始まりの一次試験
どれだけの時間、暗闇に身を投じていただろう。ジリリリッ!と、突然けたたましい音が地下道に反響して、がばりと反射的に上体を起こした。闇に慣れていた視界が薄暗い中でも少しだけちかちかする。しん、と静まり返った会場内に突如姿を現したのは、くるりと巻かれた髭が特徴的な一人の男性だった。彼が言うには、先程の大音量のベルは試験の受付時間の終了を知らせるものだったようで、この場に集う人々へ試験を受けるかどうかの最終意志確認を投げかけた。
ハンター試験はとても過酷で、運が悪かったり実力が乏しかったりすると、怪我はもちろん、最悪の場合死に至ることもある。覚悟のある者だけついて来い。と、そう語った彼は後方にあるエレベーターを見据える。ここに来る時に使ったものだ。引き返すなら今のうち、と言いたいのだろう。真剣に紡がれた言葉に、無意識にごくりと喉を鳴らす。そっとエレベーターに視線を向けるも、やはり身を引く者はいない。全員が余すことなく受けることを希望しているようだった。
じんわりと緊張から滲む汗を意識しながら、胸のところに両手を置く。どうにか速まる鼓動を落ち着けようと、ゆっくり深呼吸をしてみる。逃げたい、先に進みたくないと心が訴えているのを気づかないふりでなんとか誤魔化した。情けない私にだって頑張りたい気持ちくらいはある。喫茶店のマスターを始め、今まで出会った人々を順に脳裏に描いていく。たくさん、たくさんお世話になった人達がいるのだ。ここで諦めて、自分勝手に逃げ出すなんて出来なかった。どうにか……少しだけでも頑張らないと。すうっと息を吸って、震える脚に力を込める。そうして、なんとか立ち上がった。
「ーー承知しました。第一次試験404名、全員参加ですね」
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突如として始まった第一次試験。受験者である大人数を引き連れて先頭を行く先程の男性は、自らを一次試験官のサトツと名乗った。試験の内容は、‘’二次試験会場まで逸れずに彼についていくこと”らしい。何ら難しくはない。単純明快な内容だけれど、シンプル過ぎて逆に怖かった。
目的地がどこにあるのかも、距離がどれくらい離れているのかも、一切伝えられることはないというのだから、普通のマラソンよりもずっと厳しいものになるだろう。この試験がこちらのどんな能力を測るものなのか正確にはわからないけれど、体力に自信があるとは言い切れない私はすでに精神的に病んでしまいそうだった。
「っ、……あ」
ひたすら前の人に続くように走っていると、突然サッと何かが横を通り過ぎた。驚いて一瞬だけ肩を跳ねさせたけれど、その後ろ姿が見覚えのあるもので思わず声を漏らす。スケートボードを乗りこなす銀色の少年。柔らかそうな髪が風にふわふわと揺れて、彼が肩越しにこちらを振り返った。途端に、お、と呟いたキルアが僅かに目を見開く。
「ミリアじゃん」
よっ、と軽く片手を挙げた彼が少しスピードを落として隣に並ぶ。先に行こうと思えば簡単に行けるだろうに、わざわざ並走してくれるとは思わなかった。“またね”と伝えたけれど、想像していたよりもずっと早い再会だ。なんだか嬉しくなって頬が緩む。
「なにニヤニヤしてんだよ」
「し、してないよ……!」
「ふーん?」
そんなに変な笑い方をしていただろうか。指摘されてぎょっとする。どんな顔をしていたのか想像すると滑稽だったのですぐにやめた。代わりに、変人の認識になってしまいそうな彼の見方を改めてもらおうと口を開く。
「ち、違くて……私はただ、また会えたのが嬉しかっただけで……」
だから決して変人ではない、とキルアを見ると、虚を衝かれたような表情と対面してきょとりとする。そこまで驚かれるようなことを言っただろうか。つい観察するように眺めていると、「っ……あっそ」と取り繕うようにそっぽを向かれてしまった。怒らせただろうか。心配になったけれど、変わらず並走を続けてくれる様子を見ると、どうやら怒ってはいないらしい。見知った姿があるだけで少し安心するから、正直そばにいてくれるのはありがたかった。ものすごく勝手な言い分で申し訳ないけれども。
「……そういえば、キルアってスケボーなんて持ってたっけ」
「ん? あー……まーね」
「? そっか、ちょっと羨ましいかも……」
何だか煮え切らぬような返事を不思議に思いながらも続けると、キルアがこちらを向いた。
「なんで?」
「えっと、私そんなに体力に自信なくて……。だから、最後までついて行けるか不安というか、正直無理というか……」
ほぼ泣き言だ。こんなことを人に言っても仕方がないというのに、一度口からこぼれた言葉は留まることを知らずに溢れていくから困る。自分の弱さを再確認するだけではないか。どんよりと目を伏せると、ぱちりと瞬きしたキルアが呆れた表情になった。
「開始早々弱気かよ。なよっちいヤツだな」
「う……」
「つーか、そんな調子でなんでこんなとこ来たんだよ」
「そ、それは、その……」
もごもごと言葉に詰まって視線を逸らす。“たまたまハンター試験の話を聞いて衝動的に受けに来た”だなんて、あまり良い理由とは思えない。強くなりたい、と。そのきっかけとしてここに来たは良いけれど、冷静に考えてみればだいぶ無鉄砲だ。そもそも、この試験を乗り切れるだけの“強さ”が必要なのだから。それを持ち合わせていない私では、結果は火を見るより明らかだろう。
「そんなんじゃすぐ落ちそうだな、お前」
「う、ん……本当だね」
彼が横目で言ってきた言葉に、苦笑いで答える。私よりも高い位置から、はあと息を吐き出す音が聞こえた。
「……ま、精々死なねーように頑張れよ。お前みたいなヤツはそれができれば上出来じゃねーの」
ポケットに両手を突っ込んだキルアが、変わらない様子で前を見据えていた。態度だけを見ると、適当に言葉を並べただけのようにも感じる。けれども、その声音は先程よりも幾分か柔らかくて。励ましてくれたのかもしれなかった。違うとしても、“死なないように”という一つの目標は、“試験に合格しないと”と焦るよりもずっと気が楽だった。へなり、と笑う。
「ありがとう、キルア」
「別に。そんなんじゃねーよ」
「でも、その、頑張れそうな気がするから……だから、ありがとう」
「……無駄に調子狂う」
お礼を言うと、キルアがぼそりと呟いた。聞こえないと思ったのかもしれないけれど、しっかりと聞き取れてしまった。調子が狂う、とは。はて、気分でも悪いのだろうか。意味までは理解が出来なくて首を傾げる私を、キルアはどこか別の生き物を見るかのような目で見ていた気がして。ますます謎が深まってしまった。