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燃えてきた、とあれだけ威勢よく声を張っていたはずのナツは、列車が動くなり数秒と保たず屍へと成り果てた。ガタンゴトンと車体が揺れるたびに彼の頭が不安定に傾く。毎度のことながら、かなりつらそうだった。燃えるどころか、もはや燃え尽きているではないか。


「なっさけねえなぁ、ナツはよォ……。鬱陶しいから別の席行けよ。つーか列車乗るな! 走れ!」
「う……」
「大丈夫? 横になった方が少しは楽なんじゃない……?」
「全く……しょうがないな。私の隣に来い」
「あい……」


徐にエルザがぽんぽんと隣を叩くので、必然的に彼女と隣席だった私はナツに場所を譲ることになった。向かい合った座席の数歩の距離ですら、ふらふらと覚束ない足取りで今にも倒れそうである。彼が先程まで使っていたグレイとハッピーの隣へと腰掛けながら、ようやっと膝を曲げた姿を見守っていた、刹那。ドスッ! と鈍い衝撃音と共に、ナツの鳩尾にエルザの握りしめられた拳が突き刺さった。


「ひっ……!??」
「少しは楽になるだろう」


私の思ってた“少しは楽”と違う……。今まで強い印象しかなかったナツが乗り物酔いで弱っているとはいえ、いとも簡単に崩れ落ちる光景はなんとも筆舌に尽くし難いものだった。こんな展開は全くの想定外だけれど、もらったお茶を飲まなかったのは奇しくも正解のようだ。

自分の膝の上に頭を乗せて気絶したナツの桜髪に、何気なく指を通すエルザは女神みたいな微笑みを浮かべている。行動と表情とのギャップが異様に恐ろしい。思わず隣へと身を寄せると、グレイもハッピーも同じように言葉を失っていた。やっぱり、これが普通の反応らしい。


「あの、エルザはどんな魔法を使うのか……って、聞いてもいい? ギルドではナツとハッピーの魔法以外は見たことなくて」


ナツのことはもうどうしようもないのでなるべく視界に映らないようにしつつ、列車に乗る前に渡しておいたお茶の缶を傾ける彼女にずっと気になっていた疑問を投げかけた。だって、あんなにも巨大な角を持つ魔物を打ち倒すほどの力なのだ。年齢は自分とあまり変わらなさそうに見えるし、性別も女性だというのにすごい。

あとは、単純にこの世界の魔法について多かれ少なかれ興味があるからで。どんなにこちらの理に圧倒され辟易しようとも、その一方では前の世界には存在しなかった概念にどうしても心を惹かれてしまう部分があった。


「エルザの魔法はキレイだよ。血がいっぱい出るんだ、相手の」
「えっ」
「大したことはない……私はグレイの魔法の方が綺麗だと思うぞ」
「そうか?」


衝撃の事実を告げたハッピーになんと返そうか迷っている内に、エルザの言葉に首を傾げたグレイが会話の流れのままに両手を前に掲げた。どうやら魔法を見せてくれるらしい。ハッピーから彼の手元へと視線を移動させて、じっと見つめる。左の掌を上に向け、そこに重ねるようにもう片方の握った拳を置くと、彼が僅かに力を込めた。そうして、すぐに慣れたように右手を開く、と。


「わあ……!」


ーーキラリ。照明を受けて光り輝く、妖精の尻尾のギルドマークがあった。


「氷の魔法さ」
「すごい、綺麗……! ね、ねえ、これ触っても平気?」
「ん? おう、そんなにすぐには溶けねえよ」


手の中の氷を指差しながら尋ねると、グレイは快くそれを差し出してくれた。両手で恐る恐る受け取った氷がころりと転がる。肌に触れると急激にその部分が冷やされていき、周囲にも冷気が漂ってくる。本物の氷を持った時と相違なかった。これが魔力で生み出されているなんて……。どういう理屈かは全くわからないが、とにかくすごい。

散々眺めて納得すると、今度は指先で摘んで太陽に翳してみた。ちょうど窓側の席だったので、容易に光へと辿り着く。精巧に作られた鳥のようなマークに差し込んだ陽光は、氷の表面と内部で複雑に屈折し、宝石のような輝きを魅せた。ほう、と感心から無意識に吐息がこぼれる。透明な氷の場合、入射した光はほとんどがまっすぐに通り抜けるらしいが、このマークは原石がカットされた姿とよく似ているので、おそらくそれが煌めきを生み出しているのだろう。


「きれいだね……クリスタルみたい……」
「お、おいおい……さすがにそりゃ大袈裟じゃねーか?」
「グレイ、言っとくけどルーシィは本気だよ。ナツがハコベ山で魔法使ってた時も言ってたんだから。あと、ルーシィ今聞こえてないと思う」
「はあ? クソ炎のどこが綺麗なんだよ。つか聞こえてないって、どんだけ夢中になってんだ……」
「ふふ、女の子らしくて可愛いじゃないか」


名残惜しくも氷をグレイに返そうと窓から離れて振り向くと、何故か彼にはすいっと目を逸らされた上に、ハッピーとエルザには何やら生暖かい瞳で迎え入れられたので大量の疑問符が舞った。この短時間で何があったというのだろう。とりあえず、お礼を言いながらそっと氷を差し出すと、グレイは「ん」と一言だけ応えてギルドマークを握りしめる。そして、一瞬で影も形もなくなった氷に、出し入れ自由なんて本当になんでもありだな、ともう何度目かもわからない感想を抱いた。


「で、そろそろ本題に入ろうぜ、エルザ。一体何事なんだ。おまえほどの奴が人の力を借りたいなんて、余程だぜ」
「そうだな……話しておこう。先の仕事の帰りだ。オニバスで魔導士が集まる酒場へ寄った時、少々気になる連中がいてな……」


そうして、エルザが語り出した内容はなんとなく不穏な雰囲気を帯びたものだった。酒場で賑やかに机を囲み、ごく普通の談笑をするただの男性グループだと片付けるには、少しばかり出てくる単語が怪しい。


「ララバイ?」
「子守歌……? だとすると、眠りに関する魔法?」
「わからない……しかし、封印されているという話を聞くと、かなり強力な魔法だと思われる」
「話が見えてこねえなァ……。得体の知れねえ魔法の封印を解こうとしてる奴らがいる……だが、それだけだ。仕事かもしれねえし、何てこたァねえ」
「そうだ……私も初めはそう気にはしてなかった」


エリゴールという名を思い出すまではな。そう続けたエルザの眼差しが、不意に凍てつく氷のように鋭くなる。グレイに先程見せてもらったささやかな魔法の片鱗よりも、ずっと冷え冷えとしていた。

彼女があからさまに顔を顰める相手であるエリゴールという人物は、魔導士ギルド鉄の森 アイゼンヴァルトのエースで、“死神”という二つ名を持っているらしい。漫画やアニメの世界ではよく見る二つ名だが、実際に聞くとなんとも物騒な響きだった。


「暗殺系の依頼ばかりを遂行し続けついた字だ」
「あ、暗殺……っ!? 魔導士ギルドにはそんな依頼も来るの……?」
「いや、本来なら暗殺依頼は評議会の意向で禁止されているのだが、鉄の森は金を選んだ」


その結果、六年前に魔導士ギルド連盟を追放され、現在では闇ギルドという分類にあるようだ。


「なるほどねぇ……」


グレイが納得したように浅く顎を引く。闇ギルドかあ。ナツが言うには、法律無視だからおっかねー、だったか。必然的に、その人達が狙っている“ララバイ”とやらの危険性が増していく。まだ想像の域は出ないとはいえ、わざわざ暗殺を選び続けるような人物なのだ。求める何かが杞憂に終わるのか判然としなかった。


「追放された人達はみんな捕まったの?」
「全員ではないな。当時、鉄の森のマスターは逮捕され、ギルドには解散命令が出された。しかし、闇ギルドと呼ばれているギルドの大半が、解散命令を無視して活動し続けているギルドのことなのさ」
「なるほど……」


よくある話だ。一度でも犯罪を侵した者は、そう簡単には元の生活には戻れない。真っ当な人間には戻りづらいのだ。解散命令に素直に応じないのも想像ができる。言われて、はいわかりました、とすぐに足を洗い心を改められる人ならば、そもそも闇ギルドと呼ばれるところまでは堕ちていないだろうから。

一瞬の沈黙が落ちた時、ちょうど列車が止まった。目的の駅に到着したようだ。エルザとグレイは話しながら降車の準備をしていたので「先に降りてゴミを捨てておくね」と伝え、ナツ以外のお茶の缶を集めて外へと向かう。二人のお礼の声を背に駅内のゴミ箱を目指していると、数秒も経たずにハッピーが追いついてきて缶を持つのを手伝ってくれた。


「ルーシィ、バッグ持ってるから大変でしょ。オイラも手伝ってあげる」
「ありがとう。ハッピーは優しいね」
「あい! それほどでもあるよ」


なあにそれ、と二人で笑い合いながらゴミを捨て、降車した付近へと引き返して行く。途中で発車した列車を横目に、遠くから確認できた鮮やかな緋色を目印にして駆け寄った。


「……というわけだ、ルーシィ。鉄の森に乗り込むぞ」
「うん? どういうわけ? もしかして、正面突破するの……?」
「面白そうだろ? で、エルザは鉄の森の場所は知ってるのか?」
「それをこの町で調べるんだ」


例の大荷物を引きずって先頭を行くエルザの後を追う。何が面白いのか全くわからないが、少し楽しげなグレイにふとナツの面影が重なった。彼も先日の仕事の際に“突撃のT”だ、と言っていたから。妖精の尻尾の面々は、皆一様に正面を突っ切って行くのが好きなのか。そういえば、そのナツの具合は良くなったのだろうか。様子を窺おうと彼の名を呼びながら振り返り、固まった。

ーーあれ?

いない……? ぱちりと目を瞬く。ああ、気づかなかっただけで前方にいたのか。そう思い直し再び進路へと視線を向けた。しかし、予想に反して視界に映ったのは“三人”の背中のみ。エルザ、グレイ、ハッピーのものだ。慌ててもう一度辺りを見回したが、人混みの中に目立つ桜色は見つけられなくて。


「ナツ……? ま、まさかね、」


ひやり、と冷たい予感が背筋を這ったのは、初めて会った時のナツを思い出したからだった。列車の中で倒れていた姿が鮮明に蘇る。いや、落ち着け。もしかしたら、どこか……そう、例えばお手洗いにでも行っているのかも。僅かな希望を胸に、わななく唇で先程よりも遠のいた三人を呼び止めた。


「ねえ、みんな! 待って……っ!」
「どうした、ルーシィ?」
「なんかあったのか?」
「なにー?」
「ナツが……ナツが見当たらないんだけど、どこかに行ってるの?」


瞬間、場の空気と三人がぴしりと固まった。

そうして、悟る。あの時、横目で見送った列車の中にいたのか、と。




「なんということだ! 話に夢中になるあまり、ナツを列車においてきた! あいつは乗り物に弱いというのにっ! そういうわけだ、列車を止める!!」
「ど……どういうわけ?」
「仲間の為だ。わかってほしい」
「無茶言わんでくださいよっ! 降りそこなった客一人の為に列車を止めるなんて!」
「ハッピー!」
「あいさー!」
ーージリリリリ!!
「ナツを追うぞ! すまない、荷物を『ホテル チリ』まで頼む」
「誰アンタ……」
「……エルザっていつもこんな感じなの?」
「ああ、いつもこんなだな……」
「えっ、あれ、グレイ服は……!?」
置き去りの桜色