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 港街までやって来た私たちは賑わう人々をかき分け、目的地へと向かう船を探していた。
 きょろきょろと辺りを見回した半分だけの視界を、ピィーと甲高い声と共に大きく羽ばたいた鳥たちが横切っていく。彼らの背景は澄み渡った青空だった。小さくなる姿をなんとなしに目で追いながら、いい天気だな、とぼんやり思う。


「ところで、山になんか何しに行くんだ?」
「今、薬事の勉強中で。練習に使う薬草を取りに行こうかと」
「勉強? アリスもか?」
「うん、私も」


 ゼンの言葉に肯定を示すと、彼は「二人はもともと薬剤師だろ」と不思議そうに首を傾げた。白雪が確認するようにちらりと視線を送ってくる。目を合わせて、お互いに頷く。そして、白雪は鞄から一枚の紙を取り出し、ゼンに手渡した。
 それは、クラリネスに居を移して間もない頃、訪問した先の薬屋の主人から貰った物である。


「……募集要項」


 そこに書かれた文章に目を通したゼンが、驚いたようにぽつりと呟いた。そんな彼の様子に、サプライズが成功したみたいな気持ちになって私たちは少し得意げに笑う。


「二人で目指すことに決めたから、報告。宮廷薬剤師。城門をくぐる理由がいつまでも客人じゃ、かっこつかないでしょう」
「こっちに来てから仕事も探してたし……ちょっとレベルは高いけど、頑張ってみようかなって」
「なるほど。はは、今日みたいに二人と城内で出くわすってのも面白いかもな!」


 三人で穏やかに会話を交わしていると、突然その空気を断ち切るかのように船員の出航を知らせる言葉が耳に届く。随分と話し込んでしまったようだ。
 カラーンカラーンと鳴り響く鐘の音に急かされ、慌てて船に乗り込む。少しずつ離れていく陸地から手を振って見送りをしてくれるゼンたちに、私たちも大きく手を振り返した。


♦︎


 コトの街に無事到着し、いざ山に行かん──と、する前に日帰りのために夜の船を聞き回っていたのだが……。
 不意に「おお!?」と、すごいものでも見たかのような驚愕の声が聞こえ、つい足を止めた。止めてしまった。その一瞬の判断ミスで、私たちはあっという間に取り囲まれていた。顔を動かす度にいくつもの目とかち合ってしまう。
 完全に見られていた。私が、ではなく白雪が。

 ちらりと白雪を窺うと、全てを悟ったような苦笑を浮かべていた。惜しげもなく晒されている赤髪に、しまったと思ったけれど、もうどうすることもできない。迂闊だった。
 私は眼帯さえあれば多少目立つくらいで問題はない。でも、白雪はフードを被ってくるべきだったのだ。
 薬草採集ばかりに気を取られて、あまり身なりを気にしていなかったのが悔やまれる。そうして後悔している間も、物珍しげな視線は容赦なくこちらへと突き刺さっていた。


「はーーっ、嬢ちゃん珍しい髪色してんなあ! おれァ船乗りだから大陸中行くけどよ、赤いのには会ったことなかったぜ」
「大陸中ですか、いいですねー」
「ちょっと、白雪……」


 目立ってる、と続けようとした言葉が「なに、赤髪!?」という別の人の声に掻き消された。


「前にタンバルンで噂んなってたぜ。馬鹿王子が見惚れて掴み損ねた娘たちがいるってよ!!」
「今日は何、観光かい?」
「……大体そんな感じです」


 わいのわいのと騒ぎ立てる彼らに、少しの悪意もないことが幸いだった。しかし、こうも囲まれるとやはり居心地は良くなくて、そっと目線を落とした、次の瞬間。
 白雪への注目で空気化していたはずの私の存在に、その内の一人の意識が向けられる。


「赤髪の嬢ちゃんといるってことは、そっちの金髪の嬢ちゃんの方はもしかして……」


 そんな何気ない疑問と予想に、他の人々も思うところがあったのかもしれない。
 次々と眼帯へ視線が集まるのを感じて、思わずたじろいでしまう。一挙一動を見逃すまいとする、期待の色が混じるそれら。逃げるように一歩後ずさる。

 人違いです。そう言った声は情けないことに少し震えていた。苦し紛れに笑って誤魔化そうとする私の前に、ふと見馴れた赤が揺れる。
 人々の好奇の目からさりげなく隠すように立ちはだかった白雪は、やんわりと否定の言葉を並べてくれた。この子が眼帯をしてるのは怪我のためだから、と。それは言ってしまえば完全なる嘘なのだが、しかし白雪の優しさと気遣いが溢れているもので。

「何だ違うのか」「悪いね。」と、あれほど恐かったはずの視線たちが簡単に散って行く。期待がはずれ残念そうな背中に申し訳なくも思ったが、あの注目の中で自ら瞳を晒す度胸はなかった。
 目の前にいる白雪の服の裾を小さく掴みお礼を言うと、彼女は肩越しに振り返ってにこりと微笑んでくれた。


「さて、夜の船も見つかったし、薬草を探しに行こうか」
「……うん、そうだね。作業に集中するとすぐ暗くなっちゃうし」
「本当、あっという間だよね」


 “大丈夫?”と声にして確認しないのは、そうしない方が良いと白雪が理解しているからだろう。どこまでも優しい彼女はいつだって私の憧れだ。
 赤髪が歩く度に揺れるのをぼうっと眺めていると、立ち止まっている私を不思議に思ったのか白雪が数歩先で振り返る。

 アリス? 紡がれた自分の名前に何故だか無性に嬉しくなった。同時に溢れる気恥ずかしさのようなものを笑顔の下に隠して彼女に駆け寄り、追い抜きざまにその手を取って今度は二人で走り出す。
「ええ!?」と、驚きやら戸惑いやらの声を上げながらもちゃんと着いてくる白雪がなんだかとてもおかしくて、けれども繋がれた手の暖かさは私の心に確かな安心をもたらしてくれた。


「じゃあ、一旦別れて各自薬草を探すということで」
「時間になったらここに集合だよね」
「うん。アリス、また後で。怪我しないでね」
「しないしない、大丈夫。白雪も気をつけて」


 任せて、というようにグッと親指を立てた白雪と左右に別れて森を進む。二人一緒に動くよりも別々に作業した方がさらに多くの薬草を見つけられるだろうと考え、一本の一際大きい巨木を目印に別行動をすることにした。
 何の警戒もなしに黙々と散策を進める私は、のちにこの選択を後悔するだなんて全く想像していなかったのだ。


♦︎


──かさり。

 青々と茂る葉が小さく音を立てる。それは、風が揺らす自然の音ではなかった。
 太く逞しく伸びた枝に身を潜める影はその音など気にも留めず、代わりに一心に何かを観察していた。青年の襟巻が風に煽られ、ゆらりと不気味に靡く。

 彼の視線の先では、二人の少女が仲睦まじく会話をしていた。
 一人は、目の覚めるような赤髪の少女。そして、もう一人は珍しさはそれほどないものの綺麗な金髪の少女だった。しかし、その少女。気になるのは、その身に似合わないような眼帯をつけていることである。

 やがて彼女らは一本の巨木を前に、別々の道を進んで行った。
 何がどうしてそうなったかはわからないが、港から二人の跡をつけてきた青年にとってこれ以上ない好都合であった。幸い尾行に気づかれている様子もないし、何より一人になってしまえば捕らえるのは容易い。彼の思考はすでに金儲けに向いていた。

 そうして、二手に別れた片方を追うために別の木へと飛び移った青年はすうっと静かに目を細める。まるで獲物を前にした獣のように鈍く煌めく瞳に映ったのは、宝石のような赤を持つ少女だった。
 当然、薬草採取に没頭していた彼女──白雪が事前に自分の危険を察知することなどできやしなかった。


「……金髪の方も気になるけど、まずは確実な方を狙っとこうかね」


 小さく呟かれた不穏な言葉は誰に聞かれるでもなく、森のさざめきに消えていった。
まぎれ込むは暗色