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シロツメの街外れ。林の中に隠れるようにしてひっそりと、とある豪邸が佇んでいた。立派なそのお屋敷は依頼主のものらしい。本一冊に大金を差し出せることにも納得できてしまうほど、圧倒的な迫力があった。

なんだかこちらの世界での実家を思い出すなあ。無駄に造りが豪華なところとか、非常によく似ている。贅沢で煌びやか、そして品もある装いに全く心を奪われないと言えば嘘になるが、やっぱり性根は一般人なのでお金持ちの感性は未だに難解だった。


「……どちら様で?」


玄関と思われる正面の扉をナツが数度叩くと、しばらくして奥から忍ぶような足音と男性のささやかな声が聞こえてきた。穏やかな印象の中に、何故だか疑念の色が窺える。恐る恐るといった様子は、まるで不審者への対応のようで。この辺りは治安が悪いのだろうか。


「魔導士ギルド、妖精のフェアリーーー」
「しっ静かに! すみません……裏口から入っていただけますか?」


所属を明確にするナツの台詞を遮り、それに安心するどころか、どうしてかさらに焦りを加速させた男性の気配が遠ざかっていく。先に裏口へ向ったのだろう。


「なんなんだ?」
「詐欺だと思われたのかな……」
「オイラ達なにもしてないよ?」


終に開かれることはなかった玄関の前で立ち尽くし、三つの困惑した視線が交差する。何らかの事情はあるのだろうが、頑なに警戒される理由に心当たりはなかった。ほんの少しの違和感に首を捻りつつも、今は追求することを諦め、言われた通り裏手へと回り込む。外壁に沿って進むと、やがて現れた正面玄関よりは小さな扉から顔だけを覗かせ、こそこそと辺りを見渡す男性がいた。怪しい。これから泥棒(暫定)になるのはこちらのはずなのに、彼の方が余程それらしいではないか。

挙動不審だったその人は、歩み寄る私達に気づくと一瞬だけ目を見張り、それから安堵したようにほっと息を吐き出していた。一体何が来ると想像して、そこまで身構えていたのだろう。玄関での対応を真摯に詫びて、今度こそ快く自宅へと迎え入れてくれた彼に、先程抱いた違和感がまた少し大きくなった。




自分自身が映り込むピカピカな床に、見上げるほどの高い天井。厳かな装飾。家を取り巻く何もかもが懐かしかった。幼い頃はよく城のような自宅で迷子になったものである。人様の家をじろじろと眺めるのは失礼だと承知していながらも、ついつい壮麗さに目を奪われてしまう。

ただし、案内された応接間のソファでは思わず座ることを躊躇ったので、どうやら生まれ育った贅沢な環境に毒されはしなかったようだ。いつだって自分の常識は前の世界のそれということ。ちょっぴり安心した。

さて、話を伺うにこの豪邸には夫婦の二人きりで住んでいるらしい。そうして、今回の依頼主は夫のカービィ・メロンさんだと言う。聞くや否や、うまそうな名前だなと盛り上がるナツとハッピーにも朗らかに「よく言われるんですよ」と神対応を見せる人の良さだった。だからこそ、玄関でのやり取りがいやに際立つ。

ちなみに、初対面で危ない橋を渡る発言をかました二人はふかふかなソファにもちっとも尻込みせずに、どかりと腰掛けていた。なんとなく想像した通りである。緊張という言葉を知らないようで、少し羨ましくもなった。


「まさか、噂に名高い妖精の尻尾の魔導士さんがこの仕事を引き受けてくれるなんて……」
「そっか? こんなうめェ仕事、よく今まで残ってたなあって思うけどな」


普通に犯罪だから誰も手を出さなかったのでは。あるいは、簡単に見える仕事内容と高い報酬金額が釣り合っていないように思えたのだろうか。ギルド初心者の私には報酬の相場がわからないので、どうにも判断がつかなかった。


「しかも、こんなお若いのに……さぞ有名な魔導士さんなんでしょうな」
「ナツは火竜って呼ばれてるんだ」
「おお! その字なら耳にした事が。もしやそちらのお嬢さんも?」
「いえ、私は普通の魔導士なので……そんなに大そうな異名はありませんよ」


有名な魔導士の名にどことなく嬉しそうにするのは、おそらく依頼の成功に無条件で期待が持てるからだろう。だとすると、新人が一人で仕事をこなそうとすれば、行く先々で残念そうな顔をされるのか……? カービィさんの取り繕うような笑みに、こちらが申し訳なくなる。ギルドの新人だと名乗らなくてよかった。ソファにちんまりと座る体をさらに縮めて、チームを組むことの重要さに意外なところで気づかされたのだった。

それと、これは全く依頼とは関係ないのだけれど。自分のことを“魔導士”と名乗るのが、はちゃめちゃにつらい。なにこれ。中二病か? 新手の拷問か?? 本当のことを言っているはずなのに、ただただ痛々しい。何が悲しいって、どう足掻いても一生付き纏う感覚だという点である。もはや呪いだ。う、頭が。


「そうでしたか、これは失礼を。……では、仕事の話をしましょうか」


途端に引き締められた空気に背筋を正し、無駄な思考を隅に追いやってカービィさんの語りに集中した。エバルー公爵の持つ、この世に一冊しかない本の破棄、または焼失を行ってもらいたいこと。その本が、日の出デイ・ブレイクという題名であること。他人の所有物を勝手に盗んで捨てるので、やっぱり犯罪紛いであること……。聞き進める度に血の気が引いていく気がした。

おい、誰だれっきとした仕事とか言った奴。唯一の希望だった、元々は自分の所有物なので取り返してほしい、という空想の可能性が潰えて頭を抱えそうになった。依頼主の手前そんな失態はしないが、なんとも言えない虚しさに襲われる。言葉は悪いけれども、つまりは犯罪の片棒を担ぐということだ。当たり前に協力したくない。


「焼失かぁ……だったら屋敷ごと燃やしちまうか!!」
「楽ちんだね」
「規模がおかしい……確実に捕まるから本当にやらないでね……?」


窃盗の次は放火か??
頼むから、これ以上罪を重ねないでくれ。


「どーでもいいじゃねーか、二十万だぞ二十万!」
「いいえ……二百万Jお支払いします。成功報酬は二百万Jです」
「え……?」
「「にっひゃくぅ!!??」」


猛烈な不信感に吐息がもれて、茫然と体が固まった。背筋に冷たい何かが這う。「なんじゃそりゃあああっ!!」「おやおや、値上がったのを知らずにおいででしたか」部屋に劈くナツの悲鳴も、目を回したハッピーが二百万と繰り返し呟くのも、それらに平静を保ったまま応じるカービィさんの声も耳には入ってこなかった。全てが意味を成す前に通り抜けていく。

金額に目が眩んだわけではない。だって、明らかにおかしい。このタイミングでオークションのように跳ね上がった報酬は奇妙かつ不自然だし、本への執着も常軌を逸しているように思えた。仮に、無類の本好きによる収集目的だとしても、その一言では説明できない切迫した雰囲気を感じる。底上げした報酬金額は、間違いなく仕事への食いつきを良くするための餌だろう。それだけ依頼主の気が急いている証拠だ。


「あなたにとって、その本は一体……?」
「…………どうしてもあの本を破棄したいのです。私はあの本の存在が許せない」
「“存在”……?」


他人の物なのに? 自分とは関係のない書物を許せない状況とはどんな時だろうか。そもそも、この人はその存在を“どこで知った”のだろう。世界にたった一冊しかないというのに。元は記念品や限定品だったとして、それを今現在エバルー公爵が所持していると、どうして断言ができるのか。公爵が自ら公言でもしたのだろうか。

次から次へと疑問が生まれて切りがない。とにかく、もう少し踏み込んで聞いてみよう。ずっと燻っていた違和感の正体が掴めそうだった。だって、“最初から全く関わりのないものに関心を向けられるはずがない”のだから。


「行くぞルーシィ! 燃えてきたぁ!!」
「え、ちょっと、まっ」


そう意気込んだのに、横から唐突に現れたナツの手によって出鼻を挫かれた。何も言えないままにぐんと力強く腕を引かれ、強制的に立ち上がったかと思うと、次の瞬間にはまるで列車から見える景色のように視界が流れていく。やけに気合の入った彼は、声をかけたところで止まる気配がない。どんどん遠くなる夫婦の影。名残惜しくて見つめていると、角を曲がる直前に宇宙を背負った彼らと目が合った気がした。挨拶もできていないのだから、そりゃそうなる。

そうして、ほとんど飛ぶように駆けるナツに気が遠くなりながらも、泣く泣く依頼主の豪邸を後にした。




「あなた……本当にあんな子供達にまかせて大丈夫なんですか? 男の子はまだしも、女の子もいましたし……」
「……」
「先週、同じ依頼を別のギルドが一回失敗しています。賊に入られた屋敷は当然、警備の強化をするでしょう。今は屋敷に入ることすら難しくなっているんですよ」
「わかっている、わかっているが……あの本だけはこの世から消し去らねばならないのだ」
日の出