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突然空中に現れた何者かに呆然としていた私は、けれども次の瞬間、塀に足を取られ着地に失敗したらしいその青年の「でッ」と痛みに呻く声に我に帰った。はっとして、素早く白雪に手を伸ばし、そのフードを深く被せてやる。
違うと信じたい。が、もし追っ手だとしたら白雪の赤髪は決定的な証拠になってしまう。何としてでも隠し通さないと。おそらく先程の小鳥が逃げていったのは、この人のせいだろうから。
「ああ! 大丈夫かゼン!? 手首捻った!? 頭打ってないか!?」
「(ひ、人増えた〜……!)」
血相を変えて慌ただしく駆け寄って来た別の男性が蹲っている彼に捲し立てる。どうしよう。最初の彼一人だけだと思っていたのに、あまり人数が多くなってしまっては逃げるに逃げられない。
フードの下からそっと彼らの様子を窺う。
「1+1は!?」と、古典的な方法で無事を確認している男性はまず間違いなく青年に意識を向けているし、上手くいけばここから離れられるかもしれない。
「2。あれっ、おまえ誰だっけ?」
「!! ミツヒデだよ!」
「ああ、そんな名前だったんだ」
「なんだよ、木々まで! 傷つくなーー」
また増えた……!
じゃれ合うような会話に自然と加わってきた女性に、思わず頭を抱えそうになる。続々と集まってくる人にこれ以上は増えないだろうなと、周りを警戒していたら、くいと後ろから裾を引かれた。振り返ると白雪に視線で『逃げよう』と合図されて小さく頷く。
確かに、あの三人がこちらに興味を示す前に退散してしまうのが得策だろう。タンバルンでのあれやこれやがある今の状況では、変に目立って『赤髪』と『異色の瞳』の噂が流れでもしたら面倒なことこの上ない。
白雪と共に、こそこそと息を潜めてその場から離れていく。ゆっくりと、焦らずに。けれども、しっかりと。
もう少しで、家の角を曲がる──というところで、先程まで会話の中で笑っていたはずの青年が「で?」と真面目な声で空気を切り替えた。こちらに彼らの意識が向けられた気配がする。
早々に逃亡劇の幕を閉じられた私たちは、ぎくりと肩を跳ねさせて固まるしかなかった。さながら猛獣に追い詰められた小動物の気分だ。
「おまえらはほんとに誰?」
「(どうしようアリス)」
「(強行突破する?)」
「(さすがに三人は振り切れないと思う)」
「(だよねー……)」
「こんな森の奥で一体何を?」
気づかれないように白雪と視線を交わしていたら、痺れを切らしたのか青年がもう一度問いかけてくる。携えた剣を肩に掛けて見下ろしてくる姿はなんだか余裕そうで。
泥棒と間違えられただろうか。悲しいことに今の私たちはフードを深く被った怪しい二人組(しかも片方は眼帯付き)だ。そばには立派な家もある。加えて、逃げようとしたことが彼の懐疑心を余計に煽ったかもしれない。
目の前の人たちが追っ手なのか、そうでないのか。今の段階ではわからないけれど、“剣を持っている”という事実は否が応でも警戒対象だった。それも、三人とも、である。昨日、店を訪れた王宮の使いを思い出してしまうのは言うまでもない。
そもそも、森の奥にいることが怪しいのなら、あなた方はどうなんだと納得のいかない心地になった時、私のすぐ後ろにいた白雪がそっと身を乗り出した。
「い、いや、私たちはあの……その、家出中の身でして」
「……そうです。ただ人通りのない道を進んでいたら、ここに辿り着いただけなんです」
吃る白雪の台詞を引き継いで、なるべく冷静を意識して言葉を選ぶ。
白雪が前に出たのは、私の僅かな苛つきを感じ取ったからだと思うから。相手に信じてもらえるかは別として、ここで嘘をついて変に状況を悪くするのは避けたかった。かと言って、本当のことを話すつもりもないのだけれど。
私たちの言葉をどう受け止めたのか、彼は唐突に剣先をこちらに向けた。抜き身ではない。ないけれど、そんなものを突きつけられては当然いい思いはしなかった。
何なのだろうか、この人は。
むっとして、今もなお向けられた剣先を掴もうとした刹那──彼はそれより速く、その先端で白雪のフードを取り去った。しまった、と思った頃にはすでに遅くて、見慣れた赤が舞う。
「!? 白雪……っ!」
「あ、」
ばさり、と白雪の頭を覆っていたそれが落とされた。自分にとっては見慣れた、けれども誰かにとっての異常が露わになる。
色鮮やかな赤を見て目の前の彼も例外なく、はっと息を呑んだ。そして、何を思ったのか、彼は次の瞬間には私のフードまでも取り去っていた。
白雪を気にしていたから、というのも多少はあるけれど、左の死角を狙われては為す術もなかった。少し広くなった視界の中、白雪を庇うように前に出て相手を睨みつける。
「……変わった髪を持っているな?」
「そうですね。よく言われます」
「白雪……呑気に話してる場合じゃないよ……」
全く威嚇が効いていない青年と、苦笑いで答える白雪。
彼女に小声で呼びかければ、まるで大丈夫だというように彼らからは見えない位置できゅっと手を握られた。今の状況を考えると、このタイミングで赤髪が公になるのはまずいのだけれど……。きっと、白雪のことだから、それを承知の上で気遣ってくれているのだろう。
彼女は本当に優しくて心強い。一人じゃなくて良かった、と心底思う。その手の温もりに応えるように同じだけの力で握り返した。
交差する物語