♥♠♦♣


「金持ちの息子に愛妾になるよう言われたぁ!!?」


 そんな馬鹿な、と言わんばかりの驚愕の声が静かな森に響く。
 私も白雪も無事に解放された後、私たちが家出をした理由について掻い摘んで説明したのだが、話がゼンの予想の範疇を超えていたらしい。唖然として固まっている。


「色町で言葉を覚え、金貨を食べて育ったと有名なご子息でね。私の赤い髪とアリスの目を珍しがって、自分のそばに置きたくなったって話だったよ」
「とんでもない人だよね〜。私も白雪伝いに聞いたときは絶句したよ」
「……」
「そう、ちょうどそんな感じで」


 饒舌な彼が言葉を失っている様子に、うんうんと頷く。
 きっと、誰もがそういう反応になるはずだ。だって、突飛な話すぎる。ただ『珍しいから』という理由のみで愛妾にされかけた事実も、それを考えた『ご子息』の存在も、どちらも異質で日常とはかけ離れていた。今のゼンのように、言葉が出なくて冗談きついぞと思ったのは記憶に新しい。
 しばらく何かを考えるように沈黙していたゼンだったが、不意にこちらへ視線を向けた。


「さっき白雪は『自分の赤髪』と『アリスの目』を珍しがった、と言っていたな?」
「そうだけど……」
「白雪は見ればわかる。けど、目って何のことだ? 眼帯をしていること以外は別段変わってないだろ」


 言われて、はっと息を呑んだのは私ではなく、白雪の方だった。
 しまった、と眉を下げてこちらを窺う彼女に大丈夫だと微笑んでみせる。白雪は隠していたものをわざわざ晒すような真似をしてしまったと後悔しているのだろうけれど、家出の理由に触れた時点でこの話題は避けられなかったはずだ。それに、白雪はとっくに秘密を握られているのに、私だけそこから逃げるなんてしたくない。

 まあ、一つ言うならば、ゼンに見せるのはなんだか癪だな……なんて。それは胸にしまっておこうか。
 潔く眼帯を取った私と、彼の目が合う。澄み渡った空のようなその瞳が大きく見開かれた。


「!!」
「これが原因。生まれつきこうなんだよ」
「それは……確かに、珍しいな。初めて見た」


 じっとこちらを見つめるゼンは、ほう、と感嘆のような声を出す。そこに好奇心はあれど、嫌悪の感情はないようだ。私以上に緊張して彼の様子を窺っていたらしい白雪は、ほっと肩の力を抜いて口元を緩める。
 あまりじろじろと見られるのも恥ずかしい。けれども、気味が悪いと忌避されるよりはずっと良かった。


♦︎


──赤ってのは運命の色のことを言うんだろ。


 会話の中で不意にそう言ったゼンの言葉が、白雪の意識を一部だけ、それでも確かに塗り替えたのを感じ取った。
 さわさわと風が優しく木々を揺らす。幾重にも重なる葉の音と、柔らかな木漏れ日。その中心にいる彼が、まるで美しい絵画のように思えて。そんな錯覚に少しだけ息を詰めたのは、きっと誰にも気づかれていないだろう。


「今は厄介なだけでも、案外いいものにつながってるかもしれないぞ」


 続けられるゼンの声にぼんやりと耳を傾ける。なんだか不思議な気分だった。今まで白雪とずっと一緒に過ごしてきて、自分は彼女の心の奥底にあった小さな確執を取り除けなかったのに。彼はいとも容易く、たった一言だけで、それを取り去ってしまった。
 変な人だ、と思う。もちろん、白雪にとって良い影響だから嬉しいし、感謝もしているけれど。ちょっと複雑だ。けれど、同時にゼンに対する悪い印象が払拭されたのは、おそらくこの瞬間だった。


「何ぼうっとしてるんだ。おまえもだぞ、アリス」
「え?」
「その左目、隠しておくには勿体ないと思うがな」


 俺と同じ色だし。と、少し茶化すように付け足された何気ない言葉にぱちりと瞬く。
 ああ、なるほど。確かにゼンのサファイアのようなそれは、私のものと似ているかもしれない。とは言え、まっすぐにこちらを見つめる双眸は私なんかよりも何倍も綺麗に思えるけれど。


「す、すごい考え方するんだね……」
「自信満々だ……」
「おや? 尊敬?」


 他人に大きな衝撃を与えておいて、全く本人はけろりとしている。人の心を掬い取るような言葉選びは計算か、はたまた無意識なのか。どちらにせよ、心を揺さぶるくらいだから本心なのだろうなと思う。
 こちらの反応に満足げに笑うゼンの瞳が細められた。自信に溢れた青。やっぱり、彼のものには遠く及ばない。けれども、そんな彼に『同じ』だと言ってもらえたことはちょっぴり嬉しかった。
 ゼンの表情を真似るように、異色の目を細めてみせる。そういえば、彼に笑いかけたのはこれが初めてだったかもしれない。


♦︎


──がさり。

 談笑するゼンたちから少し離れた位置にある草むらが揺れた。
 影に潜むように彼らの様子を窺っていたミツヒデと木々が、ふうと安堵の息をつく。


「……白雪とアリスはやっぱり怪しい人じゃあなさそうだな、木々?」
「それどころか、ゼンは相当気に入ってるね」
「捕まっちゃって災難かなー、二人の方は」


 ゼンにもし何かがあった時のために、と白雪とアリスを見ていたが、やはり無用な心配だったかと二人は思う。
 完全に打ち解けたのか、ゼンをあれだけ敵視していたあのアリスでさえ、彼に対して笑顔を見せているのだから。全く、我らが主人は人誑しである。


「白雪の赤髪を見たときもそうだが、アリスの方も驚いたな」
「かなり珍しいね」
「てっきり眼帯は怪我をしてるんだろうと思ってたが……なるほど隠すためか」
「あのまま歩いたら相当な視線を集めるだろうから、仕方ないんじゃない」
「そうだな……お、帰るみたいだぞ」


 空き家へと戻って行く三人を追うように、ミツヒデと木々はその場から動き出した。

 この時はまだ、誰も想像していなかったのだ。確かな平穏のひと時を、脅かさんとする存在がすぐそばまで迫っていたことに──。
紡がれた運命を