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──……第二、王子!?


 見事に言葉が重なった私と白雪は、とんでもない爆弾に愕然とするしかなかった。
 口をぽかりと開け、固まること数秒。無言のまま白雪と顔を見合わせ、徐に互いの頬へ手を伸ばす。次の瞬間、ぐにっと抓られた頬が当たり前に痛みを訴えた。ちゃんと痛い。夢じゃない。私たちは慌てて手を離す。
 愛妾云々がすでに夢みたいに突飛な話だというのに、どうやらこちらも現実らしい。そうなると、私たちの疑いがこの状況ではなく、ゼンの言動の方に向くのはごく自然なことだった。


「ゼ、ゼン……しっかりして!! 私たちのことわかる!?」
「やっぱり毒のせいでおかしくなってるんじゃ……?」
「正気だ、二人とも」


 あまりの慌てふためきようにゼンが呆れ気味に宥めてくる。万一に備えて毒には少し慣らされているらしい。が、そう説明を加えた彼の顔色は相変わらず悪くて、無理をしていることなど一目瞭然だった。
 それに、毒に慣れてるってどういう……。
 気になることはいくつもあったけれど、先手を打つように手で制され、声をかけることはできなかった。彼はこちらに背を向けてラジ王子に歩み寄って行く。


「……だが、まさか隣国の王子にやられるとは思いもしなかったがな。ラジどの」


 そこからの展開は早かった。
 私はただ眺めていることしかできなかったけれど、ラジ王子が放った言葉はことごとくゼンやミツヒデさん、木々さんによって否定、反論されてしまい、ぐうの音も出ない彼は物理的にも精神的にも追い詰められていって。余裕綽々のラジ王子はすでにこの場にはいなかった。


「では、取引をしようかバカ王子。今回のおまえの愚行を公にされたくなければ──二度と白雪とアリスに関わることも、その口で二人の名を呼ぶこともしないと誓え」
「……何故、二人の……」
「剣を抜こうか?」
「わかった! 誓う! 今誓った!!」


 眉を寄せ、剣を構える姿に慌ててラジ王子が言葉を返す。
 自分たちではどうにもならなかった状況がゼンの飛び入りにより一転したことに呆然としていたら、それまで背を向けていた彼がくるりとこちらを振り返った。柔らかなふたつの青がまっすぐと向けられる。それは間違いなく私たちが知っている青年のものだった。


「白雪! アリス! おまえらも言ってやりたいことが山程あるだろ。罵るなら今だぞ」


 そんなものたくさんあるに決まっている。しかし、相手は仮にも王子で、きっと本来ならば文句をぶつけることさえ許されないはずで……。まあ、だからと言って今回の憤りが何もせずに鎮火するとも思えないので、今は遠慮なくこの状況を利用させてもらおうと思う。
 思い立ったら即行動。蹲み込んで先程ラジ王子が落とした二つの林檎を拾い、そのうちの一つである赤い方を白雪に手渡す。その瞬間、少しだけ緊張した面持ちだった白雪の様子が和らぐのを感じた。
 こくり、と小さく頷く白雪と共に床に座り込んでいる王子に近づき、そのままビャッとおよそ顔の前に物を運ぶ速さではない勢いで林檎を突きつけてやった。鼻先数センチほどの距離に迫った赤と緑に彼は息を詰める。


「どうぞ、ラジ王子。見舞いの品です」
「顔色が優れないようですので、お召し上がりになってゆっくり休まれては」
「──それと、ゼンに早く薬を!」


♦︎


「なんだ、二人とも」


 ありがとう、と床に正座をしながら伝えた私たちに、薬を飲み終えたゼンが小瓶を揺らしきょとりと首を傾げた。
 何に対する礼か理解していないのか、はたまた正座に対しての疑問を持っているのか……。おそらくは後者の意が強いのだろう。


「力を貸してくれたこと」
「……けど、ごめんなさい。私はゼンの毒にしかならなかった」
「私も、ごめんなさい……あんな態度を取ってたのに、結局助けてもらってばかりで。私は何もできてない」


 悔しくて、情けなくて。思い返しても嫌な態度ばかりだった私でさえも助けてもらえた事実が信じられなくて。これではまるで、ゼンのことを良いように利用してしまったみたいだ。
 自然と俯くと、さらりと横髪が落ちた。狭まった視界に少しだけ安堵する。これで、暗い表情を上手く覆い隠してくれるだろうか。髪の隙間から見えた膝上の拳をぎゅっと握り締める。


「それは……笑うところか? 俺が口にした林檎がおまえたちみたいだからとか、そういう?」
「……なんか、ちがう」
「……」
「大丈夫、二人が謝ることじゃないよ。ゼンが自分で食べたんだから。ゼンと私たちが思慮に欠けてた──以上! ミツヒデなんて、ゼンが死んだら俺は死ぬとか涙目になって」
「わかった、わかった! 悪かったよ。今度から果物はミツヒデに剥いてもらって食うよ……」
「そういう話か今の!?」


 わいのわいのと盛り上がる会話に滲む信頼や敬愛を、なんだか聞いていられなくて耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
 ゼンとっては己の命を、木々さんやミツヒデさんにとっては大切な人の命を失うかもしれない状況だったのだ。そんな最低なきっかけと可能性を確かに招いたのに、彼らは怒るでもなく。責めるでもなく。変わらず親切で。それがひどく眩しくて……居た堪れない。
 顔が上げられなくて俯いたままの私は、彼らが今どんな表情をしているかもわからなかった。


「──……白雪、アリス。俺が森で言ったこと覚えてるか」


 不意に空気を入れ替えるように一呼吸おいたゼンが、かたりと小さく音を立てて立ち上がる。そうして、ゆっくりとこちらに歩み寄る気配がした。
「顔を上げろ、アリス」と、落ち着いた声が鼓膜を揺さぶる。そこで初めて私は白雪が俯いていないことを知った。叱るような口調でもなかったのに、ぎくりと跳ねてしまった肩を誤魔化すようにゼンを見上げる。
 彼の特徴的な銀色の髪が、背後の大きな窓から差し込んだ光を反射して淡く輝いて見えた。片膝をついて目線を合わせたゼンは口角を緩め、共に細められた双眸には意思の強さを纏っていて。


「俺としては今おまえたちといることは、運命の方だと嬉しいんだけどな?」
「「……!」」
「おまえたちが自分で向かった森に俺たちがいて、関わりを持って互いの身を守ろうとした。それがこの場限りの毒か、これからのつながりか。おまえたちが決めればいい」


 それと、とそこで言葉を切ったゼンがこちらに視線を寄越す。なんだか、じとりとした雰囲気を纏っていて居心地が悪い。
 不服で不満です、とそんな感情がありありと浮かんだ彼の表情に、何を言われるのかと身構えてしまった。


「な、なに……」
「いや? 俺の知っているアリスと違って随分としおらしいと思ってな。おまえの態度なんてあのバカ王子と比べたら可愛いもんだし、今更気にしてもない」
「いや、でも」
「でもも、だってもないわ! いいから今まで通りに接してくれ」


 ため息を吐かんばかりの勢いに思わず黙り込むと「まあ、元はと言えばゼンの最初の態度も悪かったからなあ」「アリスの態度が急に変わったから戸惑ってるんだよ」と、後方から小声でミツヒデさんと木々さんが援護射撃を飛ばす。
 当然、それはゼンにとっての“援護”ではなくて「うるさいわ!」と聞き慣れてきた叱責が返された。


「こほん。まあなんだ、お互い様だったということで、この件は忘れよう。いいな?」
「えっと……」
「い、い、な?」
「あ、うん……わかった……」


 半ば強制的に返事を絞り出すと、よし! とゼンは満足そうに笑んだ。憑き物が落ちたように、は言い過ぎかもしれないけれど、生き生きとした表情に戻った彼は再度私たちに問う。
「さあ、俺たちの出会いが毒なのか運命なのか。おまえたちは決まったか?」と。


「決まったかって言われても……」
「いや、それは……私たちが決めていいことなの?」
「当然! 俺だって自分の運命は自分で決めてる。決めて、その道に進めるか否かは自分次第だろ」


 自信満々に言い切った彼に呆気にとられた。
 相変わらず、すごい考え方をする。つい笑ってそう言った私たちに「考え方じゃなくて生き方だ」と訂正を入れつつ再び立ち上がった彼は、その両手をこちらに差し伸ばした。


「──おまえたちの答えは? 白雪、アリス」


 最初から定められていると言われる運命を自分で決めるだなんて……そんな無茶苦茶な。綺麗事だと揶揄され、場合によっては切り捨てられてしまっても仕方がないように思えた。
 けれども、その考え方──いや、彼に言わせれば生き方は確かに好感が持てた。高揚するようなこの気持ちを、この先ずっと忘れないでいられたなら……。

 差し出された自分のものよりも一回り大きな手をとり、心の内の答えを述べる。
 自分がそうあれと願ったことを、願った道を、己の力で切り拓いていけるような。そんな未来を夢想しながら。


♦︎


「かっこつけてるけどね、ゼンの目先の運命は城に戻って怒られることなんだよ。二人とも」
「なっ」
「「ほー」」
「私たちもとばっちり、めでたしめでたし」
その出会いの名は