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突然だが、ここはブレワイの時空らしい。

らしい、との曖昧な表現を使ったのは単純にそう言い切れる要素がないからだった。自分という異物が混じっている以上、そこはすでに純粋で忠実なゲームの世界とはかけ離れてしまっている。しかし、それに近い世界だと思い至った理由はいくつかあるのだ。

まずは、国王様その人のこと。直近でプレイしていた(と言っても今から振り返ると数年も前だが)ブレワイの彼と酷似しており、名前も一致している。ただの人違いとするには、些か全てに対して見覚えがあり過ぎた。さらに、私の行先を時々察知したかのように先回りして現れる様は、ゲーム序盤の始まりの台地でのフードの不審者を彷彿とさせる。そのうちパラセールを強請る選択肢が出たりしないだろうか。ないか。

次に、ハイリア人以外の種族とその容姿。この世界には、他の作品でも登場していたゾーラ族、ゴロン族、リト族、ゲルド族が生活しているようだが、しかしリト族に関しては限りなく猛禽類に近い姿をしていた。少なくとも風タクの彼らより、余程鳥らしい。確か、リト族の祖先はゾーラ族であるという設定があったので、その二つの種族が同時に存在しているのは不思議、なんて言われていたのもブレワイの特徴だったはず。

それから、一番の決定打となったのはハイラルの地図と歴史だ。前者は、完全にゲーム画面で見ていた配置のままであった。よくよく調べれば違う部分も出てくるかもしれないが、なんせ百年前と百年後の世界なので多少の相違点くらいはあってもおかしくない。後者については、古い文献やら王家の伝説やらに“厄災ガノン”や“神獣”という、非常に特定し易い言葉が並んでいた。

もうここまで来ると疑いようもなかった。未だにゲームの世界だなんだと、その現実感のなさに胡坐をかき、ただの夢である可能性に縋っている場合ではない。ひょっこり来てしまったから、これまたひょっこり帰れるかも。なんて、砂糖たっぷりのホットミルクよりも甘い希望的観測を信じられる期限はとうに過ぎている。腹を括るべきだ。そうなってしまったものは仕方がないのだと。

だって、一体全体どんな力が働いたら、本来存在するはずのない世界へ転生することになるのか。もうずっと思考を巡らせていたって、ちっとも答えに辿り着けやしない。わかるわけもない。誰も教えてはくれないのだから。ああ、早くこの架空を、現実として受け止めなくては。どちらにせよ、ここで生きていくしかないのなら、今の自分の立場と本当の意味で向き合う必要がある。


「厄災、か……」


いずれ訪れてしまうだろう大厄災に対して、自分ができることなど何もないのではないか。それが、この世界がブレワイの時空であると仮定した瞬間に生まれた懸念だ。何故なら、私は“ゼルダ”ではないから。ハイラルの姫という立場にありながら、中身が全くの別人なのだ。当然、封印の力なんてものは感じられなかった。これでは、例え四神獣の完璧な備えがあったとしても国が壊滅する未来しか見えない。笑えない。


「……どうしたらいいのか、」


それは、城の外へ初めて抜け出した時のこと。その日の予定を無理やり切り詰めて作り上げた隙間時間はごく僅かだった。城の抜け道をスパイさながらの身のこなしで突き進む熱意。今考えればおかしな行動力だが、きっとただのファンとしての好奇心が大部分を占めていたに違いない。しかし、そんな下心満載な物見遊山も、次の瞬間には“焦燥と絶望”の色に染められてしまった。他でもない、望んでいたはずの城下町の光景によって。

往来の多いメイン通り。大人を器用にも避けて、楽しげに石畳を駆ける子供達の姿。立ち並ぶ様々な露店。賑やかな話し声。どこからともなく聞こえてくる楽器の音色。食堂からの香ばしい匂い……。かつて、画面越しに見ていた百年後の光景とは異なる、とても栄えた城下の様子。とりとめのない、愛すべき日常がそこにはあったのだ。

生きている、と鮮烈な印象が脳に刻まれた。全てが全て、生きている。決して作り物なんかではない。架空なんかではない現実が。

忘れていたつもりはなかった。それでも、その際に改めて当たり前を突きつけられ、ショックを受けたのは確かだった。同時に、その幸せな平和を、そう遠くない未来で取り上げる原因が間違いなく自分だという事実に吐き気を覚えた。よたよたと覚束ない足で帰城できたのは奇跡に近い。

広いハイラルのうちのほんの一部でこれだ。あの地図の全体を考えるのなら、相当の人数が厄災で死ぬことになる。そりゃあ、“ゼルダ”も気に病むってものだ。ゲームをプレイしていた頃に彼女を責めたことなど一度としてなかったけれど、いざその立場になってみると自分のせい以外に思うところが何もない。ああ、困った。かなりの努力家である彼女でさえ、ぎりぎりの状況でやっと力に目覚めたというのに。紛い物の私にどうしろってんだ。


「(それでも、あの日常を失わせるわけにはいかない……)」


ぎゅっと強く目を瞑り、瞼の裏に本物の“ゼルダ”を思い浮かべる。無能だなんて不名誉な名で呼ばれても、最後まで逃げ出すことのなかった努力の天才。その姿は歴代の姫の中でも一番等身大の女の子に思えたし、一番好きになったキャラクターでもあった。だからこそ、そんな彼女を自らの存在が殺している現状を呪わずにはいられなくて。せめて。せめて、彼女の悲願であった百年前の世界で厄災に打ち勝てたなら。誰も失わずに済んだなら……。

それは、きっとゲームをプレイした者が一度は思い描くようなやさしい世界と願いだった。そして、私の“ゼルダ”に対する罪滅ぼしでもある。私だって、自分みたいな偽物にハイラルを救うなんて大それたことができるとは思ってない。思ってないけれど、やっぱり諦めることもできなかった。甘っちょろい理想上等。私はそんな甘い幻想がほしい。その先の未来をどうしても見たいのだ。


「(そうすれば、彼女もこの身体に戻ってくれるかもしれない、なんて)」


故に、城の外を見てからはずっと己を戒めてきた。取り巻く世界を見て、触れて。その度にそこが現実であるのだと心に刻み込み、守らねばならない尊い命と日常を頭の中で反芻する。全ては、自分の願いエゴと果たすべき使命を忘れぬために。

周囲の者を困らせるとわかっていて脱走を繰り返すのは、そうした理由からだ。この詰みゲーをなんとか攻略してやるには、大前提として自分自身の意識の改革が必要不可欠なので。

だからどうか、早いうちに脱走など選ばずとも、真正面から外出の許可を得られるようになると嬉しいなあ。本当は一人で好き勝手に行動する方が気楽なのだが、戦闘面にややどころではない不安があるので護衛を付けてくださるとありがたいです。いや、この際自分も最低限の自衛ができるように鍛えた方がいいかもしれないな……。

え? 脱走の常習犯すぎて、許可が下りるより先に悪循環で監禁されてもおかしくないって??

そ、そそそ、ソンナコトナイヨォ〜……。