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転がる勢いで書斎を飛び出し廊下を駆けていたところで、ふと階下に横たわったメイド達が視界に映った。慌てて失速する。音を立てないように恐る恐る手摺りから窺うも、どうやらまだ気絶しているようで動く気配はなかった。しばらくの間は安全だろう。触らぬ神に祟りなしだ。抜き足差し足を意識しつつ、けれども急ぎ足でその場を立ち去った。

どこかに身を隠せるような部屋はないだろうか。書斎からは遠ざかっているはずだが、いかんせん広すぎて自分の現在地さえ把握できていない。何より、監視カメラのような存在が厄介だった。見たところそれらしき物はなかったのに、侵入して間もなくメイド達に襲われ、公爵に至っては“泳がせておいて正解だった”と発言をしていた。つまり、何らかの方法を用いてこちらの動向を窺っていたのだろう。最初から、全て。

何度も言うが、カメラらしきものはない。いっそ不自然な程にどこにも。仮に、監視装置がこの世界特有の魔法のアイテムだった場合、私にはそれがそうであると判断する術がない。安全だと思っていた場所が実は四方八方から監視されていた、なんてことに成りかねないのだ。だからこそ、いつ誰に見つかるかわからない通路を動き回るより、ここぞという地点でじっとしている方が賢明だった。おまけに、精神的にも楽である。

もし、完全に監視から逃れようとするならば、きっとなりふり構わずに屋敷から逃げてしまうのが一番手っ取り早くて確実なのだろう。頭の冷静な部分がそうやって堅実な選択肢を提示してくるのを、けれどもそれはできないと即座にもう一人の自分が切り捨てた。戦闘を引き受けてくれたナツとハッピーを置いて行けるほど薄情ではないし、そんな選択をした暁には罪悪感で死んでしまう。二人が戻るまでは、なんとしてでもこのリアル鬼ごっこかつ隠れんぼという鬼畜な時間をやり過ごさなくては。


「ーールーシィ!!」
「ぴゃっ……!?」


背後から唐突に声をかけられたのは、ちょうど地下への入り口を見つけた時だった。驚くがままに階段を踏み外し、天辺から暗がりへと転げ落ちそうになる。痛みを覚悟して目を瞑った直後、ぐっと力強く服を引っ張られて体勢が安定した。何度か覚えのある感覚に後ろを振り返ると、予想した通りそこには翼を広げた青い猫が浮かんでいて。ひとまず追手ではなかったことに安堵した。


「無事でよかった」
「ありがとう、ハッピー。でも、どうしてここに? ナツは?」
「オイラはルーシィの護衛。ナツは一人でも大丈夫だって」
「三人を相手に??」
「二人だね。エバルーがルーシィを追って行ったから」
「え、そうなの……?」


鉢合わせなくてよかった。実はかなり危険な状況だったことを知り、ぞわぞわと悪寒に襲われる。もちろん風邪のそれではないが、どうにも漂う緊張感が体調を崩さんと攻めてきている気がした。なるべく早くどこかに隠れよう。

かくして、平穏を求め地下に降りた結果。まさか、そこが下水道に繋がっているとは知らなかったし、緊張どころか環境からもろにサバイバルホラーのように早変わりするなんて想定外だったのだ。追われている事実がさらにホラー感に拍車をかけるから居た堪れない。精神衛生上大変よろしくないので、手元の本に意識を集中させることにした。ハッピーは足元でなにやら鼠に威嚇している。


「“DAY BREAK”かあ……」


ぽつり、と小さく呟いて、なんとなしに金色の表紙を指先でなぞる。カービィさんはどうしてこの本に拘っているのだろうか。過去に奪われたわけでもなく、最初から他人の持ち物だったはずなのに。大枚をはたいてまで破棄したいほどの理由が、ここに詰まっているというのか。

それなりに下水道を進んだところでふと歩みを止め、両腕に抱えていた本を開いた。やっぱり何かが引っかかる。幸いまだ時間は稼げそうなので、少しくらい中身を見ても構わないだろう。依頼の中に読むなという指示はなかったのだから。カービィさんや公爵、そしてこの本のそれぞれの相互関係は未だ不明とはいえ、全くの無関係のはずがない。これは動かぬ事実である。人間が強く興味を惹かれるのは、その人が認識しているものに対してだけなのだ。


「ねえ、ルーシィ。それ面白い?」
「うん? まだなんとも……でも、斬新というかめちゃくちゃというか……視点がころころ変わったり、文章におかしな言い回しが多かったりで読みづらくはあるね」
「うわ、オイラ絶対やだよそんな本。なんで依頼主もエバルーも執着してるんだろう?」


ハッピーにも読めるように屈んでやると、彼は可愛らしい顔をしわくしゃにして嫌がって見せた。全くだ。数ページだけ目で追った程度なのにすでに飽きてきた。ぱたりと本を閉じ、裏表紙の概要を読む。数行で簡潔にまとめられたそこには、エバルー公爵を主人公とした冒険小説という旨が紹介されていた。実在する人をモデルでもなく、そのまま採用したファンタジーとはまた珍しい。

くるりと表に裏返す。そういえば、このケム・ザレオンという作者の名前に見覚えがあるような気がする。確か、実家の巨大な図書室の中にいくつか混ざっていたはずだ。そう、そうだ。作家でもあり魔導士でもあると本のどこかに記載されていて、それを知った当時の私はダブルワークなんてすごいなあ、と多少的外れな感想を抱いた記憶がある。

そうか、これは魔導士の書いた本だったのか。もはや、存在自体がファンタジーなものだったとは恐れ入る。やっぱり魔法使いが創作した書物ならば、それ自体に魔法がかかっていたりするのだろうか。こう、魔導書的な感じで。


「あ……、いっ!?」
「ルーシィ!?」


ただの冗談だったのに、ふと表紙に刻まれた題名の並びにとある発見を見出して声をもらしたとほぼ同時。ガシッ、と背後から両腕を強く掴まれて、思わず悲鳴をあげた。おかしい。後ろは壁のはず。今まで人の気配はなかったし、足音だって聞こえなかったのに。突然のことに心臓が大きく跳ねたのを感じながらも、腕を掴む黒い袖口を遡るように顔をそちらに向ける。

そこには、なんと壁から身を乗り出したエバルー公爵がいた。登場の仕方があのテレビから這い出て来る某幽霊のようで、とても恐ろしい。


「ボヨヨヨヨ……見つけたぞ、小娘。人様の家を好き勝手に徘徊しおって! もう逃がさん!!」
「ルーシィを離せ!!」
「おおぅ!?」
「は、ハッピー! ありがとう、助かった……」
「あい! 護衛ですので」


翼を広げ助走をつけたハッピーの文字通りの飛び蹴りによって、公爵の片腕がボキリと嫌な音を立てた。折れてはいないようだが、痛みに呻き拘束が緩んだその隙にすかさず距離をとる。幸いなことに本は落としていない。それをぎゅっと抱え直し、体勢を整えて公爵に向き合った。

気になることがいくつもある。なんとか聞き出せやしないだろうか。突撃された腕を押さえながら恨みの籠もった瞳と共に壁から全身を現した公爵を、じっと見据えた。




「おのれ……何だその猫は」
「ハッピーです」
「フン、まあいい。猫が一匹いたところで我輩の魔法、ダイバーはやぶれんからな!」
「これ……魔法だったのかぁ。てゆーか、エバルーも魔導士!?」
「(それより、地下で穴を掘るのはやめてくれ……崩れて生き埋めになったら洒落にならないって)」
VS エバルー公爵