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「うおお! スゲェ数の本でござる!」
「あい! でござる」


メイド達を瞬殺した後のこと。ナツとハッピーを連れ慌てて逃げ込んだ先は、なんと幸運なことか大量の書物が並ぶ広い書斎だった。しかし、ラッキーと心の中で思えたのは一瞬で、次に生まれたのはこの中からたった一冊を見つけなければならないという絶望感だった。無謀にも程がある。さすがに、一つ一つ手に取って確認していくような時間はないだろう。


「よし、探すぞーーっ!」
「あいさーー!」
「えっと、デイ・ブレイクだっけ……英語表記だと……“DAY BREAK”、かな?」


なるべく本に指紋を残さないように、視線だけを滑らせて背表紙を追っていく。当たり前だけれど、全て英語の題名だった。もう慣れたとはいえ、似たような文字の羅列は目的の単語を探す妨げになる。漢字やひらがなを組み合わせた日本語がとても恋しかった。単純に“日の出”とだけ書いてくれれば見つけやすいものを。


「うほっ、エロいのみっけ!」
「魚図鑑だ!」


この棚にはないようだ。隣の棚に移動する。「何だこれ!? 字ばっかだな」「ナツ……普通はそうだよ」随分と楽しそうだな、あの二人は。ちゃんと探してくれているのだろうか。横目でそちらを窺ってから、また本へと視線を戻す。彼らは数冊を手に何故か小躍りしていた。目を合わせてはいけない。

そういえば、ハッピーの骸骨はどこに行ったのだろう。メイド達に見つかる直前までは被っていたはずなので、先程の混乱で落としてしまったのか。かくいう私も、もうすでに顔を隠していないが。油断してフードが脱げた瞬間に、しっかりと顔を見られていたのを自覚している。これ以上隠したところで意味がなかった。だからこそ、早く目的を終えてとんずらしたいのだ。


「おおおっ!! 金色の本、発っけーん!」
「ウパー!!」
「二人とも……! もうちょっと静かに、」


隠密をすっかり忘れているのか、大きな声で歓声をあげる彼らを振り返る。途中で言葉が途切れたのは、いつの間にか忍者スタイルをやめたナツが掲げていた本の表紙に、ちょうど“日の出”を思わせる絵が描かれていたからだった。題名はーー。


「“日の出”!!」
「見つかったーーっ!!」
「えっ、本当に……!?」


駆け寄ると、満面の笑みでナツがほらとこちらに表紙を差し向ける。確かにそこには英語表記で“DAY BREAK”と刻まれていた。信じ難いことだが、この短時間で目的の物を見つけ出してしまったらしい。あまりにもでき過ぎた話である。もしや、彼の主人公補性だろうか。何はともあれ、これで依頼主の元に戻れば今回の仕事は終わりだ。やっと帰れる。


「さて、燃やすか」
「簡単だったね!」
「あ、ちょ、ちょっと待って! 燃やすなら依頼主の前でやろうよ」


徐に片手に炎を灯し、今にも本を灰にせんとするナツを制止させる。めらめらと揺れる火の粉が熱い。数歩距離を置く。彼は不思議そうに首を傾げた。


「なんでだ?」
「ちゃんと破棄したっていう証拠になるからだよ。例え、燃やした後の灰を持って行ったとしても、それが“日の出”という証明にはならないでしょう?」
「おー……?」
「偽造を疑われないようにってこと?」
「そう。あとは、目の前で破棄した方がちゃんと処分できたって安心するんじゃないかな」
「おー! なるほどな! わかった!」


ナツは証拠や証明という説明に難しげに眉を寄せていたものの、最後の安心の言葉に納得したようでしゅんと潔く炎を消した。瞬間、辺りの温度が元に戻ってほっと息を吐く。おそらく燃やさない理由が理解できなかったというよりは、あえて今それを選ぶ必要があるかどうかを決めかねていたのだろう。その結果、依頼主の気持ちを優先する判断をしたということは、存外彼は話の通じる人である。


「んじゃ、さっさと依頼主のところまで戻るか」
「あい! 思ったより早く見つかったし、ルーシィの初仕事もこれで終わりだね」
「うん。とにかく本があってよかった……見つかる前にここを、」
「! 待て、ルーシィ!」


出よう、と続けようとした台詞はナツによって唐突に遮られた。書斎の出入り口に向かう体がぐんと引き戻される。なに? と振り返る前に、彼が前へと躍り出た。まるで、何かから庇うかのような仕草にひたすら疑問符が舞う。この部屋には私達以外誰もいなかったはずだ。そっと彼の背中から顔を出し、前方を窺う。

ーーめきっ、と床が盛り上がった。


「!?」
「なるほどなるほど、ボヨヨヨヨヨ……」


不可思議な笑い方と共に土竜の如く穴から現れたのは、屋敷の主人であるエバルー公爵だった。依頼書の似顔絵とそっくりである。


「貴様らの狙いは“日の出”だったのか。泳がせておいて正解だった。我輩って賢いのう、ボヨヨヨヨ」


メイド達の時もそうだったが、何故にみんなして地中を移動するのだろう。そもそも、どういう原理なんだ。この世界お得意の魔法の一種だろうか。色んな意味でキャラの濃いエバルー公爵を、ナツの背にこれ幸いと隠れながら観察する。思いの外冷静でいられたのは、この登場方法に鉢合わせるのが実に二度目だったからだ。

こちらを嫌味な目で見回した公爵はフン、と小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「魔導士どもが何を躍起になって探してると思えば……そんなくだらん本だったとはねぇ」
「くだらん本? だったら、オレらに譲ってくれよ」
「いやだね。どんなにくだらん本でも、我輩の物は我輩の物」
「ケチだな、おまえ……」
「うるさいブスども。そこの女がとびきりの美人だったならともかく、そんなモブのような顔立ちの奴には頼まれてもやらんわ」


ナツのことがブスに見えるなんて贅沢な人だなと思っていたら、知らぬ間に飛び火をくらった。会話には一切口を挟んでいないのに、とんだとばっちりである。足元にいたハッピーがぽんと脹脛の辺りを叩き「ルーシィは美人だと思う。猫には人間のこと判断しづらいけど、ギルドのみんながよく言ってる」とフォローを囁いてくれた。きょとんと目を見張ったものの、言われて思い出す。

そういえば、私の顔立ちはこちらの世界のヒロインそのものだったな、と。鏡を見ている時以外は忘れているのだ。普段、自分の顔を常々意識して生活はしていない。きっと、今後もそう。しかし、だからと言ってヒロインの存在を上手く消化できたわけではないのだけれど。とりあえず、気遣ってくれたハッピーには感謝を込めてその頭を軽く撫でておく。にへ、という笑みが返ってきた。


「ま、いいや。それなら力尽くで持ち帰るだけだ」
「ええい! 気にくわん!! 偉ーい我輩の本に手を出すとは!! 来い、バニッシュブラザーズ!!」


バニ……、なんて? よくわからない単語を叫んだ公爵に、ハッピーから視線を外し顔を上げると、何やら壁際にあった一部の本棚が左右に開き始めた。からくり屋敷のような隠し扉に呆然としている内に、中から見知らぬ二人組が悠然と歩み出て来る。


「やっと仕事のタイムか」
「仕事もしねぇで金だけもらってちゃあ、ママに叱られちまうぜ」


一人は特徴的な長い辮髪を揺らし、その顔には“上下左右”とこちらの世界では滅多に見かけない漢字で描かれていた。そして、それ以上に目を惹くのは背負われた巨大なフライパン。もう一方は隣の男性よりもさらに体格が良く、単純な力に優れていそうだった。頭に巻かれたバンダナの下から鋭い視線がこちらを射抜く。両者の共通点は、動物を象ったような紋章を身に付けているところだろうか。


「グッドアフタヌーン」
「こんなガキ供があの“妖精の尻尾”の魔導士かい? そりゃあママも驚くぜ」
「あの紋章! 傭兵ギルド“南の狼”だよ!」
「こんな奴ら雇ってたのか!?」
「傭兵にもギルドなんてあるんだ……?」
「ボヨヨヨ! 南の狼は常に空腹なのだ!! 覚悟しろよ」


傭兵というだけあって戦闘慣れしているのか、周囲に漂う殺気を伴った緊張感に自然と呼吸が浅くなっていく。先日のハコベ山で対峙したバルカンとは明確に異なる人間の相手。メイド達の時は空気に呑まれる隙もなかったから、重たい敵意の前に晒されるのがこんなにもつらいことだなんて知らなかった。

ナツが軽く片足を引く。攻撃に備えたのだろうその動きにつられ、自分の腰元に手を伸ばしたのはほとんど無意識だった。キーケースに指先が触れた、刹那。まるで見ていたかのようなタイミングで、彼がこちらに視線を投げかけた。


「ルーシィ。それ持ってどこか隠れてろ」
「え……?」


後ろ手にお腹の辺りへと押しつけられたのは、ナツが今まで持っていた“日の出”だった。反射的に受け取ってしまったものの、意図が掴めなくて困惑する。一度だけ本を見つめ、それから説明を求めようと彼を見上げたのに、そこにはすでに桜色の後頭部しかなくて。


「か、隠れてろって、相手は三人もいるのに……」
「言ったろ。“討伐系に当たったら引き受けてやる”って」
「!」


どことなく既視感のある台詞だった。それが、今朝のチームに誘われた時のものだと思い至った瞬間、ぐわりと何かが胸の奥底から溢れてくる。嫌な感覚ではなかった。柔らかく包み込まれるような、ともすると泣いてしまいそうになるような。そんな切なさが身体を満たしていく。ただ、あの時に発した言葉が適当なその場しのぎではなくて、彼にとっては守るに値する約束だったという事実に驚かされた。そして、どうしようもなく嬉しかったのは、他の誰でもない私自身を彼が覚えていてくれたからだ。

ナツと向かい合う三人とを交互に見やり、やがて葛藤を振り切るようにして頷いた。負けないでね、と咄嗟に口からこぼれ出そうになった言葉を呑み込む。なんだか彼が負けるところを想像できなかったのだ。だから代わりに「怪我しないでね」と言い置いて、後ろ髪を引かれながらも扉に向かい走った。

ぎゅうと本を両腕で抱きしめる。易々と奪い返されないように、託す選択をした想いを踏みにじらないように。きつく、きつく。この時ばかりは泥棒がどうだとか、本来ならこちらが悪いのだとか、そういうことを気にしている余裕はなくて。ただひたすらに、この騒動が無事に終わることを願っていた。




「そうはさせるかっ! 我輩はあの娘を捕まえる! バニッシュブラザーズよ、その小僧を消しておけ!!」
「げ……ハッピー! ルーシィを追ってくれ」
「でも、相手は“南の狼”二人だよ! オイラも加勢する!」
「一人で十分だ。それより、ルーシィのが心配だろ。護ってやってくれ、ハッピー」
「! あい! ナツも気をつけてねー!」
傭兵兄弟