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「すみません、近衛兵団の木々さんかミツヒデさんいらっしゃいますか?」


ウィスタル城の門前にて。白雪がそう声をかけると、そこにいた二人の衛兵は信じられないものを見たかのような表情になった。幽霊でもいたのだろうか。確かにこんな一般人が城に何の用だと言われたら、なんとも言えない理由なのだけれど。説明不足だったと言葉を付け足そうとすると、ぎょっと目を丸くしていた彼らの内の一人が「あっ!?」と声をあげて白雪を凝視するので、なるほどと納得した。赤髪か。


「あーーっ、君達もしかしてっ……」
「はっ、ゼン殿下よりお客人だと伺っております!」
「ゼンに?」
「あれ、そうだったんですか」


説明は必要なかったらしい。正直なところどう説明すれば会わせてもらえるのか、今更不安になっていたのでありがたかった。以前、ゼンにどこかへ出かける時は一声かけて行けと言われたので彼に会いに来ました、だなんてきっと罷り通る内容ではない。説明をしておいてくれたゼンに心の中で感謝していると、何故か目を輝かせていた衛兵の頭をもう一人がスパンッと叩く。思いのほかいい音が響いたので気の毒に思ったのだが、衝撃を受けた当人は気にしていない様子で興奮気味にこちらを見ていた。


「“赤髪の白雪”どの! “異色のアリス”どの!」
「あ、はい」
「初めまして……」


赤髪はわかるけれど、異色って……。なんだか複雑だなと思いながらも、微笑んだ私達に彼は高揚したように頬を染めて、隣のもう一人の腕を「先輩!」と小声で呼びかけぺちぺちと叩いていた。とんでもない有名人にでも会ってしまったような反応だ。どうしてそこまで盛り上がっているのか疑問だけれど、快く通してくれた彼らに感謝の言葉を述べて私達はその豪華な門を潜って行った。


「おっどろいた〜……、赤い髪なんて自分初めて見ましたよ!!」
「殿下を呼び捨てなのにも驚くけどな……、あとで皆に自慢しよ」
「アリスどのは眼帯してましたね、残念……」
「お前、目を見たいからって無理やり眼帯を奪うような真似だけはするなよ」
「さすがにそんなことしませんよ! めちゃくちゃ見たいですけど!!」
「落ち着け」
「えー! 先輩は見たくないんですか!?」
「見たい」
「即答……!!」




城に入ってすぐのところで出会ったメイドさんに案内をもらい、広く煌びやかなその廊下を歩いて行く。いきなりかち合った時は何も悪いことなどしていないのに、摘み出されるかと思って少し身構えてしまった。ピシリとまっすぐに伸ばされた背と、綺麗な言葉遣いに仕草。彼女から精錬された雰囲気を感じとって、自分の場違いさを突きつけられている気分だった。そもそも、ただの街娘がメイドという存在と対面して戸惑わないわけがない。私も白雪も、彼女の至極丁寧な対応を受けて大変恐縮していた。

そんな理由も含め、少しぎこちない動きの私達が廊下の角に差し掛かった時だった。先頭を歩いていたメイドさんがあっと声を上げ、続けて今から会いに行こうとしていたはずの人物の名を呼ぶと、目の前を横切った見覚えのある彼がくるりとこちらを振り向いた。


「白雪!? アリス!?」
「「お邪魔します」」


彼にとって突然の訪問であったためか驚いたように目を丸くしたゼンは、そのままこちらに駆け寄る。彼と一言二言会話を交わしたメイドさんは、恭しく一礼して去って行った。その背中を見送っていると、ふと彼と共にいるであろう人物達の姿が見えないことに気づいて辺りを見回す。けれども探しても見当たらないので、おそらく同じことを考えていた白雪と顔を見合わせ首を傾げた。


「ーーゼン、今日は木々さんとミツヒデさんは……」
「もしかして留守だった?」
「しッ」


問いかけた私達に対し、唐突にゼンは人差し指を口元に添え“静かにしろ”のポーズをとった。そうして何故だかわからないが、彼によってぐいぐいと廊下の角に押しやられ三人で潜むような形になる。何から逃げているのか、ゼンは廊下の先を窺い見てこそこそと話し出した。


「今あいつらを撒いてきたんだよ」
「「は?」」
「ちょっとした運動だ。執務続きで体が鈍ってもいかんからな」
「つまり、執務が続いてる中脱走してきた?」
「まあな」
「まあなって……。というかゼン、一体どこを通って来たの? 葉っぱが……」


木を伝ったのか、はたまた茂みを通ったのか。腕や体のみならず髪にまでついている姿に、この国の王子はとてもアクティブだなと服の葉を一枚摘んでそう感想を抱く。指摘されてようやく気づいたのか、ぱたぱたと軽く葉を落としたゼンがふとこちらを振り返った。


「ーーしばらく顔も見れてなかったし、少し時間をくれるよう文句を言うつもりだったが……なんだ、会えたな」


穏やかに笑う彼を見た白雪の空気が少しだけ変わるのを感じて、ひょこりと彼女を覗き込む。しかし、その時にはすでにいつもと同じ様子で確信を持つことはできなかった。なんとなしにそのまま彼女の背中にくっつくように身を寄せていると、不意にゼンと目が合い彼はそれからその視線をつと横へずらし白雪を見る。確認するように私達を交互に見やった彼は気恥ずかしそうに「とは言え、窮屈かこれは……」と呟いた。その言葉に確かにそうだと心の中で同意する。誰が窮屈って、私とゼンの間に挟まれている白雪が一番だろう。当の本人はそこまで気にしていなさそうだけれど。


「客間か庭にでもーー」


言いかけたゼンの提案と踏み出した足が次の瞬間、ピシリと停止する。角から現れた二つの影に彼は口元を引きつらせ、代わりに私達はぱあっと顔を輝かせた。


「ミツヒデさん、木々さん!」
「おはようございます!」
「やー、アリスに白雪。おはようー」
「おはよう」


ゼンに撒かれたはずの彼らが慣れたように和やかに挨拶を返してくれる様子に、きっと彼は普段から逃亡を繰り返しているに違いないと察した。不機嫌そうに小さく舌打ちをするゼンにすかさず「何を舌打ちしてるんだ!?」と突っ込むミツヒデさんは仲の良い親友のようである。


「ははは、早いなミツヒデ、もう追いついて来たのか。よし、次はお前が逃げる番な!」
「うわっ、追い払おうとしてるぞ木々!」
「珍しいね、二人とも。来てたんだ」
「はい。今日これから街の外に出るんですけど、そういう時は声かけろって前にゼンが言ってたなあと思って……」
「それで先に伝えるためにお邪魔したんです」


木々さんに華麗にスルーされたミツヒデさんが落ち込んで影を背負っている姿を少し気の毒に思ったけれど、彼はこの三人の中ではきっといじられ役のようなものなのだろう。息をするように次々と会話が飛び交う様子は出会った時から変わらなくて、微笑ましさすら感じられた。


「当日に言うなよ! どこ!?」
「コトの山の辺りまで船で日帰り」
「海下った先の街か……。城抜け出して同行する計画だったが、仕方ないな……港まで見送ろう」


そう言って軽やかに身を翻し楽しげに歩き出すゼンに、遅れて白雪がその背を追って行く。私はそんな彼の姿を眺め、先程の言葉を思い浮かべて苦笑した。城を抜け出してまで同行するつもりだったのか……。まるで、行動力の塊だ。


「わざわざ来てもらって悪かったね」


ふと隣で同じように彼の背を見ていた木々さんが、少し呆れたような申し訳なさそうな声音でそんなことを言うので、ぱちりと瞬いた後に慌てて首を振った。


「いえ! ゼンのおかげで門番の方達も快く通してくださいましたし……それに、木々さんやミツヒデさんにも会えたのでよかったです」
「! ……そう」
「アリスっ……!」
「え? ミツヒデさん、わっ」


それまで壁際で影を背負っていたはずのミツヒデさんが唐突に復活を果たし、がばっと飛びつかん勢いでこちらまでやって来た。かと思えば、くしゃくしゃと私の頭を撫で始めるので、なんだなんだと大量にはてなが浮かぶ。嫌な気分にはならないのでされるがままにしておくけれど、何故そんなに感涙しているのか。


「おーい、何してるお前達! 置いていくぞ」
「アリスー!」


ミツヒデさんに解放された頃には私の髪は案の定ぼさぼさで、振り返った二人がぎょっとしたのが少しおかしかった。離れたところで手を振っている白雪に返事を返し、片手で頭を撫でつけながら彼女達に駆け寄った。


「……アリスも白雪もいい子だな。ゼンも楽しそうだ」
「本当にね」


仲良く談笑しながら歩く前の三人を見て、ミツヒデさんと木々さんが微笑ましそうに目を細めていたことを私は知らない。
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