▼ ▲ ▼


エバルー公爵の屋敷から持って(奪って)きた“日の出”と共に、再び依頼主の元へと訪れた。カービィさんは燃やされることなく形を保ったままの本を見るなり異様なほど取り乱していたが、話があるから破棄するのは待ってほしいと伝えると渋々引き下がってくれた。初めてきた時と同じ応接間に通され、テーブルを挟んで向かい合う。そうして、どこか緊張した面持ちの夫婦の前に、そっと“日の出”を差し出した。


「それで、お話とは……? この本を破棄せずに持ち帰られたことと何か関係が?」
「それもありますが、単にカービィさんご自身で破棄なさった方が確実だと思ったからです。ご自分が証人となれますから、安心もできましょう」
「なるほど……お心遣い感謝します。しかし、そこまで考えてくださっているのに、何故今さら破棄を先延ばしにするのですか?」
「少し確かめたいことがありまして……」


怪訝な表情で「確かめたいこと?」と復唱したカービィさんが、机上に置かれた本を何気なく手に取った。複雑に絡み合った感情が揺蕩う瞳が表紙をじっと見つめている。広いソファの隣に座したナツとハッピーは、空気を読んでくれているのか常とは違い粛としてやり取りを見守っていた。

一度だけ意識して深呼吸をする。ここからは全て推測だった。妄想と言い換えてもいい。間違っているかもしれないし、合っている保証だってない。けれど、もし。もしも、それが現実のものだとしたら……その本が灰になってからでは遅いのだ。抱える後悔は少ない方が良いに決まっている。自分に集まる視線に内心気後れしながらも、しかしあくまで毅然とした態度を貫きカービィさんを見据えた。

私は全部知っているぞ。
と、そう誤認させるように。


「……その本の作者であるケム・ザレオンさんは、あなたのご家族ですよね」
「!!」


果たして、その言葉に反応を示したのはカービィさんだけではなかった。それぞれの心理は違えど、彼の奥さんも、ナツやハッピーだって愕然としている。


「な、何故、君が父のことを知って……?」


ほとんど呟くような震える声でその台詞が紡がれた瞬間、まず最初によし! と心の中でガッツポーズを決めた。よかった、引っかかってくれて。僅かに逸る気持ちを落ち着け、気づかれないように小さく小さく吐息をこぼす。


「アナグラムです。本の表紙に記載された“KEMU・ZALEON”を並び替えると、“MELON”という単語が出てきます。メロンはあなたの姓でしたね。残りの文字はお父様のお名前になるはずです」
「……ええ、その通りです。父の本名はゼクア・メロン。ペンネームは彼自身の名前を並び替えたものですから……」


不意に、本に目を落としたカービィさんが何かを思い出すかのように、ふっと目を細めた。けれど、それは一瞬で。すぐに険しい面持ちへと戻ってしまったことから、余程因縁の深い代物であることが窺えた。

本当は、カービィさんとケム・ザレオンさんが家族であることの確証なんてなかった。故にこれは、下水道で本を観察していた際に見つけたアナグラムの仕掛けと、エバルー公爵が自ら語った過去から予想しただけに過ぎない弱い手札だったのだけれど、夫妻の様子を見る限りなかなか上手く刺さったようだった。しかし、これだけではまだ真実には程遠い。

さあ、懸命に思考を働かせて、情報を繋ぎ合わせろ。関係性が親子だということは、本人がたった今教えてくれたのだ。次の言葉を慎重に選ぶ。表情にはしっかりと真剣さを保ちつつ、自信の現れに見えるように口元には仄かな笑みを浮かべた。


「では、続けて題名の方にも注目していただけますか? “DAY BREAK”、こちらを並び替えると……」


ーー“DEAR KABY”


「な……っ!!?」
「これは、手紙を書く時によく用いられる文言ですね。ただの偶然でしょうか? もしもそうだとしたら、それは一体どれほどの確率でしょう……」
「何を、言って……! 偶然以外考えられないでしょう、ただ並び替えただけの文なんて……っ、何の意味も!」


俯けていた顔を上げ、こちらを射抜く瞳はゆらゆらと不安定ながらも僅かな苛立ちを浮かべていた。揶揄っているとでも思われたのかもしれない。でたらめに聞こえてしまったのかもしれない。正直、自分でも強引だと自覚していたし、確証もないのに踏み込むのは失敗した時のリスクが大きく乗り気ではなかった。それでも、ふと視界に飛び込んできた目に見える変化に、都合の良い妄想がようやく確信へと塗り替わる。

本を両手に肩を震わすカービィさんも、その隣で困惑気味の奥さんも。陰気な雰囲気に「どうするつもりだ」と目で音もなく訴えてくるナツとハッピーも。自分以外の誰もがその変化に気がついていなかった。だから、その視線の全てを誘導するようにカービィさんへと手を伸ばす。そうして、仰々しく、わざとらしく、それを全員に指し示した。

微かに光を帯びた、“DAY BREAK”を。
いや、“DEAR KABY”へと変わったそれを。


「結論を申し上げます。その“本自体”が、お父様からあなたへと向けられた手紙だったのです」


息を呑んだのは誰だっただろう。その台詞を告げた頃にはカービィさんの手元を離れ、宙に浮かび上がった本から淡く輝く文字が溢れ出していた。


「な、何だ、これは……!」
「え?」
「文字が浮かんだーーっ!!」
「おおっ!!」
「お父様は本に魔法をかけていたようです。見ての通り、文字が入れ替わる魔法を。中身の文章も全て」


本来、あり得ないはずの魔法が存在する世界だ。何が起きてもおかしくはないと思った。自分にとっての当たり前は、この世界ではあまり機能しないから。奇しくも、それを何度も経験していたからこそ、題名やペンネームと同じように全ての文字が入れ替わるのではないか、と。とんでもない予想を立てることができたのだろう。これが前の世界だったなら、きっと空論にすらならなかった。

まるで、意志があるかのように英語の羅列が部屋の中を軽やかに舞う。くるりくるりと渦を巻き、光を星のように散らす様は圧巻の一言だった。現実かと疑うほどに綺麗で幻想的な光景に、つい時間を忘れて見入ってしまう。なんだか負けたような心地になったのは、さすがに文字の入れ替わり方までは想像していなかったからか。


「その本ですが……私が手にしていた時に変わった点はありませんでした。今まで魔法の発動がなかったことを鑑みると、条件はおそらく、カービィさん本人の手に渡ること」


正確なからくりは実のところ不明だが、息子の魔力にしか反応しないようにでも設定したのではないだろうか。可能かどうかはこの際置いておく。実際に目の前で起きていることが全てなのだから。

すっかり興奮して、初めての遊園地に訪れた子供のようにナツとハッピーがはしゃぐ。「すげェ!!」「文字が踊ってるよ!!」じっとしていられなかったのか、ソファから飛び出して文字を追いかける姿は無邪気そのものだった。例え、彼らがそれを突いて遊ぼうが、外部からの干渉は意味をなさないようで入れ替わりの魔法は恙なく進んでいく。夫婦の様子は二人とは真逆だった。ただ、静かに。言葉を失ったままに本が閉じるその瞬間までをずっと、ずっと見つめ続けていた。


「……元々の構成や文体におかしな点が見受けられたのは、冒険小説の方が手紙の副産物だったからでしょうね」


ぱたり。肯定するような絶妙なタイミングで本が閉じられた。散らばっていた文字がひとつ残らず収められ、真の姿となった“DEAR KABY”は、まるでそこが自分の居場所だと言わんばかりにゆっくりとカービィさんの手元へと降りていく。ふわふわとひとりでにやって来た本に、彼は恐る恐る手を伸ばした。両手でしっかりと受け止めると、震える指先で表紙を捲る。父さん、とほとんど音になっていない掠れた囁きが聞こえた気がした。


「私は、父を……理解できていなかったようだ……。駄作だと聞いたままに、破棄することが父の名誉のためと、そう思っていました……」
「なあ、それ自分の父ちゃんが書いた本なんだろ? だったらこれからは大事にしろよな」


興味の対象が消えたことによりソファへと戻ってきたナツがそう言って、徐にカービィさんの抱える本を指差した。先程までとは違う真摯な眼差しと雰囲気に、相手は一瞬怯んだもののやがて快く肯いた。それを見たナツは満足げに笑む。もう片方の手は無意識なのか意識的なのか、いつも身につけられている鱗柄のマフラーをぎゅっと大切そうに掴んでいた。もしかしたら、彼にとってはそれが父親との思い出の品なのかもしれなかった。


「皆さん、本当にありがとう。この本を燃やさなくてよかった……」
「じゃあ、オレ達も報酬いらねーな」
「だね」
「うん?」


思わず呆けた声がもれたのは、報酬という生々しい話に突然現実へと引き戻されたからだった。本の真実を追い求めるあまり、報酬を得るための仕事だったことをさっぱり忘れていたらしい。だって必死だったのだ。元より注目されるのは苦手な質だし、人前で喋るなんてもっての外である。もう気を張って話さなくて良いと思うと途端に脱力した。


「依頼は“本の破棄”だ。達成してねーし」
「い、いや……しかしそういう訳には、」
「ええ、そうですわ……」


ナツの変わらぬ言い分に戸惑う夫婦の前を、不意にハッピーが飛んで横切って来た。何故か私の膝の上に着地すると、ぴっと彼らに向けて細い両腕を挙げる。


「実はとある理由で依頼書がエバルーにびりびりに破かれちゃったんだ。だから、今回の仕事はなかったってことで。ね、ルーシィ?」
「ああ、うん……怖かったね、あの時の公爵……」
「あい……」
「さっ、帰ろうぜハッピー、ルーシィ。メロンも早く帰れよ、じぶん家」


少し前の怒気や敵意を思い出し、ハッピーを抱きしめて二人で身震いする。無事に切り抜けられたことが奇跡のようだと思えた。そんな風に別の方向に意識を飛ばしていたので、この時のナツの爆弾発言は見事に聞き逃しており、ここが夫妻の家ではなかったと知るのは帰り道でのことである。足取り軽く部屋の外に向かうナツを追うため、夫婦への挨拶を手短に済ませて腰を上げた。


「お待ちください! ほ、本当に報酬をお受け取りにならないのですか……? こんなにもお世話になったのに、」


慌てたカービィさんの声が背後から飛ばされ、数歩進んだ先で足を止める。振り返ると、申し訳なさそうに眉を八の字に下げた夫婦と目が合った。中途半端に立ち上がり腕を伸ばす狼狽した姿にふっと笑う。心根の優しい人達なのだろう。恩を受けておいて、それを返さないことに胸を痛めているのかもしれない。確かに、大変なことはいくつもあった。怖くてたまらないことも。でも、それらはすでに終わったことだ。今は無事に帰って来れたという事実があれば十分すぎる。


「本当に気になさらなくて大丈夫ですよ。その本はカービィさんの元にあって初めて意味を持つものですから。……どうしてもと言うのなら、先程の文字が入れ替わる魔法がすごく綺麗だったので、その光景が今回の報酬ということにしましょう」


ふわりと微笑んで「では、お元気で」と言葉を残し、今度こそ応接間を後にした。なるべく彼らの負担や不安を取り除けるように、できるだけ穏やかな声音を心がけたが……さて結果はどうだろうか。納得してくれたのかはわからないものの、再び呼び止められることはなかった。腕の中のハッピーが何やらじいっとまあるい瞳でこちらを見上げ「オイラ達、相性がいいね」と、心底嬉しそうに呟いた言葉の意味は終に理解できなかったけれど。

後日。ギルドに届いたカービィさんからの手紙をナツとハッピーと共に開封し、そこに綴られた感謝ととある一文に三人の情緒が振り回されることになるなど、この時の私達は誰も知らなかった。内容は明記しないが、あの本に関する彼の父親の顛末について、とだけ言っておこう。世の中には目を逸らしておいた方が良いこともあるのだ。




「さっきのルーシィすごかったなー」
「ね、なんか探偵の推理みたいだったよ」
「え? ああ、さっきの? 推理っていうか、ほとんど当てずっぽうだったんだけどね……」
「「へ??」」
「思い出したら緊張が戻ってきた……当たっててよかったあ……」
「え?? なに、勘ってこと? あれ全部演技?」
「おまえ、めちゃくちゃ自信ありそうだっただろ……?」
「やだな、そう振る舞わないとはぐらかされるかもしれないでしょう?」
「「……お、女ってこえぇ〜〜」」
DEAR KABY