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「ほう、君達がか! なるほど、これは目を見張る。あの赤髪は本物だったのだな」


じろじろとまるで見世物のように白雪を眺め、満足そうに笑う目の前の人物はあの悪名高いラジ王子ご本人だ。彼の使いの者だと名乗るその人に連れられてやって来たこの部屋は、やはりと言うべきか王族らしく煌びやかで豪華な造りだった。つい、と不意に王子の視線がこちらを向く。


「それと、左右で色の違う瞳も嘘ではなかったか」


嘘だと思っていたのだろうか。素晴らしいな、と顎に手を添え値踏みするかの如く覗き込む彼と自然と目が合う。途轍もなく居心地が悪い。眼帯をつけていれば少なくとも片方への視線は防げたのかもしれないけれど、ここに来る前に取り上げられてしまったので今は手元になかった。


「……友人への薬をいただけるのでは? ラジ王子」
「そうです。私達のことより早く薬を、」
「それは後だ! お忍びというやつで私も時間がないからな」


なんとも勝手な言い分に私と白雪は言葉を失う。“時間がない”だなんて、ゼンの方がよっぽど危険な状態にあるというのに。万が一手遅れになんてなってしまったら、彼は一体どう責任を取るつもりだろうか。一国の王子が無関係な人に毒を盛ったと知られれば国中大騒ぎだ。


「それが、世にも恐ろしいことだが……、私が白雪どのとアリスどのに求愛し逃げられたと市街や王宮で笑い者にされているらしいのだ。全く……お陰で私の評判は地に堕ちかねない!」


大問題だと言わんばかりに真面目な顔で言ってのける彼に、ある意味でショックを受ける。「もともと堕ちる程の高さにないよ」と、そんな白雪の声が聞こえてくるようで、私は心の中で全力で同意した。この人はどれだけ自分の評価が高いと思っているのだろうか。


「君達を罪人としては噂が事実だと認めるようなもの」
「(実際逃げたし、事実なのでは……)」
「ーーそこで、だ。私の名誉回復の為、そちらから私の愛妾になりたいと申し出てもらう。ただの街娘とはいえ女性に恥をかかせたくはないと、胸を痛めた私が受け入れ解決だ」


…………幻聴かな??


思わず隣の白雪を横目で窺うと、同じく困惑したような視線と絡んだ。そうして、私達は悟る。ああ、聞き間違いじゃないのか、と。そんなとんでもない方法を、彼は本当に最良だとでも思っているのだろうか。“胸を痛めた”とか、冗談はやめてほしい。本気でそう思える人ならば毒を盛るなんて選択はしないはずなのだから。最低な手段を行使されて、ゼンはそれに巻き込まれてしまった。本来であれば、あの林檎は私達に宛てられたものだったのにーー。


「冗談、」
「ふざけないでください」
「!」


何かを言いかけた白雪を遮り、一歩前に歩み出る。そのままキッと睨みつけると、彼は虚をつかれたように一瞬目を丸くしたけれど、すぐに悠然と口元に弧を描いた。余裕な笑みにますます腹が立つ。それでも、相手は腐っても王族で。少しの緊張に体が竦むけれど、それごと飲み込むようにすうっと息を吸った。


「……私達は間違ってもあなたの愛妾になりたいだなんて言いません。それに、今はそんな話よりも早く友人に解毒薬をお願いします」
「……ほう? 君はなかなか肝が座っているな。自分の立場を理解していないようだ。私のさじ加減で君の言う友人がどうなるのか……考えられないわけではあるまいな?」
「そ、それが王子の言うことですか……!?」
「偶然とはいえ、嫌とは言わせない材料ができて幸運だった」


し、信じられない。話が全く通じない上に、私が口を開くたびにこちらの首が締まっていく感覚がする。私達を逃すつもりはないし、薬も渡さない。まるで、お気に入りのおもちゃを手放そうとしないわがままな子供だ。今度こそ沈黙した私と言葉も見つからない白雪を見て、満足そうに笑んだ彼は緩慢な動作で机の上に手を伸ばし、そこから赤と緑の林檎を選び取った。


「さて、ご友人への見舞いにお二ついかがかな? 白雪どの、アリスどの」


自分の力だけでは、どうにも抗うことができない圧倒的な切迫感。持てる権力を振りかざすこの王子は、きっとゼンのことがなくたって、いつかは私達を手中に収めていたのだろうな、と思う。そういう人間なのだ、目の前のこの人はーー。

いつまでも経っても受け取ろうとしない、あるいは最初から渡す気がなかったのか、王子が不意に両手から力を抜いた。当然、重力に従った二つの林檎が落下していく。鈍い音を立て床に打ち付けられたそれは、ころころと転がり、やがて私達の足元で動きを止めた。ぞんざいに扱うその態度が、彼の私達に対する認識そのものを表しているような気がして。


「私としても、これほど目を楽しませる娘達とわかれば、遠くへやるのは惜しいからな」


まるで、お気に入りの人形を愛でるような手つきだった。白雪の髪と私の目元を滑る彼の指先に、ぐっとやるせない思いが込み上げてくる。どうにか悔しさを誤魔化すために目を閉じた。


“その左目、隠しておくには勿体ないと思うがな。俺と同じ色だし”


暗い視界の中で思い出されたのは、不思議と明るい記憶だった。今この場にはいないけれど、彼のーーゼンの言葉が力をくれるようでぎゅっと拳をつくる。私は、あんな風に言ってくれた彼に何一つお返しができていないし、冷たく当たっていたことへの謝罪もしていない。それどころか、巻き込んで苦しめることになってしまったけれど。

薄らと目を開いて、頬のそばに未だ王子の手があるのを確認する。“勿体ない”と言ったゼンと隣にいる白雪、二人と同じ色を自分が持っていると思うと俄然無敵な気がしてきて。深い海のようで、まっさらな青空のような……どこまでも澄んだその色を、もう一度見れるというのならーー。


「!? 何を……」


パシッと小気味の良い乾いた音が二つ鳴り響く。私と白雪が同時に彼の手を払った音だった。全くこんな時でも不思議と気が合うものだ。少したじろいだ王子に、にこりと笑みを作る。諦めを、それ以上の覚悟で覆って、どうか気づかれないように。これは、精一杯の虚勢だった。


「申し訳ございません、ラジ王子。虫が居たもので」
「あら失礼を……どうぞお好きにお連れ下さい」
「ーー却下あ!!!」
「「!?」」


それは突然の出来事で、誰もが予想していなかったことだった。これで、なんとかゼンも救われる。確かに、そう思っていたのに。

白雪の言葉を文字通り吹き飛ばす勢いでドカッ!と扉を蹴り開けて乱入してきたのは、今まさに考えていたその人で。豪快な登場の仕方をしてみせた見知った姿は、間違いなくゼンのものだった。もう一度見たいと願った青がこちらを、いやラジ王子を静かに見据える。けれども、その瞳に宿っていたのはあの時魅せられた自信ではなく、確かな怒りだった。


「それ以上、その娘達の耳が汚れるような戯言を吐かないでもらおうか」
「ゼ……」
「ど、どうして」
「な、何者だ、見張りは何をして……」
「大丈夫、大丈夫。見張ってますよ」
「!!」


本来居るはずもない訪問者に混沌とした場の空気を、落ち着いた響きを纏う声が断ち切った。見れば先程ゼンがやって来た扉のところで、ミツヒデさんと木々さんがいつの間にか見張りの男を拘束していて。外で待っていると言っていたはずの三人が何故この部屋にいるのだろう。唖然とその光景を眺めていたら、こちらに気づいた二人が安心してくれと言わんばかりに微笑んでくれた。けれども、その表情とは裏腹にちゃきりと剣での拘束を強めるものだから、すぐそばで二人の威圧感に当てられている見張りの男は縮こまるしかないようだった。


「ゼン……!!」
「ミツヒデさんと木々さんまで……なん、え? どういう、んん、幻覚……?」
「よう、二人とも。これ結んでくれ。それと、お前は落ち着けアリス。正真正銘本物だ」
「え、イヤ、その前にあなた体は……」
「落ち着けないよ……!? そもそもどうやって動いて、」


混乱して上手く状況を飲み込めていない私達にゼンは意味ありげに微笑む。ほどけた、と呑気に腕の包帯を差し出されたけれど、正直今はそんなことをしている場合ではないし、そもそもどうして彼がここにいるのだろうか。毒であれだけ苦しそうにしていたのだから、動ける体ではないはずなのに。


「! そうか、毒を口にした男というのは君のことか! いや、不運なことだった!」


本来ならば白雪どのとアリスどのを動けないようにして、連れて来させる手筈だったのだが。さらりと付け足されたその言葉に、思わず“最低”と呟きそうになるのをぐっと堪える。余計なことを言ってこれ以上この場を荒らすのは避けたい。それにしても心底ひどい言い分だと思う。確かに嘘は言っていないけれど、本当のことでもない。はっきりと表すならば、“毒で瀕死になったところを問答無用で捕まえろ”。これくらい言ってしまってもおかしくない内容だったはずだ。


「……お前が林檎をよこした張本人か」
「口のきき方を改めろ男。私と君とでは身分が違うのだぞ」
「……これは失礼を、ラジどの」


不快に眉をひそめたラジ王子に対し、ゼンは余裕そうに口端を上げ、悠然と彼に向き合った。一つ一つの動作を丁寧に、かつ毅然とした態度はどこか違う人ように思えて。かちゃり、と存在を示すように掲げられた剣が音を立てた。


「では面倒だが改めてーーお初にお目にかかる。私はクラリネス王国第二王子ゼン」
「!?」


そうして明かされた彼の正体は、再びこの部屋に驚愕と困惑を、個人に差はあれど等しく衝撃を招き入れたのだった。
ひとすじの救いを