共に客室でガクブルと震えていたかったのだけれど、星霊魔導士の端くれともあろう者がまさか星霊だけに闘わせて自分は安全なところで隠れているなんてできなかった。私が呼び出して、私の代わりに闘ってもらっているのだ。戦闘に参加することは難しいとしても、せめてそばで見守っていたいと思う。

 また、それとは別にバルカンは何故か女を狙っているようなので、馬車の近くにいると馭者も馬も先程と同じように巻き込んでしまう恐れがあるから、どちらにせよ隠れてはいられなかった。
 激しい攻防から一定の距離を保ちつつ、それを中心としてじりじりと円を描くようにナツが突っ込んだと思われる積雪を目指す。ハッピーが先に向かったけれど、自分でも早く彼の無事を確かめたかった。

 時々感じる肌を舐めるような視線が心底気持ち悪い。自意識過剰だろうか。そうだといいな。これが気のせいだったら幸せなことだ。
 雑念を振り払うように、コートの胸元をきゅっと掴んで手繰り寄せる。ついでにフードも深く被った。どうだ、これで観るところなんてないだろう。体型を隠す厚手の服に、顔を隠してしまえばもうほとんど性別不明のはず。面白みをなくしてさっさと巣に帰ればいいと思う。いや、帰ってくれ頼む。あと、マカオさんを返してほしい。


「オマエしつこいっ、ウホ!」
「こちらの台詞だ、このエロ猿! ルーシィさんをアンタにやるつもりはMo頭ないですぞ。それと女ではなく、乳と呼んでもらいたい!」
「オマエもエロいじゃねーか!!」
「ん……?」


 なんだろう、一瞬やけに人間らしい口調がバルカンから聞こえたような。ナツの方に気を取られていて、タウロス達の会話までは意識していなかったので聞き間違いかもしれない。まあ、タウロスが負けていないのなら、なんだって構わないか。
 そうして、あまり疑問に思うことなく、視線をまた奥へと戻した時だった。不意に辺りが夕焼けのような色に染まって、ぶわりと熱風が駆け巡る。覚えのある熱に、はっとした。唸る炎の尾を辿って上空を仰ぎ、目を見張る。ハッピーによってナツが──探し求めていた彼が宙に浮いていたのだ。


「ナツ……!」


 反射的に彼の名を呼び、くたりと安堵する。よかった、無事だった。生きていた。生きていてくれた。嫌なものを想像して気を張っていた体から一気に力が抜けてしまった。ふう、と今までの不安や焦燥を吐き出すように大きな息を吐く。離れていた時間はそれほど長くはなかったのに、もう随分と会っていない気さえした。
 しかし、ちらりとこちらを見た彼と目が合ったと思った直後、吐き出したはずの息を今度はひゅっと呑むことになる。


「なんか怪物増えてるじゃねーか!!」
「Moふっ……!」
「た、タウロスーー……っ!?」


 空からの右ストレートという奇襲によって、タウロスの体がいとも簡単に吹っ飛んだ。あんまりな仕打ちに思わず悲鳴を上げる。そんなことある??


「ちょ、ナツ!? やめて、その人は敵じゃないからぁ……っ!」
「はあ? じゃあなんなんだよ」
「星霊! 味方です!!」


 目が飛び出る勢いで驚いて、石のように固まっていた体を慌てて動かす。
 十数メートルの距離をもどかしく思いながらも駆け寄ると、地に伏したタウロスがこちらを一瞥しゆっくりと瞼を閉じた。やんわりと口元が形を作る。


「ルーシィさん、Moダメっぽいですな…………」
「そんな……タウロス、ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて、」


 傍らに膝をつき、少し腫れて赤くなってしまった頬を労わるようにそっと指先で撫ぜる。途端に、びくりと肩を跳ねさせた彼がカッと目を見開いた。「ルーシィさん……?」表情を窺うみたいに凝視してくるので、ふわりとなるべく柔らかなものを心がけて微笑む。


「頑張ってくれてありがとう、タウロス。あとは大丈夫だから、戻ってゆっくり休んでいて」
「ピョ」
「ぴよ???」


 何やらひよこのような謎の奇声を上げたタウロスが光と共に消えていく。その際、何故か顔を赤らめ、いやに良い笑顔で「我が星霊生に一生の悔いなし」なんて呟きながら戻って行くものだから、なんだかめちゃくちゃ不謹慎だった。
 し、死なないよな。星霊界に帰っただけだよな。心配になるから変なこと言わないでほしい。


「今の牛、ルーシィの仲間だったのか? 紛らわしいな……」
「そんなこと言われても……」


 一部始終を見て味方だったのだと理解したナツが、なんとも言えない罰の悪そうな顔をしていた。返答に窮していると、地上に降りたハッピーが目を丸くして私達を交互に見やる。


「え、二人とも今のシーンスルーするの?」
「シーン?」
「スルー?」
「あ、いや、いいです。今までも何回か思ったけど、ルーシィそれ素なんだね。ナツがそういう系に疎いのは知ってたけどさ」


 察しましたと言わんばかりの仏のような様相に首を傾げる。けれども、意味深な発言をしたハッピー自身はそれ以上語るつもりはないらしく、ひらひらと手を振るい躱されてしまった。まあ、いいか。多少引っかかるものの、絶対知りたいというほどでもない。それよりも、今は目の前のバルカンをなんとかする方が先決だろう。
 呼び出しておいてこんな顛末だとタウロスに申し訳ないので、この敵を何としてでも倒したい。他に相性の良さそうな星霊はいただろうか。アクエリアスは水がないから呼べない。雪なら大量にあるのだけれど。

 思考を巡らせながら立ち上がった時、ざっと地を踏み鳴らしたナツが正面を遮った。こちらからだと背中しか見えず、その表情はわからない。ちらり、とタウロスがいた辺りに一瞬だけ視線をやった気がした。


「……牛を殴ったのはわりぃ。けど、それでわかった。やっぱり、おまえはいい奴だ」


 ゆらゆらと風に煽られ、鱗柄のマフラーが揺れ動く。数秒おいて顔だけ振り返ったナツは口角を上げ、にっと快活に笑った。「ハッピー、ルーシィを頼む」「あい!」言うや否や、ぐんと体が引っ張られて宙に浮く。覚えのある浮遊感にひゅっと内臓が縮むような心地がした。
 見る見る内に離れてゆく地面に目を白黒させていると、それを指示した本人はすでにバルカンと向き合っていた。


「ムキー! どいつもこいつもオデのジャマする!」
「うるせえな、今オマエに構ってる暇はねえんだ」


 放置気味で怒り心頭のバルカンがナツへ猛突進を仕掛ける。対する彼は、何故か余裕げに突っ立っているだけで少しも構えようとはしなかった。そのまま引き倒されてしまいそうで恐ろしくなる。


「いいか? 妖精の尻尾のメンバーは全員仲間なんだ。じっちゃんもミラも、うぜぇ奴だがグレイやエルフマンも。ハッピーも、みんな仲間だ」


 バルカンとの距離が縮まってゆく。


「だから、オレはマカオをつれて帰る」
「な、ナツ、前っ!」


 もう目の前だ。ぶつかる……!


「──そんでもって、ルーシィにも妖精の尻尾を知ってもらいてぇ!」
「へ?」


 瞬間、ハッピーが陽動するようにバルカンの上空を横切った。

 反射的なのか、それとも女好きの性質によるものなのか。その目がこちらを追った隙を突き、ナツの炎を纏った拳が獣の顎を打ちつける。見事にカウンターを食らったバルカンの体は、これまた見事にボールのように跳ねて崖に激突していった。
 思わず目を瞬く。巨体の化け物は変なポーズで気絶しており、もう動きそうもない。どうやら一発KOらしい。ナツの人外染みた強さがとんでもなくて、これはいつになっても慣れないだろうなと遠い目をしてしまった。

 そして、一難去ってまた一難。ナツとハッピーにお礼を言って降ろしてもらった後のこと。私達が目にしたのは、仄かな光を放ったバルカンがとある一人の男性──ここへ来た目的であるマカオさんへと変化する場面だった。


♦︎


「ひ、ひどい怪我、このままじゃ……」
「ナツ〜、どうしよう、マカオが……」
「ルーシィ、ハッピー、マカオを押さえとけ」
「何するつもり、って、ひぃっ……!?(むりむりむり、焼いっ、傷! 焼いてる!? 痛い痛い、グロいっ、むり〜〜!)」
吹雪のち快晴