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エバルー公爵邸は依頼主の豪邸よりもさらに大きく、一種のお城のようだった。正面の門は頑丈そうな上に高さがあり、さらに家をぐるりと囲む塀が続いているため敷地に入ることさえ難しいだろう。

数十メートル離れた木の影から屋敷を観察し、その難攻不落さについ眉を顰めた。目の上に片手を翳しながら、ぐっと目を凝らす。望遠鏡があれば中の様子を窺えたのに、残念なことに持ち合わせがない。ただ、見た限りでは門の前に見張りらしき人は配置されていないようだった。


「なあ、ルーシィ〜……なんでこんなコソコソしなきゃならねぇんだ?」


ふと、隣からあくび混じりの退屈そうなぼやきが聞こえてきた。その眠気の中に僅かな苛立ちが含まれた声音に屋敷から視線を外すと、乗り出していた体を引っ込めてナツを見やる。木の根元に座る彼の恨めしげな半目がこちらを見上げていた。


「作戦Tは、正面突破で邪魔な奴をぶっ飛ばしてくもんなんだよ。モタモタしてたら日が暮れちまうぞ」
「だめだよ。そんなことしたら速攻で通報されて牢屋行きなんだから」
「めんどくせーなぁ……んじゃあ、今から突撃して手本見せてやるよ」
「わあ〜〜! だめだってば! ストップストップ!!」


徐に立ち上がり、あろうことか身を隠すつもりもなく、堂々と屋敷に向かうナツの羽織りを咄嗟に掴んで引き留める。何を考えてるんだ、この人は。桜色の後頭部を信じられない思いで眺めながら、冷や汗を浮かべた。服が伸びるとか知ったことか。しかし、こちらが必死で押し留めているのに、それでも歩みを進めようとする彼のせいで裾が大幅にめくり上がり、眼前に予想外の肌色が露出してしまった。慌てて顔を逸らす。これではなんだか追い剥ぎをしているみたいではないか。

会う度に毎回同じ半裸のような格好をしているので普段は特別意識していないのだけれど、思わぬところで目の当たりにすると困る。動揺して無意識に力が抜けていたのか、ずるずるとナツに引きずられて、はっと我に帰った。

このままではまずい。行動だけではどう頑張っても伝わらないようなので、言葉も追加しよう。


「速攻で本燃やせばいいんだろ。楽勝だって」
「わたしに……」
「あ?」
「わたしにも……っ! ナツは私にもできそうな仕事を選んでくれたんでしょう……!?」


ーーほら、ちょうどルーシィにもできそうな仕事見つけてきたから。

ぴたり、とナツの歩みが止まった。


「……私には突撃は“できない”よ」
「……」


振り返った彼の瞳が、じっとこちらを見つめている。あまりにも真っ直ぐな視線にたじろぎそうになったが、負けずに見つめ返すとやがて「わかった」と深く肯いてくれた。そうして、今までの勢いが嘘のように落ち着いた様子でくるりと踵を返し、元の場所へと戻っていく。まるで、別人のような大人しさだった。

再び地面に腰を下ろす彼を目で追い、数度瞬く。二面性の温度差が激しすぎて、風邪をひいてしまいそうだ。何にせよ、思いとどまってくれたらしいのでお礼を言うと、小さな声で「ん」とだけ返ってきた。


「……そういやおまえ、なんでフードなんか被ってんだ?」
「これ? なるべく顔を見られないようにするためだよ。仕事とは言え、結局泥棒だったから……ナツも隠した方がいいと思うよ」
「必要かぁ? そもそもフードなんてねぇし……」


訝しげに首を捻るナツにしばし逡巡し、目線の高さを合わせるようにそっとしゃがみ込んだ。それから、彼の首に巻かれた鱗柄のマフラーをちょんと控えめに指し示す。


「……そのマフラーを顔に巻けば? こう、忍者みたいにーー」


言ってから、しまった! と言葉が途切れる。ぐるぐると巻くようにしていた動作も石化の如く静止させたのは、こちらの世界で忍者の概念が伝わらない可能性に思い至ったからだった。

どう誤魔化そうかとぎこちなく視線を落とし、けれども次に見たのは予想に反してキラキラと輝いた瞳で。「ニンジャかぁ……!」頬を仄かに紅潮させたナツは素直にマフラーを外すと、ぐるりぐるりと口元と額を覆い顔を隠して見せた。そのまま両手を組み「にんにん」と子供のようにはしゃいでいる。

間違いなく忍者は通じたらしい。ほっとして肩の力が抜けた。もしかしたら、こちらの世界でも和の文化が根付く地域があるのかもしれない。いつか行ってみたいなあと、忍者というよりもミイラみたいになってしまったナツを微笑ましい気持ちで見守っていると、上空からハッピーが降りてきた。


「ただいまーって、うわ!? オイラが探索行ってる間に何があったのさ。二人とも不審者みたいだよ」
「おー、ハッピーおかえり! 隠密ばっちりの忍者スタイルだ。これで仕事をこなす」
「え、隠密するの? ナツが?? ……え!? 嘘だ!! ど、どうやってナツを止めたのルーシィ!? あのナツが正面突破以外を選ぶなんて!!」
「そ、そんなに驚く……? 必死に引っ張って止めたよ」
「思ったより原始的だった」


すん、とハッピーの表情が真顔に戻った。こちらからすると、常に正面突破しかしていない発言の方が驚きだ。いくら何でも猪突猛進すぎるだろう。


「屋敷の様子はどうだった?」
「周りに見張りはいなかったよ。あと、屋上があった」
「んじゃ、そこから入るか」
「屋上って……どうやってそこまで行くの?」


まさか、よじ登るなんて言わないよな。どう考えても自殺行為だぞ。二人ならできそうなところがまた怖いけれども。どきどきと嫌な意味で鼓動を鳴らし待ったをかけると、一瞬“なに言ってんだこいつ”みたいなきょとんとした顔をされた。ひしひしと感じる合計四つの目に居心地が悪くなってすぐ、ハッピーが持ち直したようで「ルーシィったら忘れてるの? オイラ空飛べちゃうんだよ?」と誇らしげに胸を張る。目から鱗であった。


「一人ずつにはなっちゃうけど魔力はあるし、ちゃんと二人とも運べるからね」
「そっか、ハッピーって人も運べるんだっけ……」


飛べる事実を忘れていたというよりも、彼の小さな体で人を持ち上げる印象が薄れていた。思い返せば、ハッピーによって何度か空を飛んだことはある。しかし、そのどれもが突発的で自ら頼んだものではなかったから、飛行するという選択肢がどうにも馴染んでいないのだ。本来なら猫が飛ぶこと自体おかしいのに、“屋上に行きたい=ハッピーに頼もう”なんて思考回路にはならないだろう。


「まずはナツから運んでくるね。ルーシィはちょっと待ってて」
「うん、気をつけてね」
「あいさー!」
「よーし、頼むぞハッピー。誰にも見られないようにするでござる」
「任せてでござる」


……本当に大丈夫だろうか。

緩いやり取りに不安になりながらも、空に浮かび上がっていく似非忍者二人の背をそっと木の影から見送った。




「わあ……! すごい景色! 街が見渡せる!」
「ルーシィめちゃくちゃ嬉しそう。高いところ好きなの?」
「高いところというか、そこから見える景色が好きかなあ」
「へえ〜。そういえば、前に一緒に飛んだ時はどっちとも暗かったから、あんまり景色は見れなかったのか」
「それもあるだろうけど、単に周りを見るほどの余裕がなかったせいだね……。ね、ハッピー、大丈夫? 重くない? 無理しないでね?」
「あい! オールオッケーです。ルーシィはいつでも優しいね」
屋敷への潜入