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近いと言われていたクローバーの町も自分の足で駆けるとなると、なかなかに距離があった。案の定、最下位で町に辿り着いて、体はもうへとへとである。それでも、みんなに急かされながら、なんとか向かった定例会の会場付近で、ララバイの使用寸前のカゲを見つけた。彼の目の前には、何の偶然か妖精の尻尾のマスターが。

全員が肝を冷やし、飛び出そうとした刹那。にゅっ、と横から唐突に現れた人物に制止させられる。


「しっ。今イイトコなんだから見てなさい♡」


人差し指を唇に、もう片方の腕で道を塞ぐ誰か。やけに甘い口調が耳に残り、特徴的な化粧は少し浮いて見えた。服の背中部分に天使のような羽を付けたその人は、こちらが呆けている間に、ばちりとどこかへ向けてウインクを飛ばす。直後、ちょうど背後にいたナツとグレイがひゅっと息を呑んだ音が聞こえた気がした。


「ウフ、かわいいわねぇ」
青い天馬ブルーペガサスのマスター!?」
「あら、エルザちゃん。大きくなったわね」


どうやらエルザの知り合いだったらしい。しかし、今は暢気に挨拶をしている場合ではなくて。早く止めないと、マスター共々全員がお陀仏だ。今にも笛の音が鳴り響くのではと、じっとしていられずに一歩を踏み出す。が、やはりと言うべきか止められてしまった。次いで、みんなも。


「あなたが妖精の尻尾の新人さんね? 大丈夫だから、このまま見てなさいって」
「黙ってれば、面白ェモンが見られるかもよ」


新たに現れたパンクロック風の男性は、サングラスの奥の瞳を楽しげに細めている。この流れから予想するに、おそらく彼もギルドマスターなのだろうがしかし。結局、見張られていては何をすることもできなくて、あらゆる衝動を抑え込んだ私達はカゲとマスターの様子を遠くから見守るしかなかった。




「ーー参りました」


がくり。不意に、全身の力が抜けたようにカゲが膝をついた。表情は俯いているために窺えないものの、彼の雰囲気からはもう、戦う意志や殺意などは感じられない。何もないようだった、何も。呪殺の音色を響かせる笛も、地面の上でただ静かに転がっている。

瞬間、わあっとみんなから歓声があがった。いち早く駆け出したエルザが驚くマスターを構わず抱きしめ、ナツがぺしぺしと頭を叩き、無事を喜ぶようにグレイとハッピーが取り囲む。まるで、祖父と孫が遊んでいるような。そんな和やかな空気だった。それを輪の外から眺めながら、そっと息を吐き出す。今度こそ。本当に、今度こそ終わったのだと実感ができたから。


「もう、こんなことやめてくださいね……」
「……」
「そもそも、その怪我で動くなんて危険すぎます」


修行僧のように動かないカゲに声をかけるも、放心しているらしく返事はもらえなかった。別に構わない。返事を期待していたわけではないし、なんとなく想像していたので。

きっと、長らく目標としていたことがいきなりぱっと消えてしまい、どうしたらいいのか。どこへ向かうべきなのか、わからなくなってしまったのだろう。人間は目的があると頑張れる生き物である。彼の中に届けられたマスターの言葉が、どうか良い結果をもたらしますようにと願った。

……なんて、本当は自分が一番汲み取るべきなのに。


「(明日を信じて踏み出す、か……)」


マスターの台詞の一部を脳内で再生する。どれもこれも、あたたかくて、素晴らしい内容だったのは理解できる。妖精の尻尾の独特な雰囲気や、お互いを大事に想う気持ちは、この人を中心に形成されているのだろうと感じ取れるほどに。でも、と思う。

でも、それは果たして、私にも適応するものなのだろうか。死んだ時の記憶はなく、いつの間にかヒロインの立場を奪っていて。この世界の常識に振り回され、日々をなんとかやり過ごし、呼吸をする度に心のどこかに鉛が積み重なっていくのだ。ちゃんと生きているのか、自分のことながら自信がない。実感も、あまりない。本当は前の世界で死んだまま、夢を見ているだけなんじゃないかって、よく思う。

そんな風にいつ放り出されてもおかしくない状況なのに、“明日がある”なんて。一体、どうやって信じればいいのだろう。

そこまで考えて、はっと思考を止める。こういった疑問や罪の意識に、都合の良い逃げ道がないことなどすでに知っていたからだ。ぎゅうと目を閉じ、黒く淀んだそれらを見ないふりで仕舞い込む。全く嫌になる。疲れてくると、少しの刺激で暗い部分が顔を出すのだから。そもそも、この世界の規格と自分自身を比べて、楽になろうという考えが救えないのに。


「よくわからないけど、アンタもかわいいわ〜♡」
「……っ」


またもや突然やってきた青い天馬のマスターに、カゲがぴくりと若干の反応を示した。どうやら彼女(?)となら会話が成立しそうだと、親切心でその場を離れようとする。身を翻す寸前、何故だか親の仇を見るような恨みのこもった視線を向けられた気がした。はて、何かしただろうか。

もしかして、病院に早く連れて行けという無言の訴えか。けれども、少し話すくらいなら……いや、待て。満身創痍のくせに無理に動いたのが祟って、彼の包帯には血が滲んでいたのだった。怪我の具合がひどいし、やっぱり早めに医者に見てもらった方がいい。そう思い直して、足を一歩引いた時、こつんと何かが靴に触れた。


「あ……」


それは、地面に落ちたララバイだった。特に理由もなく、なんとなしに拾い上げる。樹木が捻れたような不気味な形の笛。さて、その三つ目のドクロと目が合ったと感じたのは、ただの思い過ごしだったのか。


「カカカ……」
「え?」


声が聞こえた気がした。辺りを見回す。しかし、近くにいたのはカゲと青い天馬のマスターだけで、こちらに声をかけた素振りはない。「おい、そこの貴様……」心霊現象さながらの状況に薄ら寒さを覚えながらも、音の方向を辿り、視線を落とす。そして、ドクロの目が怪しく光った瞬間を、確かに見た。


「な……!」
「貴様は何者だ? このワシも見たことがない魂を持っておるな。明らかに他と “毛色が違う”……気になる、気になるぞォ」
「っ!!??」


ぶんっ! と勢いよく笛を投げ捨てたのは反射的だった。怒涛の情報量に頭が大混乱を引き起こす。堪えることのできなかった引きつった悲鳴と、そばに突然飛んできた物体に驚き、マスターを囲んでいたみんながこちらを振り向いた。しまった、もっと人のいないところに投げればよかった。なんて後の祭りだ。

いくつもの訝しげな表情を前に、説明をする余裕もなく、そもそも説明ができる内容でもなくて。かくん、と足の力が抜け地面にへたり込む。そうして、ただ笛を見つめながら、唇をはくはくと無意味に震わせていた。

だって。だって、今、何を言われた。何が“違う”って……?


「ルーシィ!」
「どうしたの!?」


最初に駆け寄ってきてくれたのは、ナツとハッピーだった。一拍遅れて、ぎょっとしたエルザとグレイが。奥でマスターがはてと首を傾げているのも視界に映り、頭の冷静な部分がしっかりしろと指令を与えてくる。本当の理由はどう頑張っても言えないのだから、別のことで誤魔化すしかなかった。心配をしてくれるみんなに心の中で謝りつつ、怯えたままに笛を指差す。


「ふ、笛が喋って、煙が……」
「笛?」
「喋っただと?」
「あっ!! みんな、あれ……! 煙が形になってく……!?」
「な!! おまえ達、気をつけろ!」


もくもくと笛から溢れ出る煙に気づき、ハッピーが注意を促した。しかし、その頃にはなんとも形容し難い巨大な怪物が構築されつつあって。各所から悲鳴が飛び交う。


「カカカ……腹が減って堪らん。貴様らの魂を食わせてもらうぞ」
「なにーっ! 魂って食えんのか!? うめぇのか!?」
「知るか!!」


もう意味がわからない。大樹の巨人らしき存在を愕然と見上げたままに固まる。どうして笛が怪物に変化するのか、というよりも先程の言葉がずっと頭から離れてくれないのだ。毛色の違う魂。そんなの、この世界の存在ではない、と看破されているのと同義ではないか。

ぐるぐると目が回るような感覚に晒されながらも、かろうじて周りの声を聞き取り、相手の正体が黒魔導士ゼレフによる生きた魔法だということを知る。しかし、誰だかはわからない。あの真っ黒な本の中で見かけたような気もするが……。


「さあて、まずはそうだな……。やはり、食ったことのない貴様からか? どんな味がするかのう」
「いかん! 呪歌じゃ!!」


そう言って、すうっと、指を差されたのは私だったのだろうか。他人事のようにぼうっと眺めていると、不意に視界が青と白に染まった。


「ぶっ……!?」
「ルーシィのばか! 諦めないでよ! ナツとグレイとエルザが、きっと倒してくれるからぁ〜〜!」
「なになになに」


顔面にへばりついた何かをべりっと剥がすと、大きな瞳に涙を溜めたハッピーがいた。何故か半泣きの状態で、必死にこちらに手を伸ばしている。耳を塞ごうとしたのだろうか。いや、だめだ。全然状況がわからない。どうしてここまで取り乱しているのか。先程まで自分もこんな精神状態だっただろうに、他人が慌てていると逆に冷静になれるから不思議だ。


「おい、ルーシィ!!」


訳もわからずにハッピーをあやしていると、次に聞こえたのはグレイの鋭い声だった。はっと顔を上げる。視界に映ったのは程近いところにある彼の背中と、扇状に広がる氷の盾。そこでようやく、不自然に冷気が漂っていることに気がついた。


「ゼレフ書の悪魔に気に入られたからって、ビビってんじゃねえ!」
「え……?」
「よく見とけ。妖精の尻尾の魔導士は最後まで諦めねえんだよ」


前を見据えたまま台詞を紡ぐグレイが徐に手を組む。周囲の温度がまた下がり、盾が消え、瞬間的にいくつかの槍が生まれた。彼の魔法をちゃんとした形で見るのは、これが初めてだったかもしれない。こぼれた吐息が白く染まる。水分が冷えて結晶化したのか、ダイヤモンドダストのような煌めきが彼を包んでいて。寒いと思うよりも早く、綺麗だと思った。


「今だ!!」


飛び出した槍が怪物の体を大きく削ぎ、グレイが空に向かって叫ぶ。ふと周りの冷気が熱風にさらわれた。見上げると、いつの間にか怪物の頭部にまで登った桜色の姿。その頭上で太陽のような火球が浮かび、さらに視界を見たことのない鎧を纏う緋色が横切った。

そして、次の瞬間。唸る炎が怪物を焼き、鋭い剣が斬り裂き、凍てつく氷が貫く。崩れ落ちる巨体に、目を見張った。


「ーー見事」


マスターの小さな囁きがやけに耳に残っていた。ミラさんの言葉が脳裏を過ぎる。妖精の尻尾の最強チームだ、と笑っていた彼女の真意が、本当の意味で理解できた気がした。信じられない気持ちと、少し誇らしいような気持ち。それから、生きる世界が違うのだと見せつけられた絶望感。

結局、自分は何もしなかった。できなかった。けれども、事態は収束した。私が得たのは、悪魔からのひどい啓示だけ。どうにもならない蟠りが胸の奥に、また重なっていく。


「おーい、ルーシィ! 無事か?」
「うん、大丈夫」


それでも、笑顔を作った。自分を誤魔化し、自分に嘘をつき、抑え込み。呑み下すことにはもう慣れているから。「ビビりすぎて腰でも抜かしたのかぁ?」けらけらと揶揄うように笑うナツが、こちらに手を差し伸ばす。泣き止んだハッピーを片腕に抱きしめて、その手を取った。立ち上がり、戻ってきた三人の英雄を讃える。


「みんな、すごかったね。あんな大きなものを倒しちゃうなんて……。それから、ぼうっとしててごめんなさい。ありがとう、助けてくれて」
「無事ならそれでいいさ。悪魔に目をつけられるとは災難だったな」
「ったく、ひやひやさせんなっつの。まあ、どの道あいつを倒さなきゃ全員死んでたしな」
「あんなのオレの敵じゃねーー!」
「あい! このメンバーなら負けないね!」


みんなのいつも通りの反応に、密かに胸を撫で下ろした。どうやら悪魔の言っていた台詞には、それほどの違和感を覚えていないらしい。茫然自失と自暴自棄を“ぼうっとしてた”の一言で済ますのは、些か強引かと思ったが……なんとかなるものである。どうか、これで“諦めて死を受け入れようとしていた”という印象が、“誤解”にすり替わりますように。


「どうじゃーー! すごいじゃろぉぉぉっ!!」
「いやあ、いきさつはよくわからんが、妖精の尻尾には借りができちまったなァ」
「なんのなんのー! ふひゃひゃひゃひゃ!」


ギルドマスターの方々の盛り上がりを平穏のBGMとして、みんなが無事でよかったなあと噛み締めていた時だった。不意に、あ、とハッピーと声が重なり、体がぎしりと硬直する。突然の変化に不思議そうにする三人の背後を、答える代わりに震える指で指し示した。


ーー見るも無惨な、その定例会の会場を。


ひょっ、と一瞬変な呼吸をしたエルザとグレイが石化し、反対にナツは噴き出して大笑いをする。マスターが一目散に逃げていく。その背に我に帰った二人が「「逃げるぞ」」と声を合わせ走り出したのを、数秒遅れで慌てて追いかける。

直後、ギルドマスターの絶叫が響き渡った。


「ぬあぁぁあっ!! 定例会の会場が……粉々じゃ!!」
「見事にぶっ壊れちまったなァ!」


かくして、第二回地獄のマラソン大会が幕を上げたのだった。




「捕まえろーーっ!!」
「おし、任せとけ!」
「おまえは捕まる側だ!!」
「おい、クソ炎! てめぇ何してやがる……っ!」
「うわーん、オイラ達どうなっちゃうのーー?」
「マスター……申し訳ありません。顔をつぶしてしまって、」
「いーのいーの。どうせもう呼ばれないでしょ?」
「(そんな悲しい解決方法ある??)」
最強チーム