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※ウルボザの過去(百年前より以前)の姿の捏造あり。


国王様に与えられた本の数々は、いつもの如くどれもこれも小難しい内容であった。このハイラルにおける政治や歴史、王族としての振る舞い、エトセトラエトセトラ……。正直、数分文字を追っただけで面倒になってくる。もし、これがただの分厚いファンタジー小説だったなら、きっと喜んで飛びついたものだがしかし。

厄災をどうにかしたいと決めた以上、こんなところで弱音を吐いている場合ではないのだ。どんな知識でも蓄え、糧とし、些細な情報さえも見逃さないようにしなくては。もしかしたら、厄災への対抗策だとか封印の力に関するヒントなどが転がっているかもしれない。そう、これは大概退屈である授業とは似て非なるもの。言わば、大好きな世界に対する攻略本なのだ。


「(攻略本、これは攻略本……)」


必死の思いで自分に暗示をかけながら、気合いで次の文章をたどる。そういえば、こちらの世界に来てから何故かハイラル文字がすらすらと読めるようになっていた。世界を跨いだ影響か、はたまたこれこそがよくある転生特典的な何かなのか。正解はわからないけれど、さすがにハイラル文字を暗記するなんてオタクを極めたことはしていなかったからとても助かっている。まあ、解読できたら楽しそうと思った過去は何度もあるが。


「あっ、“聖なる力”……!」


ハイラルの姫が受け継ぎし力についての記述があった。その他には厄災、封印、勇者などと、ちらほらとゲームで見たことのある重要なワードが散らばっている。何かめぼしい発見はないだろうか。時折り視界を遮ろうとする横髪を何気なく耳にかけながら、集中してページを捲ろうと手を伸ばしーー瞬間、部屋にノック音が響き渡った。


「ぅえ……っ!?」


完全にプライベートをかまして油断していた。故に、びゃっと面白いほど肩が跳ね上がり、その拍子に危うく紙で指を切るところだった。おまけに、驚きすぎて姫らしからぬ声を出してしまったし、耳にかけたはずの髪にはびたん!と攻撃も受けるわである種の満身創痍。心臓が痛い。ノックひとつでこの有様とは、なんと格好がつかないことか。


「姫様、少し宜しいでしょうか?」


いかん、集中すると周りが見えなくなるのは悪い癖だな。奇行は目撃されてないから良いとして、奇声の方は外までもれていないことを願うしかない。


「……姫様? 姫様、いらっしゃいますか?」
「は、はい! ただいま参ります」


返事が遅れたからか、おそらくまた脱走したのではと不安を滲ませた声音に慌てて椅子から飛び降りる。山積みの本はそのままにぱたぱたと軽く身だしなみを整えつつ、小さく深呼吸を一つ。頭の中にあるべきお姫様の立ち居振る舞いを思い浮かべながら、そっと扉に手を伸ばした。

今更だが、普通のお姫様は自分で扉を開けに行かないんだっけか……? 躊躇いもなくノブに触れる己の手を見て、ふとそんなことを思い出す。確か、以前に「不用意に扉を開けるなど危険極まりない!」と注意を受けたなあ。前の世界にあった漫画やアニメの中でも、ノックに対するお姫様や王子様の反応は多くが「どうぞ」の一言だったはず。

まあ、一般人の平凡代表みたいな私が、お城の関係者を顎で使うような真似できるわけないんですけども。お姫様への擬態なんて前提からして無理じゃねえか、と自分自身にセルフ突っ込みを入れながら開いた扉の向こう。不意に目に飛び込んできた光景により、ほとんど無いに等しい化けの皮が一瞬にして粉微塵になった。


「ーーっ!!??」
「失礼致します。姫様にお会いしたいという方をお連れ致しました」


虚しいかな、渾身の化けの皮は衝撃の無効化なんてしてはくれなかった。しかし、かろうじて悲鳴を上げなかったのは褒めてもいい。まるで、時が止まっているかのような感覚の中、たぶん数秒間は呼吸を忘れていた。同時に全身を襲う、強い雷みたいな驚愕が肌を駆け抜ける。はくりと意味もなく震えた唇は情けなく、如実に緊張や動揺を表していたことだろう。

ぼろぼろと無残にも理想のお姫様の皮が崩れゆくイメージが脳裏を過ぎり、けれども固まるしかないこちらを“その人”は少し面食らったように見つめていた。一拍置いて、やや丸みを帯びる双眸が穏やかに細められる。

見張りの兵士さんとは別の、王妃付きの近衛騎士である一人が伴う“彼女”に視線を向け、一歩下がった。


「こちらは砂漠の民ゲルドの族長、ウルボザ様です」
「サヴァーク」


はい、どう見ても英傑のうちの一人です。本当にありがとうございました。

まさかの状況を受け止めきれず、混乱を極めた脳内では「はわわ喋った……」なんてオタク丸出しの感想を抱くばかりで、あまり耳馴染みのない挨拶はその意味を捉える前に通り抜けていく。嵐が吹き荒れるこちらの内心を知ってか知らずか、流れるように片膝をついた相手と視線が交差した。


「お初にお目にかかります、ハイラルの姫君。私はウルボザと申します。突然訪ねてしまったことをどうかお許しください。少し姫様のお時間をいただきたく参りました」
「(わあ)」


やばい。キャパオーバーして内容が全く頭に入ってこない。落ち着け自分。

かつて、国王様に会った時よりも、なんなら己の転生や成り代わりに気づいた時よりも仰天している心臓を正常に戻そうと、無意識のうちに詰めていた息を小さく吐き出す。それから、宝石みたいな綺麗な瞳から不自然にならない程度に視線を逃した。どうか、人見知りの子供が恥ずかしがっているように見えてくれ、と祈りながら。

落とした視界に、鍛えられて引き締まった体付きが映った。眩しい褐色の肌。目の覚めるような赤い髪は記憶よりも短い気がする。顔立ちもゲームと比べると少し若い。厄災復活よりも前の時間軸なのだから当たり前と言えばそれまでだが、普通なら見ることの叶わない貴重な過去の姿を前にして平常心でいられるかはまた別の話である。

反射的に尊いと叫んだり、天を仰いだりしなくて助かった。そんなことをした暁には“おてんば”も“じゃじゃ馬”も突き抜けて、ただの“変人”へと評価が大暴落してしまう。社会的に死にたくない。

たぶん側から見たら突如街中で推しの芸能人に会ってしまったがあまりの供給過多にどうすることもできない、みたいな図だったのだと思う。それがこの世界でも共感を得られる認識かどうかは微妙だが。とにかく声をかけたのにも関わらず微動だにしない相手を心配してか、ふと覗き込むようにウルボザのご尊顔が現れた。申し訳なさそうな表情。まさか、機嫌を損ねたように見えただろうかとはっとして、昂っていた感情が途端に凪いだ。


「ごめんね、驚かせたかい?」
「……いえ、」


静かになったオタクな自分を頭の中で念入りに殴り飛ばし、代わりに冷静な自分を引っ張り出す。いそいそと素早く新しい化けの皮を着直すイメージをしながら、先程彼女が浮かべてくれた柔和な笑みを真似るように表情を溶かす。モブ以下の私ごときが未来の英傑様を悲しませるなど言語道断!


「いいえ、あなたがあまりに綺麗なので、つい見惚れてしまって……」
「え?」
「そうとは言え、失礼な態度をとってしまい申し訳ございません」
「ああ、いや……」
「改めまして、私はナマエと申します。ウルボザ様、この度はお会いできて光栄です」
「わ、私もです、ナマエ様……」


さっきの口調が砕けた優しい語りかけは、ゲームで見ていたウルボザとぴたりと重なるなあ。やっぱり、目の前の彼女は本物なのだ。すごい。

ところで一つ聞いてもいいだろうか。

なんでウルボザさんはこの場でただ一人、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているんだ??


「(はっ! これはつまり……レアスチル!)」