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「あいたっ」


魔動四輪車が角を曲がった際の遠心力を殺しきれず、ゴン! と強かに側頭部を壁に打ちつけた。一瞬、星が舞った気がする。ぐっと顔を顰めながらぶつけた部分を片手でさすっていると、今度は逆方向へと体が引っ張られた。咄嗟に窓枠を掴み、堪える。窓から見える景色はひどく騒然としていた。ものすごい速度で過ぎ去っていく街並みの中に、時折この四輪車が薙ぎ倒したあらゆる物体が混じっているのだ。

テーブルにイス、木箱、野菜、エトセトラ……。そのうち人を跳ね飛ばすのではとひやひやしてしまう。各所であがる一般人の悲鳴に、つい耳を塞ぎたくなった。ああ、なんということ。着々と心に罪悪感が積み重なっていく。これではどちらが犯罪者かわからない。というか、帰る頃には私達が犯罪者になっているのかもしれない。


「ルーシィ、頭打ったの? 大丈夫?」


外から聞こえてくるエルザとグレイの会話になんとなく意識を向けようとして、ふと隣からのハッピーの心配げな声に気づいた。口元を綻ばせ、振り返る。


「もう平気だよ。心配してくれてありがとう」
「うん。……そういえば、なんかルーシィに言うことあった気がする。忘れたけど」
「え? なんだろう……」
「うーん、なんだっけ……」


うんうん、とハッピーが頭を抱えて唸り始めた。魚、変、魚……とよくわからないループを呪文のようにひたすら唱えている。お腹でも空いているのだろうか。「キモチ……悪……」「な、ナツ!? 落ちちゃうよ!」静かにハッピーを見守ろうとした矢先、向かい側の窓からナツが上半身を投げ出しているのを発見した。慌てて飛びつく。冷や汗を浮かべながらも、彼の胴体に腕を回してなんとか座席へと引き戻す。


「う”おお……落として、くれ……」
「だめだよ……洒落になってないって」


自殺願望者か?? 今現在のエルザによる魔動四輪車の速度がどれほどのものなのか、まさかおわかりになってない? 私も正確な数値は実のところ知らないが、体感的には前の世界の自動車と遜色ない。つまり、落ちたらやばい。今度こそ、無事では済まないだろう。窓枠に顎を乗せてふよふよと魂を飛ばしているナツを、それ以上先には進ませまいと黒い羽織りをひしりと握り締めて、しばらくの間その場に縫い止めていた。




「皆さん、お下がりください! ここは危険です。ただ今、列車の脱線事故により駅へは入れません。内部の安全が確保されるまで駅は封鎖します」


オシバナ駅に辿り着くと、駅内からは何やら煙が吹き出しており、その事件性に吸い寄せられた野次馬で溢れかえっていた。駅員が拡声器で必死に呼びかけているようだが、大した影響力はない。こういう時の人間の結束力は恐ろしいのだ。周りでは、テロやら軍隊やら、と不穏な単語が飛び交っている。ただの脱線事故ではなく、鉄の森が潜んでいるのかもしれない。

行くぞ、と徐にエルザが一番外側にいた人を押し除けた。あっという間に人混みに紛れた緋色が遠退いていく。


「え、エルザ!? でも封鎖って……」
「そんなん聞いてる場合じゃねえだろ。逸れんなよ、ルーシィ」
「うぷ……」
「おまえは人酔いしてんじゃねえ!」


続いてグレイが慣れた様子で突き進む。二人とも背が高めなので、人の圧に呑まれにくいのだろう。羨ましい。ハッピーは翼で人々の頭上を飛んでいる。こちらはチートだ。時折、周囲の肘や背中に押され思うように動けないことに辟易しながらも、隙間を見つけては懸命に追い縋る。そうして、ぐんぐんと距離が離れていくエルザとグレイを前方に、後続で私とナツが手間取っていた時だった。不意に、桜色が視界から消える。


「ナツ……!?」


ぎょっとして横を振り向くと、人の波にあれよあれよとさらわれていくナツがいた。反射的に手を伸ばすが、もちろん届かない。意識が朦朧としているのか、返事もなかった。直進とは程遠い、あらぬ方向へと進んでいる姿に焦る。慌ててハッピーに視線を送るも、すでに先頭にいるようなので、例え声をあげたところでこの喧騒では届かないだろう。腹を括り、自分で助けに行くことにした。さすがに、二度目の置き去りはあまりにも可哀想で。

突然に進路を変えると周りは心底迷惑そうな顔をしたが、すみませんとぺこぺこ謝り倒していれば思ったよりもすんなりと追うことができた。人だかりから弾かれて、外側で蹲っている彼の元へとしゃがみ込む。ナツは両手で口を押さえ、顔を真っ青にしていた。おまけに、目はぐるぐると渦を巻いている。出た、ガチの酔い……。まさか、ここまでの人酔いをするなんて予想外である。


「ナツ、大丈夫、じゃないよね……立てる?」
「……」


顔を寄せ、なるべく刺激をしないように小さな声で囁くものの、なかなか回復の兆しはない。普段なら乗り物が止まった瞬間に全快するはずなのだが、エルザの豪快な運転が効いたのだろうか。

とにもかくにも、このままここに留まるわけにはいかない。鉄の森に対面した時、どのように事が動くのかは未知数だけれど、きっとナツの力が必要になるだろうから。だって、エルザが直々に彼を指名したのだ。早く、みんなと合流しないと。


「ナツ……人混みは避けて迂回して行こう。肩なら貸すから」
「うぐ……ルーシィ……?」
「うん、ルーシィです」


彼の片腕を自分の肩に回して立ち上がったその瞬間だけ、ふと意識が戻ったようだったが、すぐに返答はもらえなくなった。かくりと頭が落ちて、異常に体重がのしかかる。お、おもっ。気絶した人が重いって本当だったんだなあ……。肩を貸す程度では進めそうもないので、急遽背負うような体勢に変えた。完全におんぶはできないから、半分引きずっている部分は大目に見てほしい。小さな子供ならいざ知らず、青年を軽々と担げるほどの力持ちではないのだ。

それから、常に人の密度の少ないところを選びつつ遠回りをしていくと、やがて駅の出入り口付近で三人と再会した。何故か、気絶した駅員達が地に伏している謎の絵面と共に。


「ルーシィ、どこへ行っていたんだ」
「ごめん、ナツを回収してた……」
「そうか、すまないな」
「おいおい、大丈夫かよ……」
「オイラも手伝うよ」
「ありがとう、ハッピー」


とっても助かる。飛んできたハッピーが背後に回って間もなく、ぐんとナツの重みが半減した。わあ、なんてすごい。相変わらず見た目よりもずっと力持ちだ。


「軍の小隊が突入したが、まだ戻ってこないらしい。鉄の森も出てきていない。おそらく戦闘があったのだろう。中へ行くぞ」
「おう」
「あいさ」
「うん」


倒れている駅員を踏まないように気をつけながら、先を急ぐ。意識のある何人かの駅員は何やら怯えた様子で、離れた位置からこちらを窺っていた。何かあったのだろうか。

あとでグレイから聞いた話によると、エルザが駅内の状況を把握するためにど突き回っていたらしい。どういうことなの。


「ひっ、なにこれ……軍の方々?」
「全滅!!」
「相手は一つのギルド、すなわち全員魔導士。軍の小隊ではやはり話にならんか……」


奥へ進んで行くと、途中の階段で死屍累々と散らばる軍の小隊がいた。生きてはいる、と思いたいが、ぴくりとも動かない様はぞっと背筋を凍らせる。武器である長槍は折れ、傷口からの鮮血がいやに目につく。ぎゅっと目蓋を閉じ、深く息を吸う。今になって、ようやく闇ギルドの恐ろしさに触れた気がした。

しかし、ここで怖気づいたらみんなについて行けなくなるので、「急げ! ホームはこっちだ!」と階段の一番上から急かしてくるグレイの声に従った。


「ーーやはり来たか、妖精の尻尾。待ってたぜぇ」


誰もいない通路を駆け抜け、広いフロアに出る。目の前が開けたその瞬間、正面に集団が待ち構えているのが見えた。ひどい人数差に思わず唇を引き結ぶ。私達の十倍はいるかもしれない。

こちらの所属を言い当てた大鎌を持つ銀髪の男は、例の死神だろうか。風貌がなんともそれらしい。大勢の嘲るような視線が突き刺さり、ナツを抱える腕に無意識に力が入る。


「貴様がエリゴールだな。貴様らの目的はなんだ? 返答次第ではただでは済まんぞ」
「遊びてぇんだよ。仕事もねェし、ヒマなモンでよォ」


エルザが相手に凄んでいる間に、ナツを起こそうと体の前側で抱え直す。ほとんど抱きしめるみたいな体勢になってしまったが、まあいいだろう。気にせずに様子を窺う。何度か呼びかけていると、不意に彼が何かを呟いた。周りでは鉄の森の方々が何やら笑い声を響かせていたので、よく聴こうと耳を寄せる。「この、声……」声? 私のものに対する反応にしては少しおかしい。別の誰かの声を拾ったのだろうか。疑問に思いながらも、ナツの背をぽんぽんと軽く叩く。


「ナツ、ナツってば……ねえ、起きて」
「無理だよ、ルーシィ。列車、魔動四輪車、人混み、三コンボだ」
「そんなぁ……だって相手めちゃくちゃ殺気立ってるし、」


ナツがいてくれた方が心強いのに。そう胸の内で呟いて、めげずに彼の名を呼び続ける。不意に、エリゴールがふわりと宙に浮かび上がった。唖然と言葉を止める。と、飛んでる……。ナツから離れたハッピーも「風の魔法だっ!」と目を見張っていた。


「まだわかんねぇのか? 駅には何がある」
「駅?」


エルザが思案するように呟くものの、時間切れを示す死神が「ぶー」と嗤った。その手が徐にスピーカーを叩く。


「ララバイを放送するつもりか!!?」
「なんだと!?」
「ふははははっ!!」


焦燥に駆られるエルザとグレイを、高みの見物の如く上空から見下ろして大笑いで返す姿は悪役そのものだった。とても愉しそうだが、しかし。放送で、果たしてララバイの効果が得られるのだろうか。笛の音を聞いただけで対象を殺すような魔法だ。機械を通さない生の音色にこそ、その力が宿るイメージがある。ただし、これは間違っても試す真似はできないので、何の役にも立たない想像止まりでしかないけれど。


「この駅の周囲には何百……何千ものヤジ馬どもが集まってる。いや、音量を上げれば街中に響くかな……死のメロディが」
「大量無差別殺人だと!?」


もしも、ララバイが放送でも機能するならば、それは大勢の人が命を落とすことと同義だ。死神は語る。権利を奪われた者の存在を知らずに、権利を掲げ生活を保全している愚か者どもへの粛清なのだ、と。


「この不公平な世界を知らずに生きるのは罪だ。よって死神が罰を与えに来た。“死”という名の罰をな!!」


言っていることがめちゃくちゃだ。まるで、子供の癇癪のよう。これが、人が踏み越えない線を超えてしまった故の思考回路だろうか。そんなことをしたって罪が増えるだけなのに。顔を顰めていたのがバレたのか、ふとエリゴールと目が合ってしまって、ぎくりと肩が跳ねる。


「それが何になる、というような顔だな。しかし、ここまで来たらほしいのは“権利”ではなく、“権力”だ。権力があれば全ての過去を流し、未来を支配することだってできる」
「残念だな、ハエども」


鉄の森の一人が身を屈め、床に手をついた瞬間だった。腕の中のナツがぴくりと震えた気がして。


「闇の時代を見ることなく死んじまうとはな!!」
「え……っ!?」


突如、目の前まで伸びた影が数歩手前で実体を持ち、襲いかかってきた。初めて見る魔法。予想もしない急展開。迫る巨大な手を前に、なす術もなく反射的に片足を引く。星霊を呼ぶ時間はない。そもそも両手が塞がっている。両手……そうだ、このままだとナツが危ないではないか。そこに思い至ったら、勝手に体が動いていて。みんなの焦った声を意識の外側で聞きながら、一歩引いた足を利用して回れ右の要領でくるりと体を反転させる。打算も何もない、正真正銘、咄嗟の行動だった。

攻撃に背を向け、ぎゅうとナツを守るように力を込める。痛みを覚悟して目を閉じた、刹那。力強く抱き寄せられる感覚と、覚えのある熱が周囲で弾けた。


「やっぱりオマエかぁぁあっ!!」
「ナツ! って、あっつ……!?」


しかし、意識が戻ったことを喜ぶ暇はなく。慌てて離れ、素早く彼の背後に回る。あ、危ない……焼けるかと思った……。


「今度は地上戦だな!」
「てめ……」


ナツの言葉に、先程攻撃を放った男が嫌悪の表情を浮かべた。背中越しにそれを見て、なるほどあの攻撃はナツを狙ったものだったのかと納得する。同時に、列車で出会したと言っていた鉄の森の人物も彼なのだろうと察した。


「うお! なんかいっぱいいる」
「鉄の森だよ。私達の追ってた人達」


目を丸くするナツへこそこそと補足を囁く。不思議と彼の後ろにいると安心した。完全な他力本願に心の中で苦く笑いながら、敵意を放つ大勢を見据える。

エルザも、グレイも、ハッピーも。ナツが復活を果たして、少し面持ちが変わった気がした。彼はそれだけ三人の中でも大きな存在なのかもしれない、と。そう感じた。




「あとは任せたぞ。オレは笛を吹きに行く。身の程知らずのハエどもに、鉄の森の闇の力を思い知らせてやれぃ」
「逃げるのか! エリゴール!!」
「くそっ! 向こうのブロックか!?」
「ナツ! グレイ! 二人で奴を追うんだ」
「「む」」
「二人が力を合わせれば、エリゴールにだって負けるはずがない」
「「むむ……」」
「ここは私とルーシィでなんとかする」
「え……(あの数を??)」
「エリゴールはこの駅でララバイを使うつもりだ。それだけはなんとしても阻止せねばならない……聞いているのかっ!!」
「「も、もちろん!!」」
「行け!」
「「あいさー!」」
「(早くも戦力が分散してしまった……)」
死神の粛清