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エルザが逮捕されてしまった。
……のだが、なんと次の日には助けに行ったはずのナツを伴い帰ってきた。二人の話によると、今回の逮捕は魔法界全体の秩序を守るための形式だったらしい。どうにも納得のし難い、薄気味悪い真実である。罰を受けることにならなくてよかったと素直に安心すべきか、それとも職権乱用じゃないかと怒るべきか。自分の中では、やや後者に軍配が上がっている。
「やっぱりシャバの空気はうめえ! 最高にうめえっ! 自由って素晴らしいっ! フリーダァーッム!!」
「うおっ、やかましい!」
「大人しく食ってろ!」
とはいえ、解放されてはしゃぎ回るナツや、仕方のないものとして受け入れているエルザを見ると、過去のことは忘れてしまうのが正しいような気もした。ただ、一つだけ懸念があるとすれば、今後も妖精の尻尾を都合の良い見せしめの道具にするのではないかという点である。
しかし、それを防ぐためには、何よりメンバーによる破壊活動及び不祥事を減らさねばならない。この時点で妖精の尻尾には無理難題。はい、詰んだ。べたりと机に突っ伏す。行儀は悪いが勘弁してくれ。
「そうか! カエルの使いだけにすぐに“帰る”」
「え、評議院ってそんなに愉快な方々なの……?」
「ぜってぇちげーよ。つか、さすが氷の魔導士……ハンパなくさみィ!」
不意に差し込まれたグレイの駄洒落に、エルフマンが大きな体をぷるぷると震わせた。なんだ、やっぱり違うのか。ネタの通じるような気楽さもあるのかと、少しだけ期待したのに。机の上に座っているハッピーの頭を特に意味もなく撫でる。「ルーシィってば、評議院がそんなに甘いわけないよ」「そうだよねぇ」ぷくくと両手で口を押さえる彼にしみじみと頷いていると、ギルド内を駆けるナツがそばを通り抜けた。エルフマンが呼び止める。
「おい、ナツ。エルザとの漢の勝負はどうなったんだよ」
「そうだ、忘れてたっ! エルザー! この前の続きだーっ!」
「よせ……疲れてるんだ」
そのまま思い出さなくてもよかったのに、ぐりんと方向転換をしたナツがエルザへと一直線に向かっていく。炎を纏う拳、ため息と共に立ち上がる緋色。やれやれ、という小さな彼女の呟きを耳にしたのと、突如としてナツが宙を舞ったのは、果たしてどちらが先だったのか。焦燥を抱く隙も、見守る暇もない。まさに、刹那の出来事であった。
「!!?」
何が起きたかを認識する前に、ものすごい勢いで飛んできた木片を反射的に避ける。あらゆる騒音を詰め込んだような衝撃が何度かギルド内に響き、やがて静寂が訪れた。身を伏せて頭を抱える腕の隙間から、恐る恐る辺りを窺う。瞬間、視界に映った光景に戦慄した。
そこには、真っ二つに変貌した机を背景に佇むエルザと、遥か彼方で気絶しているナツの姿があったのだ。しかも、エルザの方は巨大なハンマーを担いでいる。まるで、歴戦の猛者。状況を察して頭が痛くなった。
「仕方ない始めようか」
「終ー了ー!!」
「ぎゃはははっ!! だせーぞ、ナツ!」
「やっぱりエルザは強ェ!」
慣れたことのように笑うだけで済ますハッピー達の声で我に帰り、慌ててナツへと駆け寄った。壁を背に座り込み、完全に意識を飛ばしているらしい。彼の様子を窺おうと手を伸ばし、ひゅっと息を呑んだのは、額から流れる鮮血に気がついたせいだ。急いでハンカチを取り出す。簡易的な処置しかできないが、無いよりはマシだろう。
患部を押さえ、ひたすらに止まれ止まれと願っていると、ふと背後でバタバタと何かが倒れるような音がした。不思議に思って首だけを振り返らせる。目の前で闇色のローブが揺らめいていた。いつの間に。はくり、と吐息がこぼれる。
「えっ、と……? ど、どちら様でしょうか?」
「……何故、君は眠らない?」
「はい?」
急になんだろうか。気配もなく突然現れただけに、少し身構え過ぎていたのは事実だ。しかし、まさかそんな質問をされるとは。拍子抜けしてぽかんと口を開ける。眠らないかと聞かれても、別に眠くないとしか……。一体、その問いに何の意味があるというのだ。確かに、昨夜はエルザやナツの逮捕のことが気がかりで、睡眠時間は多少短かったけれども。
それより、この人は誰だろう。記憶が正しければ、今までに会ったことはないはず。そっと顔を見上げるも、スカーフで厳重に覆われた表情はちっとも窺えなかった。体型すらも、ゆったりとしたローブに包まれてわからない。ただ、その声質と、唯一隠れずにこちらをまっすぐと射抜く双眸により、なんとなく男性であることは感じ取れた。彼が徐に持っていた杖を構える。
「これっ!! やめんか、ミストガン」
「……」
「マスター? あれ、みんな寝てる……!?」
奥から聞こえてきたマスターの呼びかけで彼の名前を知ると同時に、辺りの異変にようやく気がついた。どういうわけか、ギルドメンバーが寝てしまっている。それも、自分達を除く全員が。あまりの意味不明さに脳内が大混乱を巻き起こす。なになになに、怖い。みんな、どうしちゃったの。天変地異の前触れか、何かで??
「ルーシィに眠りの魔法を重ね掛けしても、もう遅かろうて。ばっちりお主を見られてしまっておる。まあ……これだけ強力な魔法が効かぬ理由はわからんがな」
「…………そのようだ」
「えっ、これ全部あなたがやったんですか」
普段とは全く違う閑静なギルド内では、少し遠いカウンターにいるマスターの眠たげな口調さえも、しっかりと拾うことができた。血の止まったナツの額から手を離し、代わりにべっとりと赤く染まったハンカチを握りしめる。
ーー眠りの魔法、強力、効かない……?
いくつかの単語を胸の内で繰り返しながら、余計なことを言わないようにと唇を固く結んだ。何やら、嫌な予感がした。あの時と……ララバイに“魂の毛色が違う”と告げられた時と同じ感覚。
どくりどくり、と心臓の鼓動が早くなる。なんだか得体の知れないものと対峙しているような気がして。それが相手なのか、はたまた自分自身だったのかは判然としないが、無意識に眠るナツへと僅かに身を寄せた時、不意に彼が目線を合わせるように膝をついた。
「驚かせてすまない、お嬢さん。私はミストガン。妖精の尻尾のメンバーだ」
「え……」
微かに声がもれたのは、そこでようやく彼が最強と謳われていた人物の一人であると思い至ったからだ。確か、昨日の決闘前にメンバーがそう盛り上がっていたはず。それから、何より虚を衝かれてしまったのは、初めの印象と異なり、急激に物腰が柔らかくなったせいで。たじろぎながらも、なんとか息を吸う。
「わ……私は、新人のルーシィです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。私のことは好きに呼んでくれて構わない。ルーシィ……早速で悪いが、どうか私のことは内密にしてくれないだろうか」
彼がそっと口と思われる辺りに人差し指を立てる。どこもかしこも布や包帯を纏い怪しさは満点。体格も容貌もわからないというのに、それでもその所作は何故だかとても洗練されて見えた。一拍置いて、わかりましたと願いを聞き入れると、頼んだ当の本人が目を丸くする。はて、何かまずいことをしただろうか。内心ひやひやしていたら、こちらの疑問を汲み取ったのか彼が一度瞼を伏せた。
「いや、あまりにも簡単に肯くものだから」
「ああ……いえ、誰かを眠らせるくらいですし、何か理由があるんだろうと思っただけです」
あとは、単に断る理由がないことと、秘密を他人に知られたくない気持ちが嫌でも理解できてしまったからだ。
「……そうか、ありがとう。助かるよ」
スカーフを指先で押し上げ、すいと嬉しそうに目を細めた彼は、それを最後にマスターの元へと向かった。依頼書を一枚手に取り、足早にギルドを去って行く。その姿が扉の外へ消える直前、ふとこちらにひらりと手を振ってくれた。返す暇もなく、周囲に喧騒が戻ってくる。
「こ……この感じはミストガンか!?」
「あんにゃろォ!!」
「相変わらずスゲェ強力な眠りの魔法だ!!」
フラッシュモブのように一斉に目を覚ましたメンバー達を唖然と見つめ、慌ててぼろを出さないために背を向けた。なんだか今まで白昼夢を彷徨っていたみたいだ。けれど、決して夢ではない。手の中のハンカチがすっかり乾くほどの時間が経っていたのは確かなのだから。
それにしても、あの人にこちらからも口止めした方がよかったかなあ。自分でもどうして眠らなかったのかはわからないものの、マスターやミストガンさんの反応を見ればイレギュラーだったことくらい察せられる。もちろん、今更後悔したって遅いのだけれど。未だに寝たままのナツを意味もなく視界に捉えながら、悶々と思考を巡らせていた時だった。
冷たい声が鼓膜を叩く。
「ーー“強力”、ねぇ……? オレも誰かさんも起きてたってのに、果たして本当に強力なのかね」
「ラクサス!!」
「いたのか、珍しいな!」
「つか、誰かさんってなんだ??」
呼吸を止め、固まった。まさか、先程までのやりとりを見られていたのか。瞬間、ざわりと悪寒が背筋を這い上がり、周りの音も一瞬全てが遠ざかった。たった今、初めて聞いた低い声色を追いかける。そうして、目にしたのは二階のフロアに佇む見たことのない人物だった。眩しい金の短髪に、特徴的なヘッドフォン。精悍な顔立ちが、気怠げな表情で葉巻を揺らす。その様子をただ見つめることしかできずにいると、不意に目が合いそうになってぞっとした。
「ミストガンはシャイなんだ、あんまり詮索してやるな。なあーー」
その後、続く言葉がなんだったのかは知らない。けれど、何かしら自分を指す言葉の予感がして、冗談抜きでやばいと冷や汗が溢れた刹那。「ラクサスー!! オレと勝負しろーっ!!」がばり。勢いよく身を起こしたナツの雄叫びによって、完璧に彼の台詞が遮られた。
し、死ぬほど焦った……。かつてないほどの働きをする心臓を両手で押さえ、極力存在感を無くすように小さくなりながら辺りを窺う。
「さっきエルザにやられたばっかじゃねえか」
「そうそう。エルザ如きに勝てねえようじゃ、オレには勝てねえよ」
「それはどういう意味だ」
「おい……落ち着けよエルザ」
「オレが最強ってことさ」
どうやら別の話題に移ったらしく、わざわざもう一度持ち出すつもりはないようだ。人知れず安堵して、ひっそりと息を吐き出す。できれば、そのまま記憶からも抹消していただけるとありがたい。
「降りてこい! コノヤロウ!」
「おまえが上がってこい」
「上等だ!!」
血気盛んに駆け出して行ったナツとは裏腹に、精神をやられてへろへろに疲れ切った体で元の席を目指す。頭を打っていたのに急に動くなとか、流血は本当に治ったのかとか。ナツへの心配はいくつかあったのだろうけれど、今ばかりはそのどれをも確認する余裕がなかった。だから、マスターの巨大な拳に潰される彼にも、驚くことにこの時の私は気づいていなかったのだ。見なくてよかった、とも言えるが。
「二階には上がってはならん。まだな」
「ははっ! 怒られてやんの」
「ラクサスもよさんか」
「妖精の尻尾最強の座は誰にも渡さねえよ。エルザにもミストガンにも、あのオヤジにもな。オレが……最強だ!!」
高らかに宣言をした彼、ラクサスさんが奥に姿を消した。その背を苦い思いで見送りつつ、なんとなしに問いかける。
「今の人って……?」
「ミストガン同様、妖精の尻尾最強の男候補の一人だよ」
返ってきた声が想像していた誰のものでもなくて、きょとりと目を瞬いた。横を向く。ぽっかりと口を開けたロキさんと目が合った。つい答えてしまっただけらしく、はわわと素早い身のこなしで彼が後ずさる。随分と嫌われているなあ。反応に困ったが、とりあえず笑みを浮かべた。
「そうなんですか」
「まあ、強いのは確かだが……見ての通りツンケンしてる奴だから、基本的に誰とも相性が悪いな」
「ナツとも見ての通りだよ。エルザのこともああやって煽るから喧嘩になるんだ」
グレイとハッピーの言葉を噛み砕きつつ、もう一度二階を見上げる。そこにはもう誰もいないけれども、先程の高圧的な態度が蘇るようだった。少し意外だ、と思う。このギルドは騒がしいし喧嘩もよくあるものの、特定の人物を大勢が嫌ったり苦手としたりすることはないのだろうと、勝手に感じ取っていたので。
……なんて、人間社会において全員が円満であることの方が、あり得ない夢物語だが。
「(あの時のこと……今後も一切持ち出されませんように)」
現に、私はラクサスさんのことを苦手と認識してしまった。
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「そういえば、マスターが二階には上がっちゃいけないって言ってましたけど……。ミラさんはどうしてか知ってますか?」
「まだルーシィには早い話だけどね。二階のリクエストボードには、一階とは比べものにならないくらい難しい仕事が貼ってあるの。S級のクエスト」
「S級??」
「ププッ?」
「一瞬の判断ミスが死を招くような危険な仕事よ。その分、報酬もいいけどね」
「死を……!?」
「S級の仕事はマスターに認められた魔導士しか受けられないの。資格があるのはエルザ、ラクサス、ミストガンを含めてまだ五人しかいないのよ」
「あ、エルザってやっぱりすごいんだ……」
「でも、S級なんて目指すものじゃないわよ。本当に命がいくつあっても足りない仕事ばかりなんだから」
「あはは……そうですね、肝に銘じておきます」
特異の片鱗