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駅の出入り口に向かうと、内外を突風が隔たっていた。まるで、竜巻がその場で留まるように。不思議なのは見た目ほど風を感じないことだ。なんだか台風の目を思わせる。魔法らしい魔法のくせに、風の性質はある程度残っているのだろうか。わからない。外の様子を窺いたくても、できないほどに分厚く濁っているのだから。


「エリゴールの狙いは定例会だったの?」
「ああ……だけど、この魔風壁をどうにかしねえと駅の外には出れねえ」


もどかしそうに顔を顰めたグレイに頷き、恐る恐る風の層へと近づいてみる。「おい、危ねえぞ!」「大丈夫、触りはしないから」さすがに触れる勇気はない。背後の焦った声を聞きながら、先程拾った氷の欠片を取り出した。置いてくるのを忘れていたのだ。まだ溶けていないそれを、少し距離の離れたところから、ぽいっと何気なく風の中に放り込んでみた。

直後、パリン! と軽い音を立てた氷が木っ端微塵になった。


「……???」


きらきらと輝く粒が、一瞬で遥か彼方に消えて行くのを茫然と見送る。どういうことなの。口元が引きつり、ゆらゆらと後退していく。想像と違う。吹き飛ばされるのは想定していたが、切り刻まれるのは明らかに挙動がおかしい。例え竜巻だとしても、家や木を飛ばすことはあれど、文字通りの粉々にするまでは至らないはずだ。つまり、人間が通ったら間違いなく死ぬ。


「どどど、どうするのこれ……?」
「それを考えるんだよ。つーか今のなんだ?」
「放送室で拾った氷……」
「放送室? って、オレのじゃねーか!」


ぐもっと目を見張るグレイに、勝手に使ってごめんと返しつつ肩を落とす。検証に使ったのは小さな欠片だったので正確な判断はできないが、この様子だと彼の魔法も通用しなさそうだ。今現在、手をこまねいている時点でお察しである。


「ぎゃああああっ!!」
「ちなみに生身で突っ込むとこうなる」
「ちょ、冷静に言ってる場合……!?」


魔風壁へ無謀にも体当たりを決めたナツが勢いよく弾かれてきた。それに、ひょいと指を指すグレイ。二人の仲の悪さを垣間見た瞬間であった。


「こんなモンつきやぶってやるぁっ!!」
「ナツ! やめてよ、ナツがばらばらになるところなんて見たくないって……っ!!」


弾かれるだけで済んだのは奇跡なのだ。エルザの腕だって、この風で負傷したと聞いたし……。炎を手に突き進もうとするナツの羽織りを必死に掴む。グレイが呆れたようにため息をついた。


「バカヤロウ……力じゃどうにもなんねえんだよ」
「ちから……? そうだ、ナツ! ナツの魔法でこの辺りの空気を温められないかな……!?」
「はあ? 何言ってんだルーシィ」


動きを止め、くるりとこちらを向いたナツから手を離し、身振り手振りで空気の流れを表す。この時ばかりは考えるのに必死で、その場にいた全員の視線が突き刺さっていることなど気づいていなかった。


「上昇気流をつくるの。完全に魔風壁を解けなくても、空気の流れくらいは多少変えられるかも……!」
「……?? 全然わかんねえ」
「えっ」


難しい説明は何もしていないはずなのにおかしいな……?? グレイに風を程よく冷やしてもらえればより効果的、と続けようとした言葉を呑み込む。冷たい空気は温かい方へ流れるというのは常識かと思ったが、まさかこの世界では一般的ではないのだろうか。いや、そんなはずは。

詳しい仕組みを説明できる自信も、それをしている時間もないため、どうしようかと口を噤んでいると、不意に悩みの種であるナツにがしりと両肩を掴まれた。顔を上げる。


「それよか、ルーシィ! 星霊は!?」
「え? ……風を操れるような友人はいないけど、」
「そうじゃねーよ! エバルーの屋敷で星霊界を通って場所移動できただろ!」
「あ、あれはまぐれだよ……!」


あの時のことを思い出して、無理だと首を振る。そもそも、人間は星霊界では息ができないらしいのだ。魚が水中以外で生きられないのと同じこと。それに、その状況を再現するなら駅の外に最低一人は星霊魔導士がいなくてはならない。ということを、一つ一つ訴えたのだが、やっぱりナツは難しげに眉を寄せた。


「ややこしいな、いいから早くやってくれよ」
「できないんだって……。あと、前は公爵の鍵だったから私に影響はなかったけど、本当は星霊界に人間が入るなんて契約違反なんだから」
「あーー!!」


唐突にハッピーが鋭い叫び声をあげた。びくりと心臓が跳ねる。振り返ると、全員の注目を浴びた彼が、よろよろと千鳥足のような不安定さでこちらに向かって来ていた。先程までエルザと共に鉄の森のカゲヤマという男の容態を見ていたのに、何かあったのだろうか。見守っていると、ちょうど私の足元でハッピーが立ち止まり、徐に背負っていた風呂敷を探り出す。


「ハッピー? 急にどうしたの?」
「オイラ思い出したんだ! ルーシィに言おうと思ってたこと!」
「それって魔動四輪車の中で言ってた……?」
「そう! これ!!」


しゃきん、とハッピーが剣を掲げる勇者のように、何かを天に突き出した。しゃがみ込んでよく観察してみる。

眩く光る金色。細やかな造形。美しい装飾品のようなそれはーー。


「星霊の鍵……!? しかも、そのマークって乙女座! どうしてハッピーが公爵の鍵を……?」
「バルゴ本人がルーシィへって。エバルーが逮捕されて契約が解除になったらしいよ。それで今度はルーシィと契約したいって、オイラんち訪ねてきたんだ」
「え、本人が私と? 嬉しいけど、なんでだろう……?」


星霊魔導士が鍵を入手し契約に至るのは普通の流れだろうが、星霊が自ら契約者を選ぶというのは滅多に聞かない話である。おかしいとは思わない。星霊にも意志があるから、そういったことも起こり得るだろう。ただ、バルゴとは対面はしたものの、直接話したことはなかったので、彼女が何を思ってその決断をしたのかが不思議だったのだ。

何はともあれ、これは光明だ。


「何の話だ?」
「こんな時にくだんねえ話してんじゃねえよ」
「バルゴ……ああっ! メイドゴリラか!」


エルザとグレイがついていけないとばかりに嘆息し、唯一その相手を知るナツがぽんと掌の上に拳を乗せる。対する私は、湧き上がる高揚感に思わずハッピーを抱き上げ、その場でくるくると回ってしまった。「すごいよ、ハッピー!」「でしょ〜!」しかし、時間がないことはわかっていたので、数回転でやめておく。ハッピーにお礼を言って鍵を受け取ると、蚊帳の外となっている三人の目線の高さで鍵を掲げた。

脳内に浮かぶのは、初めて会った時のバルゴの様子。床に大穴を開けて登場した、その瞬間だった。


「この鍵の星霊はね、地面に穴を掘ることができるみたいなの。つまり、魔風壁の下を通って駅の外に出られるかもしれない」
「なに!?」
「本当か!?」
「絶対とは言い切れないけど……とにかく、やってみるね」


僅かな可能性にでも縋りたいのだろう。エルザとグレイが息を呑み、こくりと頷く。ナツは異様に静かなのが気にかかったが、エバルー屋敷でバルゴの能力を知っていたから、単に不安に思わなかったのかもしれない。

みんなに背を向け、少し距離を置く。大きな体躯を予想していたからだ。すう、と呼吸を整える。それから、心と魔力を込めて、金色の鍵を前へと掲げた。大切に台詞を紡ぐ。


「……我、星霊界との道をつなぐ者。汝、その呼びかけに応え門をくぐれ」


見慣れた金の光が鍵の先端に集まっていく。


「ーー開け、処女宮の扉……バルゴ!」


視界いっぱいに広がった光が一瞬で弾けて、そこにいたのは。


「お呼びでしょうか? ご主人様」
「え??」


全く知らない人であった。ぱっちりとした両目に、それを取り巻く豊かな睫毛。人形のように愛らしい顔立ち。高く澄んだ声音と、均整のとれた体型。前と同じ部分といえば、桃色の頭髪と身に纏うメイド服くらいだ。記憶の中のバルゴの姿ががらがらと崩れていく。目の前の人物がまさか同一人物だとは思えなくて、しばらく鍵を突き出したままに固まっていた。


「やせたな」
「あの時はご迷惑をおかけしました」


痩せたというか、もはや別人の域。しかし、ナツと話題が合うということは、かつて巨体を持っていたメイドで間違いないのだろう。テレビ番組もびっくりの、仰天かつ劇的な変わり様である。

ふと、バルゴがこちらを向いた。完璧な笑みと共に。


「私はご主人様の忠実なる星霊。ご主人様の望む姿にて仕事をさせていただきます。ご主人様はどんな姿をお望みですか?」
「どんなって……特にないかな。バルゴの好きな姿でいいよ」


何気なく返すと、彼女の藍色の瞳が大きく見開かれた。応答はない。首を傾げていると、横からナツが現れた。「前の方が迫力あって強そうだったぞ」「……では」これ幸いと、彼の発言に乗ろうとするのを慌てて止める。バルゴ自身の意思でないと意味がないのだ。好みの姿がないのなら、今の方が話しやすいからそのままでいて。そう伝えると、彼女はどこかほっとした様子で深く頷いていた。


「今はあまり時間がないの。契約は後日でもいいかな?」
「かしこまりました。ご主人様」
「待って、その呼び方やだ……」


急がなくてはと思いつつも、呼ばれ慣れない響きが背筋を騒つかせてくる。星霊とは対等な関係でありたいのに、これでは主従そのものではないか。なんとも言えない感覚と闘っていると、バルゴの視線がすいっと移動する。「では、“女王様”と」「どこ見て言ってるの?」確実に護身用の鞭を見られていたような。何を想像したのか知らないが、もちろんそれが趣味で使われることはない。


「では、“姫”と」
「え?? あ、もうそれでいいよ……」
「諦めたな……。つーか急げよ」
「そうだね、うん。それじゃあ、バルゴ。お願いします」
「かしこまりました。いきます!」


地面に潜ったバルゴが一瞬で見えなくなり、周りからは歓声があがった。彼女の通った後を覗き込む。人間が楽々と入れるほどの空間があり、問題なく外に出られそうだった。「いいぞっ! ルーシィ!」「硬っ……!?」その後、感極まったエルザによる不意の抱き寄せにより鎧の防御力を知ることとなったが、結果的に駅外へは脱出を果たした。


「わ、すごい風……! 飛ばされそう、」
「姫! おへそが見えそうです!!」
「バルゴ!? いや、スカート! 自分の隠して……!?」


確かに、突風によって服が捲れたような感覚はあったが、それよりもまずいものが視界をひらひらしていたため、慌ててバルゴのスカートを押さえ込む。彼女はメイド故の奉仕精神なのかなんなのか、真剣な表情で私の裾を掴んでいた。向き合ってしゃがみ込み、ひたすらにお互いを気遣う謎の絵面に、グレイが「自分で自分の押さえりゃいいじゃねーか……」と呟くのが聞こえる。全くその通りだ。


「! ナツはどうした!?」
「あれ、いつの間に……」
「ハッピーもいねえぞ」


忽然と消えた桜色に、三人で顔を見合わせる。それから、すぐに魔動四輪車をとってくるとエルザが一目散に駆け出した。彼女の背中を見送り、なんとなく空へと視線を向ける。そこに、ナツとハッピーの姿はすでになかったけれど、ただ無事でいてほしいと心の中で祈った。




「バルゴ、力を貸してくれてありがとう。本当に助かったよ」
「……」
「今日は時間がないけど……また今度、契約の時にでも話そうね」
「……」
「バルゴ……? 大丈夫? もしかして、具合悪い?」
「! いえ……いいえ、なんでもありません。ただ、“あの時の彼”はこんな感覚だったのか、と」
「彼?」
「ふふ……では姫、私はこれで。またいつでもお呼びくださいませ」
主の願いを叶える者