泣きっ面に蜂



部屋の外に出ると、薄暗い地下道が広がっていた。すでにかなり多くの人が集まっており、百は優に超えているだろうか。不意に私の存在に気づいたのか、そこにいたハンター志望者達の視線が一斉にこちらを向いた。思わずびくりと肩を震わせる。重たくて鋭い、射抜くような視線だった。本当にここは試験会場なのだろうか。思っていたよりもずっと重苦しい雰囲気で、とても落ち着いてはいられない。

彼らの視線からどうにか逃れたくて、ふらふらと後ろに下がり俯く。あの時の、バスでの出来事の嘲笑うようなそれとは違ったけれど、詮索するような、纏わりつく視線は良いか悪いかで言えば間違いなく居心地が悪かった。注目が集まるのは得意じゃないのに、と身を縮こませたところで、ふいと大勢の視線が逸らされた。

一瞬で興味がなくなったようだ。ほうと安心して息をつくと、体がひどく力んでいたことに気づいた。どくどくと心拍数がえげつないほどに上がっている。これくらいのことで怖がって情けない、と思う。けれど同時に、そうなってしまうことにどこか納得している自分がいた。

今までの、船内やバスで見てきた志望者とは比べ物にならないほどの威圧感。それだけでも尻込みをしてしまうほどなのに、ここにいる人達は一貫して自分に自信を持っているのがすぐにわかるから少し恐ろしかった。失礼なことを言うようだけど、なんだかちょっと違う生き物のように感じられて。


「はい、どうぞ。番号札をお取りください」
「ひっ……」


ゆっくりと深呼吸をしていると、突然後ろから声をかけられた。呼吸が乱れる。恐る恐るそちらを向くと、こちらに丸い形をした板のような物を差し出している小さな人がいた。私のあまりの怯えように少し目を見開いていて、申し訳ないと思う。


「す、すみません……ありがとうございます」


何に使うのだろうか、この板。受け取ってくるくると色んな方向から眺めてみるけれど、一面に“346”と書かれている以外は特に変わったところはなかった。番号札というくらいだから、整理券のようなものなのかもしれない。ということは、ここにはすでに三百人以上の受験者が揃っているようだ。ちょっと多過ぎでは……?


「番号札は胸につけて紛失されないようにしてくださいね」


じっと札を見つめていると、先程と同じ声が聞こえてはっとする。慌ててその方向を見たけれど、その人はすでに身を翻したところだった。しまった、無視したように見えたかもしれない。悪いことをしてしまった、と思ったけれど、どうやら他の人に番号札を渡しに行っただけらしい。安心して息を吐き出すと、手に持った札を言われた通り胸の辺りにつけた。

なんとなしに番号を指先でなぞる。試験がいつ始まるのか全くわからないし、これからも受験者が増えるとなると、最終的にはどれくらいの人が集まるのだろうか。人数が増えれば増えるほど、単純に誰かが合格する確率が下がっていく。“誰か”が、なんて、どこか他人行儀なのは初めから自分は不合格の枠だと諦めているからなのだろうな。考えて、俯く。はあ、と当たり前のようにため息をつきそうになって、ぐっと堪えた。どうして最初から諦めているんだ。まだ試験は始まってすらないのだから、しっかりしろ……!

ぶんぶんと頭を振って、消極的な考えを振り払う。ものすごい不安だし、やり遂げられる自信は全くないけれど……それでも、やれるところまでは頑張ろう。そうだそうだ、と自分を励まして両頬を叩く。ぱちんと軽い音が鳴った。

それにしても、緊張がすごい。どきどきと加速していく鼓動に、口から心臓が飛び出してしまいそうだと思った。今からこの調子では先が思いやられる。なんとか落ち付けようと、また深呼吸をした時だった。


「わ……っ!」


どんっ、と背後から左肩に衝撃が走って、一瞬息が詰まる。すぐに誰かとぶつかってしまったと理解して、咄嗟に謝ろうとそちらを向いたのに、その人は気にした様子もなくさっさと人混みに紛れていく。後ろ姿がだんだんと見えなくなって、完全に謝罪するタイミングを逃してしまったようだ。謝らなくてよかったのだろうか……。ぼんやりと思いながら背中を見送って、はたと気づいた。そういえば、私が今いる位置は部屋から出て少しだけ進んだ場所だった。つまりは、ものすごく邪魔な位置で。先程も邪魔になっていたのだろうと思い当たり、むしろ怒られなかったのは幸いだったのだと知る。

慌ててその場から離れようして、とりあえず壁際に向かったのだけど、急ぎ過ぎるあまりに周りがよく見えていなかったようだ。どんっ、とまた同じ衝撃が走って、軽く自己嫌悪に浸る。結局邪魔になっているし、なんだか最近はよく人とぶつかってしまう。きゃ、と小さく悲鳴をあげたその人と共にバランスを崩してその場に尻餅をつく。とにかく、すぐに謝らなくてはと思い、ぱっと顔を上げた先で見たのは、鮮やかな緑の髪が美しい女性だった。


「す、すみません! 大丈夫ですか……!?」
「え、ええ……、平気よ。こちらこそごめんなさいね」


弾かれたように駆け寄ると、彼女は苦笑いで「前をよく見てなくて」と続ける。それはこちらの台詞だ。その事も含めてひたすら謝りながら、怪我がないかを確認する。どうやらどこも怪我はしていないようで、心底安心した。試験前なのに自分のせいで誰かの足を引っ張るなんて、想像しただけで卒倒ものだ。大丈夫よ、と笑ってくれるこの人が寛大な心の持ち主なだけで、普通なら激怒されていてもおかしくはない。


「貴方こそ大丈夫? 胸が痛いの?」
「え、あ、これはなんともないです……大丈夫です」
「そう……? ならいいんだけど」


無意識に胸に手を置いていたのをぱっと離して、ひらひらと振るう。優しい人とぶつかるという珍妙な運がいつまで続くのかな、と思ったらつい胸に手が……。力が抜けて地面にへたり込んでいると、立ち上がろうとした彼女が不意に「あれ……?」と呟いた。頭に手を当てて、きょろきょろと辺りを見回している姿に首を傾げる。


「どうかしました……?」
「うーん、帽子がないのよ」
「ぼうし?」


ぐるりと考えて、そういえばと思い当たる。彼女のそばに黄色の帽子が落ちていたのを見た気がして周りを探すと、自分の真後ろにそれと思わしき物が転がっていた。目の覚めるような黄色と、つるりとした丸いデザイン。可愛らしくも、なんだか特徴的な帽子だった。体を捻ってそれを拾う。私で死角になっていたらしい彼女へ差し出すと、不安げな表情が途端にぱあっと明るくなった。


「これよ、これ! どうもありがとう」
「いえ、見つかってよかったです」


笑顔を浮かべた彼女がこちらへ手を伸ばしたので、私も立ち上がって帽子を手渡そうとした。……したのだけど、何故かもう少しで帽子に触れるというところで、はっと何かに気づいたような顔をした彼女の動きがぴたりと止まる。不自然な格好で固まる様子に疑問符が浮かぶ。突然どうしたのだろうか。じっと見つめていたら彼女の頬につうっと冷や汗が流れるのが見えた。本当に大丈夫だろうか……、心なしか顔色が悪くなっているような気がする。さすがに心配になって声をかけようとしたら、先に彼女が口を開いた。


「その帽子から離れて!」
「え?」
「いいから早く!」


何やらひどく焦っているようだ。この帽子が何だというのだろう。少し特徴的な形だけれど、どこからどう見てもただの帽子なのに。不思議そうに首を傾げるばかりで一向に言う通りにしない私に痺れを切らしたのか、彼女が素早く帽子を奪おうとしたその時だった。ぶうん、と鈍く空気に響くような音が聞こえてきたのは。


「へ……?」
「ま、まずい……っ!」


幾重にも重なる鈍い音。ぶうん、ぶうんと耳に纏わりつく日常的にも聞くこの音は、正しく虫の羽音だった。しかも、これはたぶん蜂とかそういう危険な類の……?ぶわと嫌な予感が全身を駆け巡り、慌てて音の場所を探ると、なんと信じられないことに手元の帽子からにょきにょきと蜂が顔を出しているではないか。本当に信じられない。一体どういう状況なんだ。反射的に帽子を投げ出すように落としてしまったら、衝撃のせいか次々と蜂が増えていき、いよいよ命の危機を感じた。