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 今朝はホロロギウムのモーニングコールで目を覚ました。
 無論、いつもそうしているわけではないのだが、昨日は慌ただしく家を出たためになんと時計すら持ってくるのを忘れていたのだ。故に、時間がわからない。部屋に時計がなかったということも大いに影響した。困り果てた末、世界中の正確な時刻を知る彼に“朝の七時になったら起こしてほしい”と頼んでおいたのである。

 しかし、結果として寝坊はしなかったものの、私以外の三人が起き抜けに喋る柱時計にかち合うという、冷静になって考えてみればある意味ホラー過ぎる展開に遭遇させてしまった。もはやテロ。全員寝ていたので伝えておく機会がなかったのが悔やまれる。
 そして、自分にとっては見慣れてしまった相手であることも理由の一つであった。星霊達の個性豊かな容姿が驚かれる要因になり得ることを、その時はすっかり失念していた。

 だが、行動におけるコマンドの中に“とりあえず殴る”しか存在していないような性急さはなんとかしてくれと切に願う。飛び起きて場を収めたのでホロロギウムは無事で済んだが、危うくとばっちりを食らわせてしまうところだった。ナツもグレイも本当に寝起きかと疑うほどに素早い動きだったのだ。なんか、こう臨戦態勢と呼ぶに相応しい身のこなしで……こわ……。
 唯一の癒しは、ハッピーがホロロギウムの振り子がある空洞部分に入って楽しげにはしゃいでいたことであった。


「つーか、昨日あれだけ月を壊すのは無理とか言ってたのに結局壊すのか?」
「壊さねーよ。村の人の手前壊すって言ったんだよ」


 ナツとグレイの会話を耳に入れながら、ちょうど視界を横切った小鳥を目で追う。そばにある木の枝に降り立ったその姿をなんとなしに眺めていると、ふとおかしなことに気がついた。まじまじと見つめる。なんと角が生えているではないか。
 村長さんの“呪いの対象は人間だけではない”との言葉が脳裏を過ぎる。小さな頭には随分と重そうなそれを、しかし小鳥は気にした様子もなく軽やかにまた空へと羽ばたいていく。不思議な光景であった。

 遠くへと消えた小鳥から視線を戻し、改めて周囲をぐるりと見渡す。この島の調査のために繰り出した村の外は、昨日感じていた通り森というよりはジャングルに近しい場所だった。あまり見慣れない形の植物が多く、湿度も高めで、歩いているだけで体力が奪われそうだ。
 迷ったら確実に死にそうだな、と頭の片隅で思う。木の実や魚などの食べるものはありそうだが、生憎サバイバルとは無縁なもので。


「んじゃあ、どうやって呪いを解くんだ?」
「知らねーよ。それをこれから調査すんだよ」
「調査……あ、ならルーシィはなんかわかったか? おまえ、エバルー屋敷ん時すごかったろ。あん時みたいにまた探偵やってくれ」
「確かにあの時のルーシィカッコよかったよね」
「え……? いや、あれは当てずっぽうって言ったでしょう?」


 急に話題が自分のことに移り驚く。その上、そこまで褒められた内容でもないので微妙な心持ちになる。
 あの依頼を解決できたことは確かだし、依頼人にも喜んでもらえたことは記憶に新しいが、結構綱渡りなギャンブルを仕掛けたことも自覚している。あれは、結びつけた情報と相手の応答とが上手く噛み合ってくれただけだ。一つでも違えたなら全てが崩壊していたかもしれない。それほど危険な賭けだった。
 さすがに今回も同じようにとはいかないだろう。しかも、まだ圧倒的に情報が足りていない。気になる点はすでにいくつかあるものの、現段階で仮説を立てるには少々弱すぎる。

 その時のことを知らないために「探偵?」と眉を顰めたグレイに、盛り上がるナツとハッピーが説明を加えている。やめてくれ。過剰評価は心が痛い。「おまえ、マジで当てずっぽうで依頼を解決したのか」と一通り内容を把握したグレイが感心と呆れ半々といったような表情でこちらを向く。
 いや、言い方。何も間違ってはいないけれども、一応ある程度の確信は抱いていたので、他者からそう言われるとちょっと語弊があるような……。


「とにかく、今はこの島の特徴とか呪いについて詳しく知りたいかな。実体がない以上、なるべく早く解決しないと私達にも影響があるかもしれないし……」
「簡単にはいかねーってわけか。さすがS級クエスト! 燃えてきたぞ!!」
「呪いなんか凍らせてやる。ビビるこたァねえ」


 明らかにそういう問題ではないだろうということを当然の如く言い放ち、軽い足取りで森の奥へと向かっていくナツとグレイの背に苦笑を浮かべる。頼りになるといえば聞こえはいいが、あまりの気楽さに心配にもなってしまう。
 二人が強いことなどとうに知っている。しかし、ギルドであれだけ厳重な扱いをされていたS級という存在を前に気を抜くことはできなかった。だって、彼らはあんなにも強いのに、未だS級に挑む資格は持っていないと言う。これだけでもその異質さがわかる。

 悲観的な思考に引きずられるように視線が下がった先で、今度は青い小さな背中があった。ゆらゆらと揺れる尻尾をぼうっと見つめ、ふと思い出す。そういえば、ハッピーに確かめてほしいことがあったのだった。
 声に不安が滲まないように意識しながら、彼の名を呼ぶ。


「ねえ、ハッピー。ちょっとお願いが……」
「なあに?」
「あのね、空のーー!?」
「「「?」」」


 頼み事を脳内で整理して、そっと空を示すように指を一本立てた時だった。こちらを振り返って立ち止まる彼らの後ろ。その奥に、とんでもない生物がいた。ぴしりと体が固まる。何度瞬きを繰り返しても視界に映るそれを幻覚の類ではないと判断し、恐る恐る三人の背後へと指の示す方向を変える。疑問符を浮かべた彼らが振り返った。
 瞬間、遠近感が狂ったのかと疑うほどに巨大な生物が鳴き声を響かせた。


「チュー」
「ネズミ!!!」
「でかーーっ!!!」


 一体いつからそこにいたというのか。森の木々を優に越すほどの体長を持つネズミがこちらをじいっと見下ろしていた。
 何故かはわからないが、メイドのようなヘッドドレスとゴスロリ風の服まで身に纏っている。まさか、野生ではないのだろうか。唖然としているうちにそのネズミがぷくりと頬を膨らませた。何やら嫌な予感がする。


「何か吐き出す気だぞ!」
「オレのアイスメイク“盾”で……!」


 刹那、ネズミから勢いよく煙のようなものが噴き出された。毒ガスを連想して咄嗟に口元を塞いだものの、ほんの少しだけ吸い込んでしまう。途端に咽せた。ひどい悪臭である。鼻がつんとして生理的な涙が浮かぶ。


「けほっ、なにこれ……」
「くさーっ! 何だこの臭いはぁ〜〜!!」
「…………」
「ナツ!! 情けねえぞ! そっか、オマエ鼻いいもんな!!」
「ナツ! ハッピー! しっかりして……!」


 グレイの声にはっとしてナツを見やると地面に倒れ、ぴくりとも動かなくなっていた。そばにハッピーも突っ伏している。両者共に人より鼻がいいから余計にダメージを食らってしまったらしい。ひやりとして慌てて駆け寄る。ネズミはあたふたする私達がおかしいのか、きゃっきゃっと笑い声を響かせていた。どうやら知能さえも普通のネズミとは一線を画しているようだ。

 ハッピーをできるだけ丁寧に抱きかかえ、もう片方の手でナツを軽く揺する。だめだ、全然起きない……! しかし、起きてもらわねば私の力だけでは彼まで運ぶのは不可能だ。
 星霊に頼るか、グレイに頼るか。その一瞬の逡巡のうちに「逃げろっ!」とグレイが叫ぶ声がした。顔を上げる。と、ネズミがいつの間にかこちらへと迫って来ていた。重々しい足音に、ひゅっと息を飲む。脳内で警報が鳴り響いた、その次の瞬間であった。

 不意に、体が宙に浮いた。かと思うと、腹部の辺りにかかる圧迫感。次いで、ぐんと流れていく風景と安定のしない視界。抱きしめたハッピーの青い毛並みの奥に、見覚えのある黒い羽織りの裾が揺れている。鱗柄のマフラーがふわりと風にひらめく。
 なんだか頭に血が上るような感覚がする。……。……?


「え、ナツ!? え、ど、どういう状況……!?」
「暴れんなルーシィ! 落ちるぞ! とりあえずハッピーを頼む!」
「え、う、うん……!」


 苦しげなナツの声音にたぶん本調子ではないのだろうなとあたりをつける。そうして、彼が庇ってくれたのだと遅れて気がついた。肩に担がれたままではよく見えないが、桜色の後頭部越しにもう片方の手で自分の鼻を押さえているのがわかる。咄嗟に力を振り絞ってくれたのかもしれない。


「ちっ、しつけーな……!」


 隣を走っていたグレイが徐に両手を組んだ。例の魔法の構えだと思い至った頃にはすでに辺りには冷気が漂い始めていて。地面に手をついた彼の意に従うように、素早く氷の膜が駆け巡る。
 一瞬にしてスケートリンクと化したそこをネズミが踏みつけた。つるり、と巨体が傾く。


「ナイス!!」
「すごい……」


 当たりどころが悪かったのか、ネズミは意識を飛ばして伸びている。ようやく脅威が去ったことを実感して、ほっと胸を撫で下ろす。同時にナツが降ろしてくれたのでお礼を言うと「おう」となんでもないことのように返ってきた。目を回していたハッピーがもぞもぞと腕の中で動く。


「ハッピー、大丈夫?」
「うぎゅ……鼻がもげるかと……」
「強烈だったね……」


 残った臭いを振り払おうとしているのか、こちらの服に鼻を押しつけてくる彼の頭をよしよしと撫でる。ぺたり、と耳が垂れていてなんだかものすごく可哀想だった。自分の服が良い香りかはわからないが、先程の悪臭よりかは遥かにマシであろう。
 どうか、体調が早く回復しますようにと願い、そっともう一度抱きしめた。


♦︎


「あれ、あんなところに何かの建物がある……。二人とも、今のうちにあそこのーー」
「「今のうちにボコるんだ!!」」
「…………なんでこういう時だけ息がぴったりなんだろう……」
「あい、それがナツとグレイです」
森の脅威