/ / / /


時間がほしいと言っていたウルボザを快く部屋に招き入れ、話を聞くことにした。その際、近衛騎士のみならず見張りの兵士さえも人払いの対象とされていたので、どうやら聞かれては困る用件らしい。なんだかより緊張してしまう。一体何が始まるというのか。


「よかったらどうぞ。お口に合うかはわかりませんが……」


一旦、気持ちを落ち着かせるためにもお茶を用意してみた。しかし、案の定と言うべきか、ネームドキャラがいる部屋で集中など到底できるはずもなく……。手元が狂って食器を割らなかっただけ良しとしよう。味についてはまあ、余程のことがない限りは飲めるだろう。たぶん。そもそもがお城にあるような高級茶葉なので。


「……ああ、ありがとうね」


来客用の如何にも高そうなテーブルへとティーセットを乗せると、ややぼんやりと宙を眺めていた彼女の睫毛がそっと震えた。ほわり、と湯気と共に心安らぐ良い香りが辺りに漂う。ウルボザは目の前に置かれたティーカップと、その中をたっぷりと満たす飴色の紅茶をまじまじと見つめ、感心したように呟いた。


「……まさか、お茶も自分で淹れられるとは」
「特別得意というわけではないのですが、簡易キッ……調理場ならここにもありますので」


キッチン、と何気なく飛び出そうになった単語を咄嗟に別のものへと変換しながら、さも何も起きていませんよという風に自分のカップへとティーポットを傾ける。変に途切れた部分を指摘されやしないだろうかと内心冷や汗をだらだらと流していた。流すのは紅茶だけでいい。

ちらりと彼女を窺う。……、……。ふむ、これと言って何か変わった点はなさそうだ。やらかし発言にも気づいた様子はない。紅茶に夢中。助かった!

実のところ、“キッチン”がゲーム内で使われていない単語かどうかは定かではない(ミニチャレンジのタイトルにはあった気がする)のだけれど。しかし、敢えて危ない橋を渡る必要もない。時代にそぐわない言葉を乱用し、意味の通じない会話を並べたら最後。変人のレッテルを貼られるだけで済むかわからない。

全ての登場人物との会話を、その表記に至るまで事細かく覚えていられたら良かったのだが……。まあ、当然そんな神業を持ち合わせているはずもなく。とりあえず、今後も特にカタカナで表記されるような言葉には注意しようと心に決めた。


「……それで、その……ウルボザ様は本日はどのようなご用事でしょうか?」


紅茶を一口飲み、よしと気合を入れて正面に座るウルボザを見据える。彼女と言葉を交わすと意識すると、たちまち緊張してしまう。気を抜くと声が震えそうだ。しかし、これこそが本来の目的。ただのお茶会を開くために彼女はここに来たわけではない。いや、でも紅茶とウルボザは非常に絵になる。うーん、所作が綺麗。


「ウルボザでいいよ、御ひい様。本当は御ひい様とは初対面じゃないんだよ。まあ、あんたはまだ生まれたばかりだったから、私のことは覚えちゃいないだろうけどね」
「そうなのですか……」


言われてみれば、薄らと開く瞼の先にちらほらと赤い髪を見かけたような気もする。もしかしなくてもそれが彼女だったのだろう。ああ、そういえば、ウルボザと王妃様は昔からの付き合いだったという事実がゲームで語られていたっけ……? どうりで“ゼルダ”と仲が良いわけだ、と納得した記憶がある。

ただ、それが自分の身に関係のある話として回収される日が来るとは思っていなかった。おかげでどう反応するのが正解なのか全くわからない。本物の姫を自分が殺し続けているのだとまざまざと突きつけられているようで、胸の辺りが重たくなる。王妃様と関わりがある以上、英傑云々の以前にいつかウルボザに出会うという可能性に気づけなかったのは何故だろう。無意識に見ないようにでもしていたのだろうか。


「では、お言葉に甘えてウルボザさんと呼ばせていただきます」
「ふっ、固いねえ。それで甘えてるのかい? 全く……王妃様が前に言ってた通りの真面目だよ」
「王妃様……ということは、やはり先程までお母様に会われていたのですか?」
「“やはり”? そうだけど、よくわかったじゃないか」


今のあの子はほとんど面会謝絶だろう……? と不思議そうに首を捻る彼女にぎくりとする。しまった、頭の中ですでに“王妃様とウルボザ=友人”という認識になっていたから、会いに来るくらい普通だと思って口を滑らせた。ウルボザの言う通り、王妃様は数年前の出産の後すぐに体調を急変させて、今ではほぼ寝たきりの状態だ。血縁上は娘である私でさえも、あまり会う機会はない。そんな現状で“面会者がいた”という思考になること自体がおかしいのに。

必要以上に大きく脈打つ心臓を自覚しながら、落ち着けと必死に自分へ言い聞かせる。動揺を悟られては余計に怪しく映ってしまう。大丈夫、大丈夫だ。まだ抜け道はある。奇しくも私は今、その王妃様の娘という立場なのだから。彼女らが親しい友人だという事実を、ゲーム知識関係なく“昔から知っていた”としても何ら不思議ではない。


「……昔、お母様からゲルド族の友人がいると聞いたことがあったので、あなたがそうなのではと思いまして」


嘘を吐く時には真実を織り交ぜると良い、とは誰から聞いた言葉だったか。この場合の真実は、かつて王妃様からゲルドの友人について少しだけ聞いたこと。嘘は、それとウルボザを結びつけられたのはゲーム知識を使ったメタ的な視点があってこそで、決して推測から得た答えではないということ。

咄嗟に取り繕ったにしてはそこそこ形になっている、と思う。少なくとも、嘘に関しては異物である私とは違い、純粋なこの世界の住人ではまず辿り着けない思考のはずだ。予想の通り、大して疑うこともなく「ああ」と彼女は顎を引いた。


「なんだそうだったのかい。知らない間に自分の話をされてると思うと、ちょっと恥ずかしいね」


言いながら気まずげに目を逸らすウルボザの頬は褐色のおかげでわかりづらいものの、ほんのちょっぴり赤らんでいるようにも見える。どうやら乗り切れたみたいだ。ほっと安堵すると同時に僅かな余裕も生まれ、その光景を微笑ましいと感じ取ることもできた。代わりに、悶々と胸に巣食う痛みは嘘を用いた代償として甘んじて受け入れよう。

そう心の中で自分を律し、気持ちを入れ替えようとカップを口元に寄せた時だった。何気なく持ち上げた視線の先、何故か思い詰めたような顔をしたウルボザがいて。瞬間、全身の血液が凍るような感覚と共にぴしりと硬直した。

ま、まさか、今度こそ何かやらかしたか……??


「ど、どうかしましたか……?」


中途半端に静止させた水面がゆらゆらと溢れそうになるのもよそに、恐る恐る声を絞り出す。気分はさながらセーブデータが吹き飛んだ時のような絶望感だったのだが、彼女から返ってきた反応と言えば「え?」と気の抜けた返事のみ。どうやら指摘されて初めて自分が表情を歪めていたことに気づいたらしい。その様子を見るに私がやらかしたわけではないと判断して、ひとまず手にしたカップをそっとテーブルに戻す。中身は溢れていなかった。

思い返してみるとこの部屋に来てからの彼女は、心ここに在らずと言わんばかりにどこかぼうっとしていることが多いような……。もしや、体調でも悪いのだろうか。 心配でじっと見つめていたら、一瞬何かを言いかけたウルボザと目が合った。しかし、躊躇ったように口を閉じ、手元の紅茶に視線を落とす。憂いを帯びたその瞳は、果たして本当に紅茶を映していたのか。

しばしの沈黙。大きく息を吐いた彼女は静かに瞼を伏せると、やがて覚悟を決めたような翡翠がこちらを射抜く。かちゃん、とソーサーに置かれたカップの奏でた音がやけに鼓膜に伝わった。


「……私は仮にもゲルドの族長でね。友人の見舞いにも頻繁には来れやしない」
「? ええ、お忙しいのはお母様も理解しているはずですから、ウルボザさんに来ていただけるだけで嬉しいと思いますが……」
「そうじゃなくてね。そうじゃないんだ……」
「??」


要領を得ないな、と思う。しかし、切なさや悔しさを集めたようなひどく哀しげな雰囲気を前にしては、耳を傾ける以外に選択肢はない。

それにしても、快活さが鳴りを潜めたウルボザというのも珍しい。ゲームでは頼れる姉御肌のイメージだったのに、目の前の彼女は普通の悩みを抱える人間だ。決して悪口のつもりはないけれど、なんだか本当に“生きている”のだな、と実感する。当たり前のことなのに、きっと“未来の英傑”という先入観のせいで当たり前と思えていなかった。やっぱり、ネームドキャラと呼べる主要人物を城下町の群衆と同一視するのはなかなか難しい。


「御ひい様はさ、どのくらいの頻度であの子……王妃様に会えてる?」
「私は大体一週間に一度、会えたら良い方ですね。お母様の体調も関係してくるので」
「そうかい……私はね、前回来れたのがひと月前なんだよ。ああ、回数がどうのって話じゃないよ。ただ……時間が空くと、あの子の体調がどんどん悪くなってるのがわかりやすくてね」
「!」
「いつ、あの子の限界がきて、いつ、この手が届かない場所に行くんだろうって……正直怖くてさ」


情けない話だよ。と憔悴しきったような顔で呟くものだから、胸の辺りがきゅうと締め付けられた。何か声をかけてあげたくて、小さく口を開く。けれども、そこから良い言葉は全く思いつかなくて。何の確証もない“大丈夫”も。気休めの励ましも。今は安易に送るべきではないと思ったから、結局何も言えないまま大人しく口を閉じるしかなかった。