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「タンバルンから届けものだよ!」
「タンバルン〜〜? なんだって隣の国からこんなとこに……」


空き家へと戻ってきた私達を迎えたのは、見知らぬ青年だった。差し出された籠を、訝しげにゼンが受け取る。届けものだなんて、こんなところに送られてくるのだろうか。ここはただの遊び場だと聞いていたけれど。そう思いながら彼らの会話に意識を向けた時、隣にいた白雪が突然固まった。「え!?」と声をあげると同時に、その手から今まで読んでいた薬学の本が滑り落ちる。ばさり、と音を立てて落下していくそれを慌てて受け止めた。

急にどうしたのだろう。本を胸に抱え直して首を傾げる。そんな私に対して、白雪は変わらずどこかを凝視していて。縫い止められた視線をなぞるように彼女が震える指で示したのは、ゼンがたった今受け取った“届けもの”だった。


「アリス、あ、あれ……」
「あれって……? 荷物がどうかしーー」


た、と言い終わる前に白雪が固まった原因であろうものを見てしまった。「あ!?」とつい大きな声を出した私に、ゼンはびくりと肩を跳ねさせる。申し訳ない、けれども今は構っていられなくて、弾かれるように二人で彼に駆け寄った。あまりの勢いにぎょっとしたゼンが身を仰け反らせる。


「白雪? アリス?」
「これってやっぱり……」
「私とアリスが使ってたリボンと同じ……」
「は?」


見覚えのある二本のリボン。籠の持ち手の部分に結ばれているそれは、私達があの時確かに家に残してきたものと同じだった。そう、間違いなく置いてきたはずだ。それが、どうしてこんなところに……。偶然同じリボンを装飾に選んだのだとしても、二本とも同じだなんて偶然にしては出来過ぎている。状況が状況だから、少し神経質になっているのかもしれない。それでもやっぱり、私達と無関係だと割り切るには難しかった。


「とりあえず籠の中見てみる……?」
「う、うん……見てもいいかな」
「あ? ああ……」


状況が飲み込めていないゼンの返答を聞きながら、恐る恐る籠に手を伸ばす。中身を覆っている布を思い切って引っ張った先、対面したそれらに私達は息を飲んだ。鮮やかな赤と緑。身を寄せ合うようにいくつも集められた丸い果実は、どこからどう見ても“赤林檎”と“青林檎”そのものだった。




「ーーつまり、これの贈り主は家を空けて遠出をしている白雪とアリスの身を案じて、タンバルン国境手前の街まで迎えに来ている、と……」


状況を説明しろ、と半ば無理やり引き込まれた家の中で白雪と共に身を縮こまらせる。対面のソファに座るゼンは、私達のほぼ推測でしかない拙い説明を上手いこと纏めてみせた。なるほど、“身を案じて迎えに来ている”とはわかりやすい。内容は迷惑極まりないが。ふよふよと視線を彷徨わせ、現実逃避を試みるとそれを察したゼンがじとりとこちらに視線を向ける。なんだか取り調べでも受けている気分だ。


「……随分と執念深い紳士のようだな?」
「うまいこと言うね」


アハハと苦笑いを浮かべる白雪に、うんうんと同意を示していたら「何を笑ってる!?」とゼンが苛立った様子でべしっ!と手に持っていた文書を投げ捨てた。例の届けものに添えられていたそれには、先程彼が言っていた内容が皮肉を込めた状態で綴られている。だからこそ、私達の信じ難い話も現実味を帯びたわけだけど。


「国境越えて逃げるくらいの大事だったのか!?」
「……相手が相手だったんで」
「タンバルンに残ると面倒だったというか……」
「……」


わざと核心に触れずにぼやかして告げる私達を、ゼンは真剣な表情でじっと見つめる。嘘偽りは許さんと語るまっすぐな瞳に、その場の空気がぴりと張り詰めた気がした。些細な一挙一動からも全てを見透かされそうな心地がして、冷や汗が背筋を伝う。どうやって切り抜けようかな……。

これだけの状況証拠があっては、なおもただの家出という説明ではゼンは納得しないだろう。さすがにもう誤魔化し切れないのではないか。ちらりと白雪に視線を送ると、彼女もまたこちらを見て苦笑した。言葉にするならば、「どうする?」「もう無理かな」といった具合だ。こく、と頷き合い白雪がすうっと息を吸った。


「ーータンバルンの……第一王子だったんで」
「! ラジとかいうバカ王子か!」
「さすが……隣国にまでも」
「ある意味すごいね……というかゼン、大丈夫?」
「っ……ああ、」


白雪が非常に言いにくそうに語った相手のことをゼンは知っていたようで、ダンッ!と勢いよく立ち上がった。まだ新しい怪我を机に叩きつけながら。当然の如く走る痛みに悶絶しているゼンを見て、咄嗟とは言えそこまでの反応を他人にさせるあの王子の悪名高さはさすがだな、と呆れに似た感心をした。


「……相手が相手、ね。まあ、国境通過の記録から何から調べさせたのかもな」


一度欲しいと思ったものは自分の所有物に数えるんだろ。そんなゼンの言葉に、先程解いた自分のリボンを指で遊びながら、そうなのかもしれないと自嘲する。私達の想いや考え、やりたい事、嫌な事……相手にとっては取るに足らない些細なことなのだ。こちらの意思など最初から聞いていないし、ましてや選択肢なんて与えたつもりもなかったのだろう。“欲しいから手に入れよう”。王子の行動理由はきっと、たったそれだけのこと。まるで、お前らは物言わぬ人形だと言われているかのようだ。


ーー……籠に入れるくらいわけないか。


不意に呟かれた白雪の言葉に、はっと息を飲む。本当に小さな声だった。上手く聞き取れたのは、それだけ部屋が静かだったからだ。自分の赤髪とそっくりな鮮やかな林檎を手にしていた白雪は、黙り込む私とゼンに気づいて慌てて「なんちゃって」と誤魔化そうとするけれど、無理をして作った笑みだとすぐにわかった。とは言え、私に出来ることなんて何もなくて。もどかしくも、彼女の名前を呼ぼうとした時だった。突然、がたりと立ち上がったゼンに驚いて、出かけた言葉を飲み込む。


「ゼン?」


不思議そうに呼びかける白雪を余所に、そのままゼンが彼女に近づいて行く。そうして林檎を持っていた白雪の手首を掴み、あろうことかそれに顔を寄せて一口齧ってしまった。真っ赤なひとかけらが一瞬にして消える。目の前で起こった謎の光景に唖然として、もぐもぐと何食わぬ顔で咀嚼しているゼンを凝視するけれど、当然見ただけでは彼の行動理由なんてわかるはずもなかった。脳内で大量に疑問符が舞う。


「行儀悪いなー、だめだろゼン。自分でとらないと」
「ゼンのせいでアリスも呆然としてる」
「!!!」


不意に投げかけられたミツヒデさんと木々さんの声に、ゼンと白雪の世界は唐突に終わりを告げた。まさか見られているとは思っていなかったらしいゼンは相当動揺しているようだけど、私だって目の前にいたのに何故。しばらくの間苦しげに咳き込んだ彼はくわっと二人に顔を向けた。


「な、何見て……呼んでないだろ、ひっこんでろ!!」
「うわっ、傷付くなー! アリスなんて目の前で見せられたんだぞ」
「なっ」


そこではっとした様子のゼンが勢いよくこちらを振り向く。焦りか羞恥か、僅かに赤くなった頬に“しまった”と言わんばかりの表情が、今の今まで私の存在を忘れていた可能性を示唆していた。「これはそのっ、つい……というか」と、身振り手振りで必死に弁明する姿が何より怪しい。けれども、なんとなく白雪のためを思って行動したのだろうと予想が出来たので、彼を咎めるのはやめておこう。


「気にしなくていいよ、驚いただけだから……」
「よかったね、アリスが優しくて」
「その点ゼンは忘れるなんてな、」
「忘れてない! ミツヒデ!!」
「何で俺だけ……!?」


まるで慰めるように肩にぽんと手を置いた木々さんとミツヒデさんは、私の背後からじとりとゼンに視線を向けた。二つの非難めいた色のそれらに晒され、ぎょっとした彼は慌てて違うと声を大にして言うけれど、ただ揶揄われている気がしてならない。ゼンも理解しているのか、ミツヒデさんにだけ食ってかかっている。その言い合い(ミツヒデさんが押され気味だ)は出会った時に感じたじゃれ合うような雰囲気で、“喧嘩するほど仲が良い”という言葉を彷彿とさせた。

思わずふっと吹き出して笑うと、ひょいと木々さんが身を乗り出すようにして覗き込んでくる。彼女の無表情と対面した次の瞬間、口元がほんの少しだけ和らぐのを見て時間が止まった気がした。ま、眩しすぎる……!木々さんを目の前にぴしりと固まる私に対して、彼女は不思議そうな顔で首を傾げていた。

「馬鹿なこと言った、ごめん」と、そう謝罪をした白雪はどこかすっきりとした面持ちで。その声には反省、あるいは一種の決意のようなものが秘められていた気がする。ゼンの真意ははっきりとはわからなかったけれど、彼の行動は白雪の心を動かしたのだ。また、助けられてしまった。やっぱり少し悔しい、と思う。けれども、それ以上にあたたかな気持ちだった。

だからこそ、咄嗟に反応が出来なかった。


「……白雪、アリス……その林檎、お前らは食うな」
「え?」
「ゼン……?」
「木々、ミツヒデ悪い。怒るな、よ……」


丸く収まって、一件落着。そんな未来を当たり前に夢想していたのに。現実は無情で、残酷だ。こんなこと、誰も想像なんてしていなかった。

ぐらり、と大きく傾くゼンの姿に、心臓が嫌な音を立てる。上手く反応が出来ずに立ち尽くしていた体がようやっと動いたのは、彼が床に身を打ち付ける寸前に駆けつけた木々さんとミツヒデさんによって支えられた瞬間だった。苦しげに閉じられた瞼はぴくりとも動かなくて、嫌な感覚が背筋を這っていく。緊迫した空気が漂い始めて慌ててゼンに駆け寄った。浅く上下を繰り返す胸に息はあるのだと安堵するけれど、状況は変わらず悪いままだ。

考えろ。必ず原因があるはずなのだから。出会ってからの彼の行動を出来る限り鮮明に脳裏に描いていく。顔色は良かったし、体調不良が悪化した可能性は低いだろう。ならば他には……食べ物に当たったとか?そこで、はっとする。先程のゼンの言葉が甦った。


ーーその“林檎”お前らは食うな。


「まさか……っ、白雪その林檎……!」
「! ……毒だ!」


白雪を振り返った時には、すでに同じ結論に至っていた彼女が毒の有無を確認していた。腕に巻かれた包帯に林檎を擦り付け、その部分を鼻に近づけた白雪の表情が凍りつく。サッと青が混ざった顔色を見る限り、どうやら私達の予想は当たっていたようだ。この時ほど当たって欲しくないと思ったことはなかったけれど。あまりの事態に指先が冷えて、意識さえも遠退きそうになった時、「解毒は!」と鋭い木々さんの声が響く。冷静なはずの彼女の焦った声音に、さっと現実に引き戻される感覚がした。


「ちょっと待ってください……! だめだ、これだけじゃ調合できない……アリスの方は!?」
「こっちも無理……! 白雪の方と合わせても圧倒的に材料が足りない!」


鞄をひっくり返すような勢いで中を探ってみても、どうしても目当てのものは見つからなかった。あるのは、痛み止めや解熱などの今は全く使えない薬ばかりだ。調合するにしてもそのための薬草がない。まさに、八方塞がりだった。

どうしよう、どうしたら。そばにいるゼンの呼吸がどんどん荒くなって、思考が散らかっていく。大体どうして林檎に毒なんて……。床に転がった食べかけの赤色をぐっと睨みつけた時、がちゃりとタイミングを見計らったように扉が開いた。そうして、そこにいた人物に私と白雪は目を見開く。


「おや? 林檎を口にされたのは、白雪どのとアリスどのではなかったか」
「誰だ!」
「あなた、あの時家に来た……」
「なんでここに……」
「ふむ、まあいいか。ご心配なく、解毒の薬はある方が持っています」


ーー大人しくご同行願えますね?


その問いかけに、私達は頷く以外の選択肢を与えられてはいなかった。
あなただけの色