▼ ▲ ▼


「さてと、港に急ぐか。あいつらまだ向かってないといいんだが……」
「そうだね……。プルー、二人の匂いは追えそう?」
「……プン!」


ハルジオンの駅に到着した。列車を降りるなり、腕の中のプルーに問いかける。くんくんと辺りの匂いを嗅ぐ動作をした彼は、ふと何かを発見したように腕で方向を指し示した。どうやら再び追跡が可能らしい。その場にしゃがみ、お願いねと地面に下ろすとプルーが元気よく走り出す。それに私達も続いた。


「おまえの星霊すげーな。聞き込みいらずじゃねえか」
「うん、本当にみんなすごい人達ばかりだよ」


プルーの白く小さな背中を見つめながら、そっと微笑む。自分の友人をすごいと褒められるのはなんだか誇らしかった。常に肌身離さず持ち歩いているキーケースを確かめるように撫ぜる。ちゃりん、と応えるみたいにタイミングよく聞き慣れた金属音がした。

しばらくそうして走っていると、海に面した通りに出た。鼻腔を擽る潮の香りが強くなる。それでもなおプルーは惑わされることなく、明確な意思を持って進んでいるようだった。彼の行く先を見据える。瞬間、行き交う人々の隙間から、ちらりと視界に桜色が映った気がした。あっと思う間もなく、今度は隣に青色を捉える。間違いない。探していた彼らだ。

ふわりと安堵が胸に広がったのと、プルーが二人の座っている堤防に乗り上がったのは同時のことだった。突然、真横に現れた白い小犬をぎょっと彼らが凝視する。


「ププーン!」
「うわあ! って、プルー!?」
「のわ! なんでこいつがここにいんだ!? ……ん、待てこの匂いは」
「ナツ、ハッピー!」
「やっぱルーシィ!」


駆け寄りながら声をかけると、背を向けていた二人がぱっと笑顔を浮かべてこちらを振り返った。直後、ナツの表情が険悪に変貌する。


「あ!? なんでグレイまでいんだよ!」
「うるせえ、てめえの胸に聞きやがれ!」


胸ぐらを掴み合い、一瞬にして不良へと早変わりしてしまった二人組をひとまず置いておき、巻き込まれないようにとプルーを呼んだ。ぴょん、と素直に飛び込んでくる体を受け止めて、まあるい頭を優しく撫でる。心からの感謝と褒め言葉を伝えると、彼は嬉しそうに星霊界へと戻っていった。たくさん頑張ってくれたから、どうかゆっくりと休んでほしい。


「ねえねえ、ルーシィ。どうしてここにいるの? 何かの用事?」
「二人を連れ戻しに来たの。ギルドではS級クエストに勝手に向かったって大騒ぎになってたんだから……」


とてとて、と近くにやって来たハッピーをこれ幸いと捕まえる。逃さないようにぎゅっと抱きしめると、グレイの襟元から乱暴に手を離したナツがくわっとこちらを向いた。


「マジか! もうバレちまったのかぁっ……!?」
「言っとくがじーさんの命令だ。今なら破門を免れるかもしれねえ、戻るぞ」


破門?? 初めて出てきた単語に少しだけ思考が停止した。あまり聞き慣れないものだが、確か師弟関係を断つだとか、資格を剥奪、または追放といった意味があったはず。この場合は、単純にギルドから追い出すという処分を示しているのだろう。ナツが逡巡するように息を呑み、けれども諦め切れないのかすぐに声を荒げた。対するグレイは服装を正しながらも、ぐっと眉を顰める。


「やなこった! オレはS級クエストやるんだ!」
「オメーの実力じゃ無理な仕事だからS級って言うんだよ! この事がエルザに知られたら……あわわ……」
「エルザに、知られたら……」


自分で言っておいて青ざめるグレイに、釣られるようにしてナツも勢いをなくしていく。彼らが何を想像しているのかまではわからないが、この調子なら上手く引き留められるかもしれない。そう希望を抱いた時、不意にハッピーが腕から抜け出して首元へと抱きついてきた。「ルーシィ助けて〜。オイラ、ナツに無理やり……」「えっ?」内容に驚くより先に、ひげが肌を掠める。こそこそと触れてくる感触から逃れようと、反射的に身を捩った。


「オレはエルザを見返してやるんだ! こんなところで引き下がれねえ!」
「マスター直命だ! 引きずってでも連れ戻してやらァッ! 怪我しても文句言うなよ!!」
「やんのかコラァ!!」
「ふふっ……や、ハッピー! くすぐったいってばぁ……っ!」
「「……は??」」


面白がっているのか、なんなのか。頬を擦り付け、なかなか離れてくれないハッピーをなんとか引き剥がす。えへへ、と笑う彼を恨めしい思いで目の前に掲げていると、その奥で不自然に固まっているナツとグレイに気がついた。今にも乱闘を始めそうだった二人は、何やらぽかんとこちらを見つめている。操る熱と冷気さえも、主に連動するようにだんだんと収束していくものだから、なんだかいけないことをしてしまったみたいで肩を窄める。


「ルーシィ、さっすがぁ〜。二人の喧嘩を指一本触れずに止めちゃうなんて」
「なに言ってるの、ハッピー……?」
「あんたら……魔導士だったのか?」
「え?」


ふと、この場にいる誰のものでもない声が差し込まれた。確かめるような、おずおずとした物言い。それでいてどこか歓喜が滲む音を視線で追いかけると、そこには目を丸くした一人の男性がいた。木製のボートがぷかぷかと海に浮かんでいる。どうやら船乗りのようだ。あ! と、ナツとハッピーが表情を明るくさせた。


「さっきのおっちゃん! 乗せてくれる気になったのか!?」
「オイラ達、島の呪いを解きに行くんだ!」
「そうか……そういうことなら、乗りなさい」
「なに!?」
「ちょっと待ってください、私達はーーっ!?」


途中で言葉を止めたのは、すぐそばで鋭い風が首筋を掠めたからだ。間を置かずに背後でグレイの断末魔が響く。わけもわからず振り向くと、まるで狩人に捕らえられた獲物のようにぐったりとしたグレイと、その彼を引きずるナツがいた。目が点になる。何がどうしてそうなったのか。ずりずりと地獄に誘うみたいな光景を前に数秒ほど硬直し、慌ててナツを止めに入った。待て待て、やめて差し上げろ。せめて、もう少し丁重に扱えないのか。


「な、ナツ!? なんでグレイが気絶してるの……!!?」
「蹴った!」
「えっ」
「コイツが戻ったら次はエルザが来る。そうならないように、グレイも連れてさっさと島に向かいてえ!」
「待って……待ってよ、ナツ!」


ハッピーを地面に開放して、咄嗟にナツの両腕を掴む。ぎゅうと無意識に力を込めると、驚いたのかグレイの上着を引っ張る彼の動きが止まった。ふつふつと胸に広がる想いが怒りなのか、悲しみなのかよくわからない。まるで、嵐の日の海のように荒れる感情に自分のことながら戸惑ってしまう。もう、引き留める行為が正しい主張であるのかも自信がなくなっていた。だって、ナツもハッピーも本気なのだとなんとなく感じ取れてしまって。俯き、震える声で尋ねる。


「ねえ、ナツ……関わりのまだ浅い私があなたの事情に口を出すのはおかしいのかもしれない。でも、そんなに強さって必要なのかな……?」


私には彼らが生き急いでいるようにしか見えなかった。無謀を無謀だと気づいていないみたいな、そんな危うさが呼吸を締め付ける。先日の鉄の森の件でエリゴールと戦い、ぼろぼろになった二人を思い起こす。今回はあの程度では済まないかもしれないのに、一体どこからその勇気は溢れてくるのだろうか。ぐるぐると様々な考えが廻る脳内が、不意に与えられた熱によって晴らされた。両手に感じる温もり。連鎖的にハコベ山の記憶が掠めた。

しっかりと握り締められた手に、まっすぐで真剣な瞳。その声音さえも、ずっと真面目なものだった。


「……ルーシィ。オレはエルザを倒せるくらい強くなりてえし、ラクサスにも馬鹿にされたままじゃ納得いかねえ。S級に行くのはその近道なんだ」
「……」
「おまえに言われて色々考えたけどよ……やっぱ、信用がどうとかはよくわかんねーんだよな」


でも、とナツがいつものように口角を上げた。明るく温かい太陽みたいな笑み。嘘のない表情が、こちらの言葉を詰まらせる。


「オレは死なねえ。ハッピーもだ。ちゃんと依頼をこなして帰ってくる。それだけは言える。だから、そんな心配すんなってルーシィ!」


なんだか負けた気分になった。何の根拠もない言い分なのに、自分にはもうどう頑張ったって止められないと察してしまって。言葉で彼らの行動を抑止できないのであれば、グレイの助力がもらえない今、私にはそれ以上打つ手がない。だから、これは最後の悪あがきだった。自分の納得できる範囲になんとか収めようとする心の防衛反応。グレイに胸の内で深く謝罪をする。せっかく手を貸してくれたのに、恩を仇で返してしまうことへの。


「……わかった。それがどうしても曲げられない意志なら……私も一緒に行く」
「「え!?」」
「その代わり、約束して。ナツもハッピーも、絶対に死なないって」


離れていく彼の手に追い縋るように、そっと片手の小指を差し出した。ハッピーにも、もう片方の手を伸ばす。小さな子供のための、何の強制力もない、おまじないみたいな約束事。それでも、ないよりはずっとよかった。

急に意見を変えたためか二人ともかなり戸惑っていたようだけれど、結局何も言わずに指を結んでくれた。たぶん、それが正解だ。私だって、本当にいいのかなんて聞かれた暁には、やっぱり無理と言ってしまいそうなほどに怖気づいているのだから。その弱さを押し殺してでも進もうと決めたのは、今まで彼らが私を基準に依頼を選んでくれていたから。

どれだけ周りから見て自分の意見が正しかろうと、これ以上はわがままになってしまう気がして。無理やり突き通した意志に意味なんて、きっとない。心が伴わなくては根本的な解決には至らないのだ。それに、与えられた分の優しさは返したかった。今の私にできるのは、彼らが無事に帰って来れるように僅かな手立てとなるくらいだ。


「おう、約束する」
「オイラも絶対死なないよ!」
「うん、約束ね……」


するりとナツの指が解かれる中、ハッピーは力強い眼差しと共に未だに両手で握り返してくれていた。その様子が指切りというよりも、この指止まれみたいで。必死さが嬉しくて、健気に思えて、ほんの少しだけ唇が緩む。ルーシィ、と頭上からナツに名を呼ばれた。静かな声音だった。先程よりもさらに。

顔を上げると、グレイがいつの間にかボートに運ばれていた。タラップに足を乗せるナツが、肩越しにこちらを振り返る。凪いだ瞳と視線が絡まった。


「関わりが浅いとか関係ねえよ。おまえはもう、大事な仲間だ」


仲間。彼はよくその言葉を使うけれど、私には馴染みのない響きだった。案の定、きちんと意味として沁みる前に、どこかにぼやけて消えていく。それが限りなく不正解に近い反応だとわかっていたから、慌てて笑みを作った。ありがとう、とそう紡いだ台詞に、果たして上手く感情は込められていただろうか。




「そういえば、どうやってオイラ達を追って来たの?」
「プルーに二人の匂いを辿ってもらったんだよ」
「なに!? あいつそんなことできたのか!」
「あい、ナツみたいだね。ていうか、プルーの鼻ってどこ?」
「たぶん、尖った角みたいなところ……?」
「「あれが!?」」
「ごめん、あんまり自信はないです」
微かな約束を