嵐の前の静けさ
「何があったんですか? さっきよりも随分打ち解けているような気がしますけど……」
「ん、なんかジョルノが手品みたいなことしてさ」
「ジョルノのスタンド能力のようです。詳細はわかりませんが」


 ナランチャさんの頬を拭いながら、柔らかく解けたような空気に変わっている理由を問う。ハンカチを濡らしに一度この場から離れたけれど、その時とは比べ物にならないほどだった。もちろん良い兆候ではあるのだろうし、険悪な雰囲気よりも和気藹々としてる方が余程落ち着くとはいえ、こうも態度が軟化しているとその理由が気になるというものだ。
 しかし、いくら聞いてもナランチャさんとフーゴさんは詳しい経緯を教えてくれない。ミスタさんはジョルノさんへ何故か口の中を見せてくれと迫っているし、アバッキオさんは何があったのかずっと苦々しく眉根を寄せている。
 使い終わったハンカチを懐にしまいながら首を傾げていると、フーゴさんに「あなたは気にしなくていいことです」と、これ以上聞くなというように肩に手を置かれてしまった。余計に疑問符が舞ったけれど、有無を言わせぬ雰囲気だったので頷いておく。


「ごめんな、ココロ。ハンカチ汚しちまって」
「ふふ、これくらい平気ですよ。それに、」


 やろうと思えば、元通りにできますから。その言葉を小さく返したのは、ナランチャさんとフーゴさんが私の能力を隠そうとしてくれていたことに先程気がついたからだった。
 ジョルノさんにいつまでも秘密にしておこうとは思わないけれど、彼が自分の能力を教えてくれるまでは内緒にしていてもいいかもしれない。チームのみんなが過去に驚いていたように、ジョルノさんもこの能力に驚くのだろうか。
 納得した様子のナランチャさんに安心しつつも、その瞬間を思い浮かべて思わず口元を緩めてしまった。


「あ、そうだ。ジョルノさんの分も苺のケーキがあるんですよ。よろしければどうぞ」
「いいんですか? ありがとうございます」


 頼んでおいた彼の分のケーキを取り分けてテーブルに乗せる。差し出されたそれをすぐに食べようとして、不意にフォークが止まった。「甘いものお嫌いでしたか……?」「いえ、そういうわけでは」問いかけに答えた彼の様子を見るに、嘘をついているわけではなさそうだ。ならば、急にどうしたというのだろうか。
 ジョルノさんを眺め目をぱちぱちと瞬いていると、唐突にガッ! と机の下で何かの音がしたと同時に彼の顔が若干歪められた。な、何の音……?


「っ、いた……」
「ココロがなんかするわけねぇだろうが。コイツの無害さは見たまんまなんだよ」
「ええ、そのようです。先程の熱烈な歓迎をしてくれた誰かさんとは大違いだ」
「テメェ……!」


 熱烈な歓迎、とは。よくわからないけれど、何故だかアバッキオさんが怒っているのでそれと関係しているようだ。ぐっと拳を握る彼を横目に、ジョルノさんは黙々とケーキを頬張っている。「美味しいです、ココロ」なんて、私が作ったわけではないのに、柔らかく微笑まれるとこちらまで嬉しくなってしまう。
 へらり、とつられて笑みを浮かべてから、より機嫌の悪くなったアバッキオさんを宥めに行くことにした。


♦︎


「なあ、ココロは飲みもん何にする? やっぱリモナータ?」
「はい、できれば……っじゃなくて。遊びに行くわけではないんですよ、ナランチャさん」
「わかってるよ〜。でもさ、目的地に着くまでは暇になるし、クルージングなんて滅多にできないしさぁ〜」


 楽しまなきゃあ損じゃんか。なんて、鼻歌を歌いながら両手にお菓子やら飲み物やらを抱えていく。それが、どんどん増えていくものだから思わず声をかけたのだけれど、やはりというべきか自重するつもりはないようだ。
 これがブチャラティさんの声かけだったなら、きっと彼は留まるのだろうな。そう思いながらも、強くは引き止められない私も共犯か。そもそも、ナランチャさんがあまりに楽しそうだから止めるに止められない。


「全くアイツは子供丸出しじゃあないか……」
「こちらまで自然と笑顔になってしまいますよね」
「苦笑いの間違いですよ」


 なるほど、確かに。私は微笑ましいと思っている中で、目の前のフーゴさんは呆れたような顔をしていた。けれども、きっとそれは私よりも長い間彼と共にいたからこその反応なのだろう。
 そう思うと少し羨ましい。誰が、とかではなくて、ただみんなと一緒にいる期間が私は一番短いから。この場所にいられる時間が、これからもずっと続いてくれれば良いと切に願う。


「フーゴさんは止めに行かないんですか?」
「呆れてものも言えませんからね」
「ココロ、フーゴ。船を借りたから行くぞ」
「「はい」」


 カウンターから戻ったブチャラティさんに呼ばれて、会計を済ませたナランチャさんと共に三人で彼の後を追う。
 途中、安心したように胸を撫で下ろすミスタさんが見えたから、どうやら四番の船ではないようだった。相変わらずの“四”嫌いに思わず少しだけ笑ってしまったら、それに目敏く気づいた彼に額を軽く小突かれてしまった。


♦︎


 見渡す限りの青い海と青い空。太陽の光を反射する海面はひどく眩しかった。温暖なイタリアの気候は今ばかりは少し暑いくらいだ。
 先程ナランチャさんからもらったレモネードを一口飲み、それから何か生き物がいないかと海面を眺めていると、ふと隣に誰かの影ができて顔を上げる。


「フーゴさん」
「そんなに覗き込んで海に落ちないでくださいよ」
「そ、そこまで抜けてないですよ……たぶん」
「たぶんって……」


 絶対に落ちないとも言い切れないので、そう付け足すと心配げな顔をしたフーゴさんに腕を掴まれて、そのまま手摺りから遠ざけられた。断る理由もないので、されるがままに彼について行く。相変わらず面倒見が良い人だなあ、と思う。ナランチャさんといると、彼が保護者のように見える時さえあるくらいだ。
 そんな彼が不意に立ち止まって、こちらを振り返る。「どう思います、あれ」そう問われて、彼の見ていた方向を大きな背中越しに窺い見た。


「どう考えても空気が最悪じゃあないですか」
「そういえば、そうですね。先程までは少し和らいでいませんでしたか……?」
「この船に乗ってからアバッキオが異常に警戒してるみたいなんです。気持ちはわからなくもないんだが……」


 視線の先にいたのはブチャラティさんとアバッキオさん、それからジョルノさんだった。
 二人が話しているのをやや離れた位置にいるアバッキオさんが監視するように見つめている。正確にはジョルノさんだけを、だ。もともと警戒心の強い人だけれど、今回は群を抜いているような気がしなくもない。何か気にかかることでもあったのだろうか。


「アバッキオさん、私と出会った頃よりも断然警戒しているような……」
「いや、比べ物になりませんよ。そもそも、ココロに対して警戒しろって方が難しい部分がありますからね」
「??」
「なんでもありません」


 はあ、と少し呆れたように嘆息した彼は、それ以上の答えを伝えるつもりはないようだった。首を傾げてから、もう一度三人を見やる。ジョルノさんは全く気にした素振りを見せていないので、気付いていないのか。それとも気にしていないのか。
 きっと後者だろうと結論が出たのは、ちょうどジョルノさんが私の視線に気がついてこちらに微笑みかけたからだった。誰かの視線に気づく彼が、アバッキオさんの懐疑に濡れた視線に気づかないはずがない。同じ考えに至ったであろうフーゴさんと顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。


「こういう反応がさらにアバッキオを煽ることになるのに」
「ジョルノさんはきっと悪い人ではないですから、早く仲良くなれるといいですね」
「仲良く、まではいかなくとも、この空気はどうにかしてほしいもんです」


 お互いに名乗った時の、ジョルノさんの温かな掌を思い起こしながらそう呟く。これから一緒にいれば、絶対にいつかはこの空気も消えてなくなるはずだ。だって、このチームのみんなは一人残らずやさしい人ばかりなのだから。
 誰に言うでもなく、自慢げに心の中で思いながら、疲れた表情を見せるフーゴさんへそっと自分のレモネードを差し出した。たまたま炭酸が入っているタイプのものだったので、これで気分もすっきりしてくれればいいのだけれど。
 何の疑問もなく受け取った彼は一口それをあおり、徐にその動きを止める。あ、と何かに気がついたように一瞬表情が固まり、それからわなわなと震え出した。急にどうしたのだろうか。ぱちり、と瞬く私を横目に睨みつけた彼は、唇と声までも震わせていて。そして、何故だか顔が真っ赤だった。


「あなたって人は〜〜ッ!」
「え? フーゴさん炭酸だめでしたっけ……?」
「そうじゃあないだろッ!」