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 テイクオーバーという体を乗っ取る魔法があるらしい。
 バルカンはそれによって人間を吸収し、生き繋ぐモンスターだったとか。つまり、マカオさんは討伐の仕事中に不本意にも体を乗っ取られてしまい、ナツに伸されるまで好き勝手に操られていたということだ。


「父ちゃん! ゴメン、オレ……」
「心配かけたな、スマネェ」


 再会した親子が町中でひしりと抱きしめ合う。今でこそマカオさんは動けているが、一時は死を覚悟するほどの大怪我で本当に危険な状態だった。
 それでも、なんとか一命を取り留めたのは、止まらぬ出血を強引に火傷させて応急処置を施したナツや、結果的に帰らずにいてくれた馬車の存在のおかげである。怪我人をなるべく安定して運ぶことができたのは、大いに存命に貢献したはずだ。そして、天候にも恵まれ「吹雪が止んでツイてるな」と馭者がしみじみと言っていた。


「今度クソガキどもに絡まれたら言ってやれ。テメェの親父は怪物十九匹倒せんのか!? ってよ」
「うん……!」


 本来なら急いで病院に担ぎ込まれるべきなのに、当の本人は息子を安心させたいと言って聞かなかった。確かにロメオくんはギルドに自ら乗り込んでくるくらいには心配していたのでわからなくはないのだけれど、傷だらけの体は今にも倒れてしまいそうでひやひやする。


「ナツ兄ー! ハッピー! ありがとぉー! それと、ルーシィ姉もありがとぉっ!」


 容態は気になるものの、親子の時間に水を差すのも野暮だと思いその場を離れようとすると、こちらに気づいたロメオくんがぐずりと泣き笑いを浮かべて大きく手を振ってくれた。憂いが消えた明るい笑顔は年相応で、無邪気なものだったから、なんだか胸の辺りが温かくなる。なんとなしにひらひらと手を振り返し、親子が去って行くのを見守った。
 この後は問答無用で病院のはずだ。親の腕を掴み、逃さんとばかりに先導する子供の様子に頼もしいなあと思う。呑気にそんなことを考えられるのは、雪山での危機を脱せたという何よりの証拠だろうから大目に見てほしい。

 何はともあれ、マカオさんが生きていてくれて本当によかった。馭者のこともそうだ。助けられたのは自分の力ではなく星霊のおかげだけれど、双方に感謝を述べられたのは純粋に嬉しいものだった。誰一人とて欠けることがなかったのだと、そう実感できたから。
 魔法を使い、人の役に立つというのはこういうことなのだろうか。前の世界には魔法自体がないので、なんだかとても感慨深い。

 さて、これからどこに行こうか。まずは宿を探さないと。ついでに安定した職なんかも見つかると嬉しいのだが。
 今後の予定を頭の中で組み立てながら、じゃあねとナツとハッピーに手を挙げて、それはもう自然にそそくさと別れを告げた。ら、次の瞬間、当たり前のように腕を引かれて捕まった。びし、と後方に引っ張られる体に仕方なしに振り向く。

 なんだろうか、こちらはもう心配事がなくなってスッキリしているというのに。
 これ以上は特に気がかりはないのだ。彼らに対する用事もない。僅かな心残りがあるとすれば、マスターやミラさんに挨拶せずに去るのは不躾かもしれないという懸念だけ。それも、会ってしまったらもう断れる自信がなかったから、とても実行できそうにないけれど……。でも、ギルドに加入さえしなければこの先二度と会うこともないだろうし、お互いは赤の他人のままでいられる。


「……なに?」
「どこ行くつもりだよ、ルーシィ。ギルドはそっちじゃねえぞ」
「いや、悪いけどギルドでやっていける自信が全くないから、やっぱり入るのはやめておくよ。せっかく誘ってくれたのにごめんね」
「……」
「あの、腕を離してもらえると……」


 ありがたいんですが、という言葉はナツの強い視線に遮られて言えなかった。真剣な眼差しが何を視ているのかわからなくて、何故だか少し居た堪れない気持ちになる。
 思わず口を噤む私と、腕を掴んだままのナツとを交互に見やる足元のハッピーが、漂う静粛な空気に身を固くしていた。


「おまえが今回ついて来た理由はちゃんと果たせたのか?」


──それでもここに来た理由があるんだろ。

 その言葉に、馬車の客室でのやり取りを思い出した。分け与えられた確かな熱も。
 しかし、その問いがなんだと言うのだろう。会話の繋がらない唐突なそれに面食らいながらも、小さく顎を引く。ついて行った理由は、ロメオくんが放って置けなかったからで。そして、仮にそれを見捨てた場合に罪悪感で押し潰されたくはなかったからだ。


「う、うん……それに関してはおかげさまで、というか。あなたがマカオさんを連れ戻してくれたから、もういいの。ロメオくんも嬉しそうだったし」
「オレだけの力じゃねえよ。オレと、ハッピーと、それからルーシィのおかげだ」
「私は何もしてないよ」
「おまえがいたからバルカンが釣れた」


 う、嬉しくない〜〜。


「おまえがいなきゃ馭者は襲われてた」
「いや……あれは全部、星霊が頑張ってくれたことだから」


 それで、一体何が言いたいんだ?
 要領を得ないナツの台詞に疑問符が舞う。まさか、一人では何もできない哀れな私を慰めようなんて考えは持っていないはずだ。なんとなく、そんな風に他人を慮るような性格ではない気がした。浅い関係でこんなことを思うのも、だいぶ失礼な話だが。

 そんな風に思考が逸れていたから、油断していたのだと思う。


「なあ、おまえ、何を迷ってるんだ?」
「え?」
「いや、“誰に怯えてる”んだ?」
「っ!!?」


 バッ! と、勢いよく彼の手を振り払ったのは反射的だった。
 心臓がいやに早鐘を打ち、自分が立っているのかどうかですらあやふやになってくる。ふらり、と一歩後退し、震える唇を引き結ぶ。どうしてこんなにも動揺しているのか、自分ことながらわからなかった。ただ、得体の知れない何かに心の柔い部分を無遠慮に覗き込まれたような、そんな不快感が身体を這う。

 あからさまな反応をして手まで振り払ってしまったのに、奇妙なことにナツには対して驚いた様子はなかった。けれども、一番不可解なのは、本心を言い当てられたような気になっている自分自身だ。今の言葉のどこにそこまでの拒絶をする要素があったというのだろう。
 じっと見つめてくるナツの真意を探ろうとするも、真っ直ぐな瞳には一点の曇りもなくて、こちらがたじろいでしまう。


「い、いきなり何の話……?」
「別にルーシィの事情に首突っ込むつもりはねえよ。でも、それを理由に妖精の尻尾を避けるのはやめてくれ。オレはおまえがギルドに入ってくれればそれで良い」
「な、んでそこまで私を誘うの……?」


 それまで逸らされなかった彼の視線が、ふと落とされた。睫毛が薄く、頬に影を映す。
 それはとても小さく、微かな声だった。


「……おまえが寂しそうだから」
「え?」
「な! いいだろ? 討伐任務が怖いんなら、危なくねえ仕事を選べばいいだけだし。たぶん臆病なルーシィでもできる」


 な、ハッピー! と、わざと調子を上げたナツが眼下のハッピーへと笑いかける。突然に取り巻く空気が変わり、一瞬呆然としていたハッピーもこれがギルドへの勧誘だと気づいたのか、ぴょこぴょこ跳ねながらいかに良いところかをアピールしていた。
 けれども、私はそれどころではなかった。


「(なに、今の……)」


 蝋燭の灯火のように、なけなしの意志がいとも簡単に揺らぐ。
 本当に寂しそうなのはどっちだ。出会ってから今まで、彼の強気な表情しか見たことがなかったから、先程の消えてしまいそうな迷子の子供みたいな顔が頭から離れてくれない。彼のことは、圧倒的な陽キャラの主人公だと思っていたのになあ……。


「…………ねえ、本当に危なくない仕事もあるの?」
「「!!」」


 ほとんど無意識にこぼれ落ちた言葉に、ぱあっとひまわりが咲くように満面の笑みを浮かべる二人を見て、もうこれは仕方がないと潔く腹を括った。こんなにも自分を歓迎してくれる人がいるのなら、きっとそこへ行っても怖くない気がしたから。
 だから、差し出されたその手を、今度は自分の意思で握り返した。


♦︎


「ぎるどまーく……?」
「そう、所属ギルドを示すためのマークなの。どこに刻むかは自分の自由よ。色は何色がいい? ルーシィなら何でも似合いそう!」
「え……ちょ、ミラさん待ってください。マーク? を刻む?? 知らない単語だらけで何がなんだか。い、痛いのは勘弁してください……」
「大丈夫。魔法のスタンプだから、痛いことは何もないわ。ぽんっで終わりよ。で、ルーシィには可愛らしいピンクが似合うと思うんだけど、どう?」
「ピンク!? あ、いや、はい、ミラさんがそう言ってくださるならそれで」
「じゃあ、決まり! 問題は場所ね。こればかりは自分で決めた方がいいわ。ファッションにも関わるから」
「(ファッションか……それよりも、マークを体に刻むのがどう考えても中二病みたいでしんどいんだよなあ〜〜。とりあえず、普段見えないところにしよう)じゃあ、この辺で」

 そう言って、適当に服で隠れている左の心臓辺りを指し示したことを、後の私はひどく後悔する。
 知らなかったのだ。仕事で赴く際に、ギルドマークを身分証明のように見せないといけない場面があることも。いちいち胸元を晒す行為が、なんとも言えぬ視線を受けることになるなど……この時の私は何一つとして知らなかったのである。
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