拝啓、アンリ先生。
今日はついに転校の日です。
あなたと出会ってしまったばかりに、私は望んでもいない聖マリー学園に通うことになってしまいました。あまりにも無謀で、あまりにも無情です。
本人の意思は一切ありません。知らぬ間に話が進み、気がついた時にはもう後戻りできなくなっていたのです。学費やら転校やらの手続きがすでに受理されていると言われてしまえば、いち中学生の身では何もできませんでした。
この状況、一体どうしてくれるんですか。
才能がどうのとふっかけてきたあなたにも責任の一端があるのでは?? まあ、確かに? 元はと言えば、私がスイーツフェスタなんかにのこのこ行ってしまったのが間違いですけれども?
それはそれ。これはこれ。そもそも原作の強制力みたいなのが強すぎるのが問題だと思(以下省略)
♦
「(どうしたものかな……)」
閑散としたバスの中、周りに人がいないのを良いことに某考える像のポーズで長考する。出てくるのはアンリ先生への愚痴ばかりで、役に立つ案はなかなか浮かばない。控えめに言って詰んでる。
ベッドでの籠城は早々に妹に崩され、父には涙目で応援され、母には物理的に背中を押され……。家を追い出されたと言っても過言ではない状況である。周囲との温度差で風邪をひきそう。
いっそのこと『行き先の違うバスに乗っちゃって辿り着けませんでした。てへぺろ〜!』みたいな展開でお茶を濁したい。うそ。お茶を濁したところで何の助けにもならないのはわかっている。
アンリ・リュカスの推薦とはいえ、かなりの金額を払ってここにいる以上「行きたくないから」という気持ちの問題で不登校になるわけにもいかない。うちは貧乏ではないが特別裕福ではないし、私は人生二周目だし。駄々を捏ねてわがままに振る舞う勇気はなかった。
「──次は“聖マリー学園校門前”」
「(あ、気持ち悪くなってきた……)」
窓の外には人気が全くない森のような景色が流れていく。どこを見ても、木、木、木。とても製菓専門学校があるとは思えない。マジで乗るバス間違えたのでは、という方がまだ信じられた。
しかし、バスの案内は間違いなく“聖マリー”の名を告げた。刻一刻と迫るその時を思うと胃がひっくり返りそうだった。うっと反射で口元を押さえる。と、力の抜けた瞬間にバスが揺れ、ごんっと窓に頭を打ちつけた。踏んだり蹴ったりすぎる。
ふらふらとバスを降りて(運転手さんに心配されたが適当に誤魔化した)ごろごろとキャリーバッグを引きずりながら、学園の校門を目指す。停留所の名称が『校門前』だったから、この近くにあるはずだ。……。思ったより距離あるな……??
「──でっかーい……」
わあ、と感情の宿らない表現のし難い声が思わず滑り落ちる。
しばらくして辿り着いたそこは、どこぞのテーマパークのようだった。
大きな門の先に広がる手入れの行き届いた空間。草木の自然と噴水などの人工物が上手く調和していて、まるで絵本の中みたいだ。校舎も宮殿と見紛うほどに美しい。フランスに本校がある影響も大きいのだろう。
一体どれほどのお金がかかっているのか、想像するだけで恐ろしい。うちは本当にここの学費を払ったのだろうか……。帰れない理由が目の前に現れ、いよいよ腹を括るしかなくなった。
嫌なものは嫌だが、今は進むしかない。
「うわ……あの像、本当にあるんだ……」
ドン引きした声までもれてしまった。慌てて辺りを見渡す。誰もいないようだ。ほっと息をつく。
原作の記憶は鮮明ではないけれど、確かこの学園で妖精は重要な存在だったはず。信仰対象とは少し違うかもしれないが、好意的な存在を悪く言われたら学園の関係者は良い思いをしないだろう。
恐々と近づき、ファンシーなその像を見上げる。原作で見たときよりもやはりと言うべきか大きく感じるし、そのせいなのか謎の存在感を放っているようにも思える。知識があるからそう見えるのかはわからないが、はっきり言ってここだけ異質だ。
女王様には申し訳ないけれど、常識外れな聖マリーの中でもこれはひときわ浮いている。
あの妖精は何という名前だったか。“いちご”と行動を共にしていたパートナーでさえ朧げで思い出せない。わかるのは、この世界には妖精がいて、妖精の国もどこかにあるという事実のみ。つくづくこの世界は前と違うと思わされる。
「(まあ、実際に見なければいないも同然か……)」
「それはスイーツスピリッツの女王様や」
「ひ……っ!??」
「そんな驚かんでも……」
誰もいないと思っていたのに突然話しかけられて、びゃっと肩が跳ね上がった。
像の後ろからひょっこりと姿を現したのは、どこか見覚えのある可愛らしい女の子だった。オレンジを帯びた温かみのある長髪がふわりと揺れる。
……確か、“いちご”と仲の良い……名前が思い出せない。でも、原作の登場人物に違いない。そう気がつくと心臓が縮むような心地がした。“アンリ先生”といい、いつだって原作キャラを前にするのは心臓に悪い。
こちらの動揺を知る由もない彼女は像に手を滑らせ、軽い口調で語る。
「この学校にはスイーツスピリッツっちゅう精霊がおるんや」
「すいーつ、すぴりっつ……」
「そや、スイーツスピリッツを見た者は夢が叶うんや。そういう伝説があるんやで、この学校には」
「へえ、すごいですね……」
──“スイーツスピリッツ”。
言われてみれば、聞き覚えがあるような気がする。
しかも、妖精じゃなくて精霊だった。
「……どうか平和に過ごせますように」
「あ、天野さん……お詣りとちゃうんやから」
思わず手を合わせて祈る。呆れの混じったツッコミが飛んできたが、私は大真面目であった。願いを叶えてくれるというのなら、平穏だけでも許してほしい。なむなむ。
「あんた転校生の天野要さんやろ? 私、加藤ルミ。寮が同室やから迎えに来たんや、よろしく」
「よ、よろしく……。私のことは好きに呼んでください」
「ほな、要ちゃんやな。まずは寮に案内するで」
「お願いします……」
帰りてえ〜〜〜〜。
しぶしぶ彼女の後に続いてその場を離れようとした時、ふと作っておいたお菓子の存在を思い出した。振り返って一つだけ像にお供えしておく。
効力なんてないだろうけれど、少しでも願いが叶ってほしいという下心があった。
「──ここが女子寮。ほんで、ここが私たちの部屋や」
案内された場所はこれまた豪華な建物だった。部屋もホテルのように綺麗だ。ここが聖マリー学園でなければ最高の空間だった。
ついに原作の舞台に来てしまったという不安と、作品のファンとして「聖地じゃん!」とほんの少しはしゃぐ気持ちとが自分の中で戦っている。てか、聖地って何? ここはモデルになった場所ではなく、それそのものですが??
すっと片手で顔を覆った私に、彼女は不思議そうに首を傾げた。すみません、いつもの発作です。
「家から届いた荷物はそこ置いといたから」
「ありがとうございます、加藤さん」
「ルミでええって! 敬語もなしな!」
からりと笑った彼女──ルミさん(原作キャラとはなるべく距離を取りたいので“さん”付けにした)はその時ちょうど鳴り響いたチャイムに思い出したように「あっ!」と声を上げた。
「ルミさん?」
「もうこんな時間……! 私、材料準備する当番なんや! 要ちゃん、さき教室行っといてな!」
ほなな! と、ひらりと手を振り締め括った彼女はこちらが引き止める暇もなく、素早く部屋から去って行った。残された私は中途半端に手を伸ばした格好で固まる。これからの自分の命運を思い身震いした。
何故って、それはもちろん──。
「教室…………って、どこ……???」
この広い学園で迷子になる未来が確定したからだ。
転校生を初日から置き去りにするのは、さすがに洒落にならないって!
平穏はほど遠く
(う〜ん、こっち!)
(……あれ? さっきもここ通ったような……?)