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まさか、線路の上を列車以外で辿ることになるとは思いもしなかった。前の世界でもそういった記憶はない。魔動四輪車に揺られながら、恐々と大渓谷を覗き込む。この光景も自分にとっては珍しいものだ。角度のせいもあり、谷底は見えない。どれほどの高さを走行しているのかは不明だが、遠くに視線をやるとなんとなく浮いているような気にもさせられる。

そんなこの線路は、定例会の会場があるクローバーの町への唯一の交通手段だったらしい。故に、鉄の森はオシバナ駅を占拠したのだと聞いた。危険極まりない行為も、駅が封鎖された今だからこそできる荒業だ。列車に跳ね飛ばされる心配がないと喜ぶべきか、それとも列車で向かえたはずなのにと嘆くべきか。

もちろん、本当は“良い子は真似しないでね”と注意書きが出るようないけない行動なので、そもそも線路に侵入しようという思考がアウトなのだけれど。人の命には変えられまい。


「ったく、鉄の森の周到さには頭が下がる。ご丁寧に魔動四輪車を破壊しやがって」
「あれって私達が弁償するのかなぁ……」
「勘弁してくれ」


向かい側に座るグレイが、ふと隣のカゲを横目で軽く睨み肩を竦めた。それに深く頷きながら、屋根へ繋がるポールをぎゅっと掴む。行きで使った魔動四輪車と違い、こちらの方が造りが甘いというか、少々古い型のような気がした。窓どころかほとんど壁がないので風を受け放題、かつ周囲の温度にも影響されやすい。屋根は暗幕のような材質で、日差しをある程度遮る以外はあまり効果がなさそうだった。


「ケッ……それで他の車盗んでちゃせわないよね」
「借りただけですよ……。街の人がいなくて手続きができなかったって、エルザが言ってたじゃないですか」
「どうだか」


悪態をついたカゲがふいっとそっぽを向く。あなた方のせいで避難する羽目になって、結果的に街から人が消えたというのにこの態度。さすが、闇ギルド。満身創痍なのに肝が座っている。私ならとっくに心が折れて詰んでいるはずだ。

しかし、そのまま沈黙するかと思いきや、彼は控えめにこちらを窺ってきた。何かを迷うような表情は、駅のホームで攻撃してきた時のものとは明らかに違う。躊躇いがちに唇が動く。


「な……なぜ僕をつれてく……?」
「? 病院につれて行くんですよ。ひどい怪我をしてますし……」


あと、エルザとグレイも見てもらった方がいい。二人の怪我を思い浮かべて心の中で付け足していると、対面の彼がくわっと目を吊り上げた。


「違う!! なんで助ける!? 敵だぞ!」
「そ、そう言われましても……。私には敵とか……そういう線引きがよくわからないので」
「は……?」


敵、という言葉にずっと違和感を覚えている。前の世界では、敵といえば漫画やゲームの中にしかいなかったから。それがモンスターの時もあれば、人間を指す場合もあるだろう。いずれにしても、創作物の存在だ。実在する動物や人間を敵と称することは、きっと少ない。昔はよく使われていたのかもしれない。けれども、自分が生きた時代はありがたいことに平和なものだったのだ。


「……あなた方が悪いことをしようとしてるのは理解してます。でも、同じ人間じゃないですか。偉そうなことは言えませんが……道を踏み外すなんて誰にでも起こり得ますよ」


誰にだって罪を犯す可能性は纏わりついている。もちろん、私にも。わざとやろうという意思はないが、結果的にそうなってしまう未来もあるかもしれない。そもそも、過去に人様の屋敷に侵入して本を盗み出しているから、本気で他人事ではなかった。

人間は生きている限り、多かれ少なかれ何かしらの罪を犯す生き物だと聞いたことがある。鉄の森が権利を奪われたのは、その罪が甚だしく、国に目をつけられたからだ。しかし、彼らが捕まったところで、隠すのも隠れるのも上手い犯罪者はきっと世界中に溢れている。世の中とはそういうものである。こればかりはどこへ行っても変わらない、人間の性質なのだろう。

それでも、やり直す機会はあってほしいと思う。被害者からしたらとんでもない偽善だろうし、自分もその立場になった時に相手を許せるかどうかはわからないけれど。でも、結局ーー。


「でも、死んでしまったら……それで終わりなんです。どれだけ後悔しても、もうやり直せません。“二度目の人生”なんて期待しない方がいいですよ」


きっと、大変なだけなので。そこまで言って苦く笑う。勢い余って要らないことまで喋ってしまった。人生は一度きり。その当たり前の事実に対して、自分自身の存在が一番説得力のない、理解し難いイレギュラーのくせに。

彼はしばらく目を丸くして閉口していたが、やがてぶつぶつと何かを呟き始めた。小さくてよく聞こえない。耳を澄ませてみる。なになに。「そうか、わかったぞ……僕を人質にエリゴールさんと交渉しようと……。無駄だよ、あの人は冷血そのものさ。僕なんかの……」いや、びっくりするほど何も響いてない。思わず顔を覆った。これではただ、電波のような台詞を言ってしまっただけではないか。恥ずかしい。消えてしまいたい。


「死にてえなら殺してやろうか?」
「助かる……」
「はっ? なんでルーシィを殺さなきゃなんねえんだよ」
「あ、ごめん、なんでもない」


ちょうど良いタイミングで差し込まれたから、つい反射で心の声がもれたらしい。ひらひらと手を振って誤魔化すと、グレイは訝しげな表情をしていたものの、仕切り直すように一つ咳払いをした。


「あー、ルーシィも言ってたが、死んだらそこで終わりだろ? 何も生き死にだけが決着の全てじゃねえんだ。もう少し前を向いて生きろよ、オマエら全員さ」
「……」


その言葉に、今度こそカゲヤマは沈黙した。何か思うところがあったのかもしれない。ちなみに、私もスリップダメージで耳が痛い。何せ、前を向けている自信はちっともなかったので。それはさておき、少しでも彼の気持ちに変化があればいいと願いながら、今回の事件に集中しようと前方を見据えた時だった。

ガタンッ! と車体が大きく揺れる。座席から滑り落ちそうになり、咄嗟にそばのポールに抱きついた。


「エルザ!」
「大丈夫!?」
「すまない、大丈夫だ」


運転席で風に靡く緋色に慌てて声をかける。ずっと魔力も体力も使っているせいで、さすがにもう限界が近いのだろう。今すぐに変わってあげたいところだが、悔しいことに魔動四輪車なんて得体の知れない代物の運転はできなかった。グレイが心配しているものの、エルザに交代する気はないらしい。二人とも魔力を温存しておけ、の一点張りである。


「あ……あの煙なんだろう?」
「煙? ナツとエリゴールか……?」
「かもしれねえな」


ふと視界に映った変化に目を凝らそうと、運転席の背後まで移動し、遠くの方を指差す。もくもくと広がるそれが、煙か土埃なのかは判然としないけれども、あの辺りに追っている人物がいるのではないかと希望を抱いた。ただし、私達以外に線路を自力で利用するような、ぶっ飛んだ思考の持ち主がいるなら話は別だが。


「……どうせ、火の玉小僧は死んでるよ」
「なんてこと言うんですか……」


不意に飛んできた不謹慎な発言に、思わずじとっと背後のカゲを睨む。彼はふふと暗い笑みを浮かべていた。


「火の魔法じゃエリゴールさんの 暴風衣 ストームメイルは破れない。絶対に」
「すと……?」


なんて?? よくわからないけれど、自分のギルドのエースに対する信頼は絶対的なものらしい。しかし、それはこちらも同じだ。なんと言っても、主人公が立ち向かっているので。主人公補正こそ、絶対である。若干ふざけながら自分に言い聞かせたのは、そうでもしないとよくない未来を想像して、指先が震えそうになるからだった。隣のグレイが少しも動じてないのをありがたく思う。

原作をちゃんと知っていたら、ここまで怖くなることもなかったのだろうか。私には、今、この瞬間が決められた道筋なのかすら判断する術がない。未来も当然、わからない。もし、ここが原作に忠実な世界だったとして、今後の内容が殺戮ばかりだったらどうしよう。ナツもハッピーも大怪我を負い、大勢のギルドマスターも命を落とすのだ。そんな未来に行き当たったなら、私は、わたしは……。

ぐっと拳を作り、無意識に俯きそうになった瞬間だった。先程よりも近づいた煙の隙間から、最近になって見慣れてきた桜色が見えたのは。


「ナツ……?」


小さく名を紡ぐと、遠くの彼がくるりとこちらを振り向いた。四輪車の音に気がついたのだろうか。随分と傷だらけで、服もぼろぼろで。黒の羽織りもどこかに消えてしまっていて。上半身裸にマフラーという、街中なら通報待ったなしの何もかもがいつもと違う彼は、しかし変わらぬ明るい笑顔で大きく手を振っていた。隣には青い猫の姿がある。安堵するよりもしばらく茫然としていたのは、きっとこれほどまでに負傷した彼を見たことがないからか。

線路は一部ひび割れ、レールは歪み、燃えている箇所もあった。そんな異常な光景の中に、エリゴールが仰向けで倒れているのを視認し、ようやっと肩の力が抜ける。大丈夫、たぶん気絶しているだけだ。ナツも無事。ハッピーも。二人とも怪我はしているけれど、それでも生きている。よかった。本当に。極度の緊張から解放され、つい泣きそうになる感覚を、深く深く呼吸をすることで押し留めた。


「遅かったじゃねえか。もう終わったぞ」
「あい」
「さすがだな」
「ケッ」
「そ、そんな……! エリゴールさんが負けたのか!?」


狼狽するカゲをそのままに、ナツとハッピーの元へみんなが集っていく。途中でふらついたエルザを慌てて支えた。「すまない……」「ううん、むしろありがとうだよ」謝る彼女へぶんぶんと首を振って、笑みを返す。エルザの根性には驚かされた。結局、事件解決まで文字通りに力を振り絞っていたのだから。エリゴールを二人が止めてくれた今、ぜひゆっくりと休んでほしい。

なんなら帰りの運転は(教えてくれれば)私がやろう。谷底へ落ちない保証はないけれども。


「こんな相手に苦戦しやがって、妖精の尻尾の格が下がるぜ」
「苦戦? どこが!? 圧勝だよ。な? ハッピー」
「微妙なトコです。というか、最後はルーシィのおかげだったよ」
「え?」


前触れもなく自分の名前が出てきて困惑する。戦闘に加わった覚えはちっともないのに、一体何の話だろうか。ナツとグレイは相変わらず言い合っているので、こちらには気づいていないようだ。てちてち、と歩み寄るハッピーを見つめていると、ぱっと短い腕を横に目一杯に広げて見せた。それをぐぐっと上に持ち上げる。


「上昇気流だよ。ルーシィが魔風壁の中で言ってたやつ。それがエリゴールに通用したんだ」
「そうなの? それはなんというか……ラッキーだったね」
「あい!」


にぱっと嬉しそうにハッピーが笑う。よくよく見ると、やっぱり彼にも細かな傷があった。いつもは青空のように綺麗な毛並みも、少し薄汚れてしまっている。しかし、この愛らしさを守る手伝いができたというのなら、咄嗟の思いつきでも言ってみるものだなあと思った。

支えたままのエルザは何も言わなかったものの、目を閉じて僅かに口元を綻ばせていた。鉄の森の企てを止めることができたと、そう噛み締めていたのかもしれない。


「おまえ……裸にマフラーって変態みてぇだぞ」
「おまえに言われたらおしまいだ。なあルーシィ、服貸してくれ」
「え? どう考えてもサイズ合わないと思うけど……」
「そこじゃねえだろ、おい」


グレイに突っ込まれたが、それよりもナツの服装の中でマフラーだけが無事なのが奇妙だった。あまりにも耐久性が高すぎる。何で作られているのだろうか。なんとなしに観察していると、ふと彼の肌にある生傷が視界に映り込み、慌てて目を逸らした。なんて痛々しい。これで自分以外はもれなく病院行きだ。お願いだから、できるだけ早く見てもらってくれ。


「何はともあれ、見事だナツ。これで、マスター達は守られた」


少し回復したのか、エルザが体勢を整えみんなを見渡す。今後の方針は、定例会の会場まで行き、マスターに事件の報告と笛の処分について指示を仰ごうとのことだ。どうやらクローバーの町はここから近いらしい。

穏やかな空気が周囲を満たし、ぼんやりと遠くに見える町を眺めていると、どんっと急に体が押された。「ルーシィ!!」間近から聞こえた叫び声はエルザのもので。鮮やかな緋色が視界を奪い、やけに硬い感触が身体を圧する。訳もわからぬまま、どさりと二人で地面に倒れ込んだのと、魔動四輪車がすごい速度で横切っていくのを見たのはほとんど同時だった。


「え、な……」
「無事か!? ルーシィ!」
「あ、うん、ありがとう……? いや、エルザこそだいじょうぶ!?」


空を背景にこちらを見下ろしてくるエルザも、どうして四輪車が勝手に動き出したのかも、何一つ理解が追いつかなくて。ひたすら疑問符を浮かべながらも、とりあえず安静にしてほしい相手に無理をさせたことは察した。あわあわと焦っていると、なんてことないように「問題ない」と言った彼女が、キッ! とどこかを見やる。


「カゲ!!」
「危ねーなァ、動かすならそう言えよ!」
「油断したな、ハエども! 笛は……ララバイはここだ! ざまあみろ!」


その瞬間、遠退いて行く魔動四輪車に全員が固まった。数秒、唖然と見送り、ようやく全ての状況を理解する。

エルザに庇われた事実も、満身創痍のカゲが今になってララバイを持ち去ったことも。終わったかに思えた事件が、振り出しに戻ったことにも。


「あんのヤロォォォ!!」
「追うぞ!」


そうして、ナツの迸る怒りの炎を合図に、地獄のマラソン大会が幕を上げたのだった。

勘弁してほしい。何度も言うが、ここは線路の上である。




「いた!!」
「じっちゃん!!」
「マスター!!」
「……いや、みんな……体力おばけ……」
「あい。ルーシィしっかり〜」
線路上の妖精