眠れる奴隷
 ブチャラティさん達の会話は聞き耳を立てずとも聞こえてしまっていた。そもそも席がそれほど離れていないのだ。
 さらに、二人で話したいという相手の願いをブチャラティさんが拒否したためでもある。どうやら私達の食事を邪魔しないようにとの計らいらしい。もしかしたら、内容の共有も兼ねていたのかもしれない。

 様子を窺うこちらの視線を受けながらも、お客さんは話すことに決めたようだ。余程、彼にとっては重要な事柄だったのだろう。全てを話し終えた彼は、大粒の涙をこぼしつつも必死にブチャラティさんに縋り付く。
 その姿にずきりと胸が痛んだ。大切な誰かを失うつらさはよく理解しているつもりだ。同調して涙腺が緩むのをぐっと堪える。なんだか盗み見している状況の申し訳なさも相まって、どんどん気持ちが沈んでいくようだった。

 そわそわと落ち着かない心地になりながらも事の行く末を見守っていると、話は“敵討ちではなく、彼の娘さんを殺したかもしれない彼氏の口を割らせる”というものに纏まったらしい。果たして、他殺とそうでなかった場合のどちらが良い結果と言えるのだろうか。
 きっと、どちらに転んでも苦しいことに変わりはないのだけれど、どうか他殺でないといいなとひっそりと願う。だって、自分の彼女を殺してしまうなんてあまりに悲しい。


「(……もし、)」


 もし、その場に……“妙な形の石を抱えたまま屋上から飛び降りた”というその場所に私が居合わせたなら。娘さんを助けられただろうか。烏滸がましい考えだとわかっていながらもそう思わずにはいられなくて。
 つい俯くと、こちらに歩み寄ってきたブチャラティさんに「能力は使うなよ」と小声で釘を刺されてしまった。どうやらわかりやすかったらしい。図星を突かれて、う、と言葉に詰まる。そばにいたフーゴさんにまで「半年も経っているんですから、いくらあなたでも無理でしょう」と同じく小声で慰めるように頭に手を置かれて、確かにそうだと肩を落とした。


♦︎


 花屋の娘さんの件はミスタさんが赴くことになった。
 私も空港へ向かうために車に乗せてもらう予定なのだけれど、なんだか先程からミスタさんの様子がおかしい。レストランを出る直前もどこか違和感があったし、今もそうだ。車とは違う方向へ、何かを見つけたようにふらふらと近づいていく。
 猫でもいるのだろうか。気になって彼の後を追ってみるけれど、そこには工事で使うような石がごろごろと転がっているだけだった。


「ミスタさん? その石がどうかしましたか?」
「あ、いや、気のせいかもしれん……」
「?」
「ココロ! 置いて行きますよ、早く乗ってください。ミスタもボサっとしてないで早く!」
「お、おう、今行くよッ」
「すみません、すぐに行きます……!」


 フーゴさんに急かされ、ぱたぱたと走り寄って車に乗り込む。その間もミスタさんは後ろを気にしていたようだから、やっぱり何かが引っかかっているのかもしれない。


「どうかしたか、ミスタ」
「ああ、いや。ちょっと花屋のオヤジの話で気になることが出てきたんすよォ。娘がですね、飛び降りる時に確か石を抱いていたとか、言ってましたよねぇ……? 石ってどんな石って言ってましたっけ?」
「石?」


 聞き返すブチャラティさんに、ミスタさんは形や大きさを問うている。身振り手振りでどんな石だったかを尋ねてくる彼を見て、記憶していた依頼主の話を思い起こした。
 確か、具体的な形は特に言っていなかったはず……。私達は、抽象的な表現しか聞いていない。


「妙な形の石、と言っていたぜ」
「妙な形ってーと、つまり、その、具体的にどんな形よ」
「それ以上の詳しい見た目はおっしゃっていなかったと思います」
「二人の言う通り、妙な形としか言ってなかったな。何が言いたいんだミスタ」


 思った回答が得られなかったのか、ミスタさんは難しい顔をして黙り込んでしまった。
 それからも、彼の様子はおかしかった。窓の外を眺めては何かを見つけたように驚いたり、怯えたような声を出したり。
 彼が指先で示す方向を運転手のフーゴさんや、後部座席の私とブチャラティさんも目を凝らして追ってみたのだけれど、結局そこには何もないのだ。挙げ句の果てにはレストランでワインを飲み過ぎて酔ったんじゃないかと、フーゴさんに疑われてしまう始末だった。

 もしかしたら、車からの景色では過ぎ去るスピードが速すぎて、ミスタさんの言うそれを上手く捉えられていないだけかもしれない。そう思い至り、次こそは見つけてやると密かに意気込んだ直後のこと。すうっと窓の外の景色が止まった。……。どうやら目的地に到着してしまったらしい。
 降車していくミスタさんを前に、心の中の計画はやむなく断念することとなった。続いて、何故か空港に向かう予定だったブチャラティさんまでもが彼を追おうとする姿に首を傾げる。


「最近どういうわけか、スタンド使いがこの街に集まっているという噂を思い出したんでな。オレも行くことにする。フーゴ、おまえはココロと共に涙目のルカを頼む」
「わかりました」
「ココロ、困ったことがあったらフーゴを頼れ」
「はい」


 迷うことなく頷くと、満足げに笑んだブチャラティさんが車から去って行く。
 彼の背が見えなくなると、はあとフーゴさんが重たいため息を吐き出した。整った顔立ちを盛大に歪め、今し方彼らが向かっていった方向を横目で眺めているのがミラー越しに窺えた。細められた双眸には、ありありと不安のような色が浮かんでいて。ちょうど運転席の後ろにいたので、ひょっこりと身を乗り出して彼を覗き込んでみる。


「どうかしましたか、フーゴさん?」
「なッ、ちょっ、と近いですッ! あなたって人はいつもいつも! 無防備なんですよッまったく!」
「す、すみません……」
「あ、いや……こっちこそすみません。少し驚いただけです。怒ってるわけじゃあないですから」


 薄く頬が色づいたのは怒っているわけではないらしい。その事実にほっと安堵した私は、顔を片手で隠すように覆ったフーゴさんが「そういうところだよ」と小さく呟いたことに全く気づけなかった。
 ふう、と気持ちを切り替えるみたいにひと呼吸置いた彼が、不意に自分の隣を指差す。助手席が空いているから座ったらどうだ、といういつもの提案だろうか。早々に意図を理解した私は、それに甘えて前の席に移ることにした。


「お二人が心配ですか? なんだかミスタさんの様子がおかしかったですし……」
「ああ、あれはイカれてたな。何か仕出かさなきゃいいんだけど。まあ、ぼく達には他にやることがありますから、報告を待つしかないですね」
「はい。上手くいくことを祈りましょう」