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港街までやって来た私達は賑わう人々を掻き分け、目的地へと向かう船を探していた。きょろきょろと辺りを見回した私の半分だけの視界を、ピィーと甲高い声と共に大きく羽ばたいた鳥達が横切っていく。そんな彼らの背景は澄み渡った青空である。小さくなる姿をなんとなしに目で追いながら、いい天気だなとぼんやり思った。


「ところで、山になんか何しに行くんだ?」
「今薬事の勉強中で、練習に使う薬草を取りに行こうかと」
「勉強? アリスもか?」
「うん、私も」


ゼンの言葉に肯定を示すと、彼は「二人はもともと薬剤師だろ」と不思議そうに首を傾げる。ちらりと確認するように視線を送ってきた白雪と目を合わせ二人で頷くと、彼女は鞄からひらり一枚の紙を取り出した。ゼンに手渡されたそれは、クラリネスに居を移して間もない頃、訪問した先の薬屋の主人から貰った物である。


「……募集要項」


そこに書かれた文章に目を通したゼンが、驚いたようにぽつりと呟いた。そんな彼の様子に、サプライズが成功したような気持ちになって私達は少し得意げに笑う。


「二人で目指すことに決めたから、報告。宮廷薬剤師。城門をくぐる理由がいつまでも客人じゃ、かっこつかないでしょう」
「こっちに来てから仕事も探してたし……ちょっとレベルは高いけど、頑張ってみようかと思って」
「なるほど。はは、今日みたいに二人と城内で出くわすってのも面白いかもな!」


三人で穏やかに笑い合っていると、突然その空気を断ち切るように船員の出航を知らせる言葉が耳に届く。随分と話し込んでしまっていたようだ。びくりと一瞬だけ肩を跳ねさせると、カラーンカラーンと急かすように鳴り響く鐘の音に背を押され、慌てて船に乗り込む。少しずつ離れていく陸地から手を振って見送りをしてくれているゼン達に、私達は大きく手を振り返した。




コトの街に無事到着し、いざ山に行かんーーとする前に日帰りのため夜の船を聞き回っていると、「おお!?」とすごいものでも見たかのような驚愕の声が聞こえてきて私達は思わず振り返る。一体何事だろうかと辺りを見回すけれど、どうも視線が集まっている場所がおかしい。顔を動かす度に幾つもの目とかち合ってしまう。完全に見られていた。私が、ではなく白雪が。

ちらりと白雪を窺うと、全てを悟ったような苦笑を浮かべていた。惜しげもなく晒されている赤髪に、しまったと思ったけれど、もうどうすることもできない。迂闊だった。私は眼帯さえあれば多少目立つくらいで問題はないけれど、白雪はフードを被っていた方が良かったかもしれない。薬草採取ばかりに気を取られて、あまり身なりを気にしていなかった。後悔している間にも、物珍しげな視線を向けていた人々は構わずこちらへ集まって来てしまう。


「はーーっ、嬢ちゃん珍しい髪色してんなあ! おれァ船乗りだから大陸中行くけどよ、赤いのには会ったことなかったぜ」
「大陸中ですか、いいですねー」
「ちょっと、白雪……」


目立ってる、と続けようとした言葉が「何、赤髪!?」という別の人の声に掻き消された。


「前にタンバルンで噂んなってたぜ。馬鹿王子が見惚れて掴み損ねた娘達がいるってよ!!」
「今日は何、観光かい?」
「……大体そんな感じです」


わいのわいのと騒ぎ立てる彼らに、悪意がないことと少人数だったことが幸いだろうか。しかし、こうも囲まれるとやはり居心地は良くなくて、そっと目線を落とした時だった。白雪への注目で空気化していたはずの私の存在に、その内の一人の意識が向けられる。


「赤髪の嬢ちゃんといるってことは、そっちの金髪の嬢ちゃんの方はもしかして……」


そんな何気ない疑問と予想に他の人々も思い当たることがあったのか、次々と眼帯への視線が集まった。一挙一動を見逃すまいとするような、期待の色の混じるそれらにたじろぎ思わず一歩後ずさる。人違いです、言いながら誤魔化し笑いを浮かべる私の前に、見馴れた赤が揺れた。人々の好奇の目から私を隠すように立ちはだかった白雪は、やんわりと否定の言葉を並べる。この子が眼帯をしてるのは怪我のためだから、と。それは言ってしまえば完全なる嘘なのだけど、それでも白雪の優しさと気遣いが溢れているもので。

「何だ違うのか」「悪いね。」と、そんな言葉を残して私達を取り囲んでいた人々が去って行く。期待がはずれ残念そうな背中に少し申し訳なくなったが、それは仕方のないことだろう。目の前にいる白雪の服の裾を小さく掴みお礼を言うと、彼女は肩越しに振り返ってにこりと微笑んでくれた。


「さて、夜の船も見つかったし、薬草を探しに行こうか」
「……うん、そうだね。作業に集中するとすぐ暗くなっちゃうし」
「本当にあっという間だよね」


“大丈夫?”と声にして確認しないのは、そうしない方が良いと白雪が理解しているからだろう。どこまでも優しい彼女はいつだって私の憧れだ。赤髪が歩く度に揺れるのをぼーっと眺めていると、立ち止まっている私を不思議に思ったのか彼女が数歩先で振り返る。アリス、紡がれた自分の名前に何故だか無性に嬉しくなった。同時に溢れる気恥ずかしさのようなものを笑顔に押し隠して白雪に駆け寄り、追い抜きざまにその手を取って今度は二人で走り出す。「ええ!?」と驚きやら戸惑いやらの声を上げながらも着いてくる白雪がなんだかとてもおかしくて、けれども繋がれた手の暖かさは私の心に確かな安心を齎した。


「じゃあ、一旦別れて各自薬草を探すということで」
「時間になったらここに集合ね」
「うん。アリス、また後で。怪我しないでね」
「しないしない、大丈夫。白雪も気をつけて」


任せて、というようにグッと親指を立てた白雪と左右に別れて森を進む。二人一緒に動くよりも別々に作業した方がさらに多くの薬草を見つけられるだろうと考え、一本の一際大きい巨木を目印に別行動をすることにした。何の警戒もなしに黙々と散策を進める私は、後にこの選択を後悔するだなんて全く想像していなかった。




ーーかさり。


青々と茂る葉が小さく音を立てた。風が揺らす自然の音ではなく、人為的に発生したものだ。太く逞しく伸びた枝の内の一本に身を潜める影はその音など気にも留めず、代わりに一心に何かを観察している様子だった。青年の襟巻が風に煽られ、ゆらりと不気味に靡く。

彼の視線の先では、二人の少女が仲睦まじく話しながら森を進んでいた。その内の一人は、目の覚めるような赤髪の少女。そして、もう一人は珍しさはそれほどないものの綺麗な金髪の少女だった。しかし、その少女。気になるのは、その身に似合わないような眼帯をつけていることである。

やがて彼女らは一本の巨木を前に、別々の道を進んで行った。何がどうしてそうなったのかはわからないが、港から二人の跡をつけてきた青年にとってこれ以上ない好都合であった。幸い尾行に気づかれている様子もないし、何より一人になってしまえば捕らえるのは容易い。彼の思考はすでに金儲けに向いていた。

そうして、二手に別れた片方を追うために別の木へと飛び移った青年はすうっと静かに目を細める。まるで獲物を前にした獣のように鈍く煌めく瞳に映ったのは、宝石のような赤を持つ少女だった。当然、薬草採取に没頭していた彼女が、事前に自分の危険を察知することなど出来はしなかった。


「……金髪も気になるけど、まずは確実な方を狙っとこうかね」


小さく呟かれた不穏な言葉は誰に聞かれるでもなく、森のさざめきに消えていった。
まぎれ込むは暗色