プルルル、とブチャラティさんから預かっていた携帯が着信を知らせる。“涙目のルカ”についての情報を二人で整理していたのを一旦切り上げ、運転しているフーゴさんの代わりに携帯を受け取り相手を確認すると、先程別れたミスタさんからだった。まだそれほど時間は経っていないけれど、何かあったのだろうか。
「誰からです?」
「ミスタさんです。スピーカーにしますね」
「もしもしッ! おいフーゴか、ブチャラティに伝えてくれッ! 彫刻家はスタンド使いだった!」
「なんだって!?」
「スタンド使い……!?」
「ココロ! 場合によっては力を貸してくれッ! ブチャラティが危ねえんだッ!!」
「えっ!?」
「どういうことだ、ミスタッ!」
切羽詰まったように次々と言葉を重ねられていくけれど、いまいち状況が掴めない。彫刻家の彼がブチャラティさんに何かをしようとしているのだけは伝わってきたものの、それが何なのかという肝心なところが一切わからないままだ。
最終的にガツン! と、何かに叩きつけたような大きな音が響いて通話はぷつりと途切れてしまった。
「一体何が起きてんだ……」
「あの、フーゴさん。今の電話の件とは別で今気づいたんですが、これ……」
「あ、アイツ……!」
忘れて行きやがったなッ! 私の手に収まっているミスタさんが持っていくはずだったテープレコーダーに、フーゴさんの鋭い怒声が響き渡った。しかし、これがなくては証言を記録できないということで、私達は来た道を引き返すことになり、フーゴさんの苛つきは次第に増していく。
彼が私に対して鬱憤をぶつけてくることはまずないから、飛び火を気にするとかは全くないのだけれど、これでは彼がストレスでやつれてしまいそうで心配になる。
疲れた時には甘いものとよく言うので、後日何かを渡してあげようと考えを巡らせていると、ふとミスタさんとブチャラティさんが向かった建物が見えてきた。近づくことにより、だんだんと視認できる部分が増えていく。そうして、不意に上の方に物体が見えた気がして、なんとなく目を凝らす。
あれは……人?
誰かが外壁の修繕でもしているのだろうか。壁に張り付くような体勢に首を捻る。また、距離が近づく。今度はそこよりも少し高い位置にある窓に人影がちらついた、と思う。さらに距離を詰める。と、壁に張り付いているのではなく、かろうじてぶら下がっているのだと気がついた。見慣れた色の服装、姿形……あの人は、まさか!
決して当たってほしくはない嫌な予感に、ぞっと背筋が冷えた。刹那、人影があった窓が勢いよく割れた。反射的に見上げると、なんとこれまた見慣れた人物が真っ逆さまに落ちていくではないか。思わず隣のフーゴさんの服の裾をぎゅうと掴んで、もう片方の手で道の先を指し示す。正確には道よりも、もっと上の方を。
「ふ、フーゴさんっ! みす、ミスタさんが上から降ってきますっ……!!」
「チッ、何をやってんだアイツは!!」
掴まってろッ、と短く叫んだフーゴさんがアクセルを踏み倒したのか、ぐわんと急に重力がかかり油断していた私はバランスを崩した。彼の服を掴んでいたせいで、強制的にそちらへと体が傾く。しまった、と咄嗟にそう思ったのだけれど、そのことに関しては彼は少しも焦りを見せなかった。
予想していたとばかりに、私の背に片腕を回して守るように抱きすくめる。思わず身を固くしたのと、ドガン! と車にものすごい衝撃が加わったのはほとんど同時の出来事だった。
「うぅ……フーゴさん、すみません。だいじょうぶ、ですか……?」
「いッてぇ……」
「ひっ、あ、頭から血が出てますっ……!!」
たらり、と真っ赤な鮮血が彼の頬を伝う。落ちた滴が服に吸い込まれ、痛ましい染みをいくつも作っていく。
鉄錆のような匂い。歪んだ表情。死を連想して呼吸が浅くなる。視界が自然と滲んでゆく。
「──ココロ」
「っ!」
「怪我はありませんか、」
「け、が……」
そう問われて、初めて自分が無傷であることに気がついた。
ひしゃげた車内では上手く身動きはとれないけれど、ひどい痛みはない。彼の優しさによって庇われたからだ。その事実を強く実感して、我慢できなかった涙がついに目のふちを超えた。動揺しているせいで何を言っているかはわからないものの、ミスタさんの声も聞こえる。生きているのだ。ちゃんと、二人とも。
怪我はないと示すために、なんとか頷いてみせる。と、未だ冷静さを欠いていることが筒抜けだったのか、フーゴさんが僅かに身を捩り私の頰に片手を滑らせた。
思いの外、血の気が引いていたのかもしれない。彼の掌がいつもよりも温かく感じられて、はっと息を呑む。ぼくは平気だから落ち着いて、と音はなかったはずなのに、ゆっくりと愛おしいものを見るように細められた双眸に、そう言われている気がして。
ようやく、冷静になれた。
「っ、『イレイス・リロード』……!」
小さく呟き、自身のスタンドを呼び出す。同時に現れたのは一対のイヤリングだ。両耳に一つずつ、それぞれ太陽と月を象っている。
そっと目を閉じて、深く、強くイメージを膨らませてゆく。現段階では全貌はわからないから、この瞬間に起こったことを。すでに過去となったことを。理解ができる範囲で、より多くの被害を無くす。そのためには……。
思いついたとある一点に意識を集め、躊躇うことなく能力を発動させた。
──車とミスタさんの衝突によって引き起こされた事象を全て“なかった”ことに。
そう願うと、次に目を開けた先にある光景はがらりと変化していた。
潰れて圧迫されていた車内の様子は見る影もなく、飛び散ったガラスの破片はどこにもない。怪我を負っていたはずのフーゴさんも、血で汚れていたお互いの服も、今はもう元通りになっている。おそらく、車の上にいるであろうミスタさんの受けた物理的な衝撃も全て消え去っているはずだ。
まるで、少し前の状態に時間が巻き戻ったかのような不自然さ。“なかった”場合の未来に変わったそこに、矛盾は多々あるかもしれない。けれども、この力は前後の整合性に囚われずに過去の改変ができる。言わば、矛盾を引き起こせる能力であった。
上手く力が作用してくれたことにほっと胸を撫で下ろす。
「……もう痛くありません。ありがとうございます、ココロ」
「よ、よがっだでず……っ」
「ちょ、ちょっと涙拭いて。……ったく、ミスタの奴はさっきから何やってんだ」
ぽんぽん、と頭を優しく叩かれて余計に泣きそうになったけれど、これ以上困らせるわけにはいかないので慌てて涙を拭った。
ぎこちなく笑みを作ると、しょうがないなとでも言いたげな温かさを含んだ表情で彼はそっと離れていく。同時に私の手からテープレコーダーを取って車の外に出たので、ミスタさんの無事を確認しようとそれに倣ってドアを開けた。
「おい、ミスタ。テープレコーダー忘れて行ったろ、このボケ」
「お、おお。オメェかフーゴ」
「ミスタさん、お怪我は……?」
「あったはずなんだが、どうやらココロのおかげでなくなったみてェだな」
グラッツェ、といつもと変わらない様子で車の上からひらりと手を振る姿に、一気に肩の力が抜けた。能力は彼にもちゃんと届いていたようだ。安心して発動していたスタンドを解除すると、ふっと一瞬で両耳のイヤリングが空気に溶けるように消えていった。
最初に車から見えたブチャラティさんが能力であるジッパーを使い地上まで降りてきたので、三人でそちらへ向かう。と、彼の足元に何かが砕けたような残骸が転がっているのを発見した。目を瞬く。何だろうか、これは。そういえば、ミスタさんが落ちてくる時に大きな丸い何かを抱えていたような……?
何気なくしゃがんで、かけらを摘んでみる。硬い。ただの石のようだけれど、例の彫刻家のスタンドだろうか。ミスタさんが踏みつけても何の反応もないし、すでに攻撃する意志はなさそうだった。
「ミスタ、どういう偶然が重なればこうなるんだ」
「いえ、アンタはもう大丈夫っす。その、どう説明していいやら……とにかく、例の花屋の娘の死は彫刻家が犯人のような……でも、ほとんど犯人ではないような」
「それはどちらなんでしょうか……?」
「オレもよくわかんねーんだよな。とりあえずヤツを一、二ヶ月入院する程度は痛めつけてやりましたけど」
「ほんと言ってることがわからねぇ奴だな。敵なのか、味方なのか。自殺か、他殺か。順序よく説明してくれ」
私達の疑問に首を捻りながら答えていくミスタさんの言葉は、何が正解なのか自分でも探っているような、そんな曖昧なもので。
簡単に言うと、“石を破壊できたから全ては終わった”らしいのだけれど、やっぱりよくわからない。理解するためにはまず、この石の能力を知る必要があるようだ。
「涙目のルカは当初の予定通り、オレとココロでやろう。フーゴ、花屋の親父にどう説明すればいいか、ミスタからよく話を聞いておいてくれ」
「ブチャラティのためなら何でもするが、コイツの話ぼくに理解できるかなあ?」
「うーむ。石の形が運命で、それを壊せたからその運命が変わって……?」
「もうおまえは考えるな。アバッキオの『ムーディー・ブルース』に頼む」
先程直した車へと踵を返したブチャラティさんの後を、うんうんと唸るミスタさんとそれに冷たい眼差しを向けるフーゴさんが追っていく。彼らに続こうと一歩を踏み出した時、不意に背後から視線を感じた。反射的に振り返る。
けれども、そこには誰もいなくて。あるのは足元の崩れた石だけだった。気のせいだろうか。きょろきょろと辺りを見回し、結局誰も見つけられずに地面へと視線を戻す。
それにしても、この原型を留めていない石は何なのか。元の形は不明だというのに、何故だか異様に存在感を放っているような……?
興味を惹かれる、とは少し違う。どちらかと言えば嫌な感覚だった。胸の奥がざわざわする。虫の知らせみたいなものなのかもしれなかった。
「おーい、ココロ? なんかあったのか? 置いていっちまうぜ〜」
「どうかしたのか?」
「ココロ?」
「あ、なんでもありません……!」
考えても納得できる答えが見つからない。仕方なく小さな違和感を無視して、私を待ってくれている彼らの呼び声に返事を返した。
その場を離れる前に、最後の抵抗としてなんとなく石の残骸を睨みつけておく。どうしてそうしたのかは自分自身でもよくわからないけれど、なんだか少しだけ気分が晴れたことが不思議だった。
その後。余程疲れていたのか、車の中でミスタさんが「苺ケーキが食いてぇ」とぼやいたのを聞いて、いつも通りだなあと緊張が溶けて思わずくすりと笑ってしまった。
さらさら、と風に吹かれて石の残骸が消えていく。
どんなに形を変えようとも、未来は、運命は変わらないものなのだ。彫刻家はそれを信じていた。例え、どれだけあがこうとも、定められたことはもうどうしようもないのだと。
数分前まではブチャラティの形をしていたはずのそれが、再び彼を模り、さらに見知らぬ二人の顔に姿を変えた時、彫刻家はやはりとその考えを深めた。
しかし、次の瞬間──彼は息を呑み、目を見張った。
「な、なんだと……? 石が消えたッ!?」
役目を終えれば確かに石は消えていく。
だが、こんな。文字通り、瞬きをする一瞬で消えていたなんて、こんなことは初めてだった。思わず己の目を疑う。しかし、懸命に目を凝らしたところで視界に映る光景に変化は訪れない。
これでは、まるで……。
「──まるで、初めから何も“なかった”かのような……」
ざわり、と鳥肌が立った。自分はとんでもない瞬間に出会したのかもしれない。
彫刻家の瞳には、石が消える直前までその場にいた、小さな少女の後ろ姿が映っていた。小走りで仲間の元へ向かうその姿からは、特に何も感じられない。意識して何かをしたわけではなさそうだ。だとしたら、尚更驚かされる。
「まさか、彼女の存在自体が彼らの運命を変えるとでもいうのか……?」
そもそも、彼女はどこからどう見てもジャポネーゼではないか。平和だと有名なかの国の人間が一体何故、躊躇いもなく銃をぶっ放してくるような連中と連んでいるのだろうか。
普段はそれほど気にしないはずなのに、イレギュラーを起こされると無性に興味を唆られてしまう。
彼女たちの無事を祈ることはできない。
しかし、運命を変えられるというのなら、それはそれで見てみたいとも思うのだった。