親切にだって裏もある
「じゃあ私は試験が始まるまで、その辺を見て回るから」
「はい、お気をつけて」
「ミリアもここにいないで、他の受験者の様子を見てみたら? 情報は大事よ」
「情報……?」
腰を上げたポンズさんがひらりと手を振ったので、こちらも小さく返した。完全に見送る体勢だった私は、僅かに怪訝そうな顔をした彼女の言葉を復唱する。じょうほう……情報とは。何についての情報だろうか。首を傾げた次の瞬間、さっと素早くしゃがみ込んだポンズさんに何故か頬を引き伸ばされていた。
「貴方ねえ……! そんな調子だとこっちが心配になるじゃない」
「な、なにするんれふか……」
ぐにぐにと弄ばれ頬がじんわりと痛み出す。なんだか少し楽しんでいるような気さえする彼女の手を捕まえようとしたら、その前にひょいと解放された。虚しく宙を掴んだ両手をそのまま頬に添えて防御すると、彼女は改めるようにふうと息を吐く。
「いい? 情報はいくらあっても損はないわ。戦えないとしても、どれだけ上手く立ち回れるかの鍵になる」
曰く、情報さえあれば危険も事前に察知できるかもしれないし、無駄な争いも避けられることが多いらしい。絶対とは言えないにしろ、どう戦う人でどういう傾向が多いのか、などを知っているだけで大違いだそうだ。なるほど、確かにそうかもしれない。
「私も直接戦うのは苦手だから、戦い方を工夫するしかないのよ」
方法は企業秘密、と口元にそっと人差し指を立てる彼女を見ながら、無意識に自分の腰に手を伸ばす。無機質な鉄の冷たさがじんわりと掌に伝わった。戦う手段、か。もしかしたら、今まで出番のなかったこれも使う場面があるのかな、とそう思うとやっぱり少し恐ろしい。小さく息を詰めた私に気づいていながらも、ポンズさんはそれには触れずにふわりと笑って頭を撫でてくれる。ふと、何かを言おうとしてやめた彼女が「力を入れすぎないように」と助言したのを最後にこの場から去って行く。はい、と小さく返事をした声は人混みに紛れるポンズさんへ届いていただろうか。
すっかり彼女の姿が見えなくなった頃、ゆっくりと立ち上がって深呼吸をしてみる。少しは気分が落ち着くのではないかと思ったけれども、見るからに強者が集まる場所に自ら踏み込むのは相当勇気がいることだった。本当はやめてしまいたい。諦めてここでじっとしていたい。それが一番安全で、楽な道なのだから。それでも、ここで立ち止まってしまったらポンズさんの送ってくれたアドバイスも、励ましの言葉も、優しさも、全部が無駄になってしまう気がして。それだけは嫌だった。嫌だったからーー。
ふうと息を吐く。遠くから眺めるくらいなら、変な事には巻き込まれないはず。きっとだいじょうぶ、だいじょうぶ。そうおまじないのように心の中で呟きながら、情けなくも震える脚を前へと踏み出した。
♦
「そこの嬢ちゃん新顔だね」
そんな声が聞こえたのは、受験者の中に紛れてから数分が経った頃だった。どきりと心臓が嫌な跳ね方をする。男性の比率が女性よりも遥かに高いこの場において、“嬢ちゃん”だなんて言葉が使われる機会は圧倒的に少ないだろう。つまりは、今の声は高い確率で私に向けられたものということで。嫌な予感を覚えながらも、ゆっくりと振り返った先で見たのは、人の良さそうな笑みを浮かべた一人の男性だった。纏う雰囲気は存外穏やかで、少しだけ安堵する。
「よう、嬢ちゃん。君、ハンター試験初めてだろ?」
「え……? ど、どうしてそんなこと……」
「まあ、そう警戒するなって。俺はもう三十五回もテストを受けてんだ。その中で嬢ちゃんみたいな可愛い子は見たことないからな」
「さ、さんじゅうご……!?」
思わず声をあげた私を見て、彼は気にした様子もなくへらりと笑う。「ハンター試験のベテランってわけさ」となんてことないように続けられた言葉に息を飲んだ。それだけの回数の中で、恐怖や緊張感に毎回打ち勝ってきただなんてものすごいことだと思う。簡単にできることではない。彼のハンターに対する熱意を感じて、ここにいる私がより場違いであることが明白になった気がした。
「俺はトンパってんだ。嬢ちゃんの名前は?」
「わ、私はミリアです」
「そうか、よろしくな」
そう言って差し出された手を、何の疑いもなく握り返す。笑みを深めたトンパさんは、ふと思いついたように「そうだ、ハンター試験の常連を教えてやろうか」と得意げな顔で提案してくれた。突然の言葉にぽかんと放心する私を置いて、彼はその話題を続ける。途端に他の受験者の特徴や傾向などの情報が大量に飛び出してきて、聞き漏らさないように努めるので精一杯だった。
「ーーまぁ、このくらいが常連だな」
「あ、ありがとうございます……」
「いいってことよ!」
なんだかとても疲れた気がする。思ったよりもハンター試験の経験者が多いようで、覚えるのに苦労してしまいそうだ。たった今聞かせてもらった内容を反芻するように脳内に思い浮かべていると、「おっと、そうだ……!」と何かを思い出した様子のトンパさんが鞄から缶ジュースを取り出す。オレンジ色のポップなカラーが可愛らしいものだった。
「お近づきの印だ、飲みなよ」
「え? わ、悪いですよ……!」
受け取れません、と慌てて胸の前で両手を振る。彼にはもう散々お世話になったのだから、これ以上何かをいただくわけにはいかない。そう思って拒否したのに、どうやら彼は引き下がるつもりはないらしい。相変わらずのにこにことした笑みを浮かべ、グイッとさらに缶を近づけると無理やり私の手に握らせた。「遠慮すんな、俺の分はあるからよ!」と、そう言う彼の手には確かにいつの間にか同じ物があるけれど。なんだか思考を読まれて先手を打たれたような気分だ。そこまでされては突っ返すこともできなくて、お礼を言うしかなかった。
「んじゃ、お互いの健闘を祈って……カンパイ!」
こつん、と小気味良い音がしてお互いの缶がぶつかる。トンパさんに流されている部分は大いにあれど、あれだけ緊張して縮こまっていたはずなのに、今現在祝杯を挙げていることが不思議でならない。これはどういう状況だろうか。手元のジュースを見て、ぱちりと瞬く。本当に不思議だった。こんなにも不穏な空気で包まれている場所なのに、ポンズさんや目の前の彼のように親切な人がいることが。そういった人々に自分が出会えていることが。不思議でいて、運が良いのだろうな、と思う。
ふと視線を感じて顔を上げると、トンパさんが勢いよく缶を煽っているところだった。私もすでに飲み口は開けてしまったし、飲むという以外に選択肢はない。緊張して喉が渇いていたからちょうど良かったのかもしれない、とそう思いながらゆっくりとそれを口元に近づけた。