──やばい、マジで広い……。
もしかしたら死ぬかも。
そう不安に駆られるほどに敷地が広く、遭難一歩手前の状態で途方に暮れる。ああ、神よ。慈悲は、慈悲はないのか。え? そこにないならない? それはそう。だって、慈悲深い神様がいるなら、そもそもこの学園に来ることになっていないもの。
よたよたと覚束ない足取りで整地された道を進む。ちなみに寮で迷った後、外に出られたと思ったら今度は森に迷い込み、先程ようやくそれらしき区域に戻ってきたばかりだ。方向音痴以前に土地勘がなくて余計に彷徨う羽目になっている。そろそろメンタルがやばい。
「(…………校舎って、どこ……?)」
一番最初に見たはずなのに、森で迷ったせいで方向がわからなくなっていた。広大な迷路に辟易する。前の中学校って随分と狭かったんだな……。
なんかもうやる気が起きない。もともと、やる気なんてなかったけれども。
さて、これからどうしたものか……。もういっそのこと、このままバックレてしまうのもいいかもしれない。どうせ、あがいたところで時々ドジを発揮するこの体では辿り着けまい。転校初日から登校拒否の不良生徒の爆誕である。聖マリー学園の歴史に伝説として刻まれるに違いない。わあすごい。
諦めの境地で空を見上げる。快晴だあ。
空の青さに全てがどうでも良くなった。ふふ。感情が壊れたような不可解な笑みをもらす私は今この瞬間、間違いなく不審者だったと思う。
「──天野要さん?」
あー、溶けたい……。溶けて、そのまま消え去りたい……。
「ねえ、君」
「わぁっ……!?」
背後からぽんっと肩を叩かれ、つい情けない悲鳴をあげる。
完全に油断していた。今まで誰とも出会わなかったからというのもあるが、あえて不審者に声をかける勇者がいるとは思わなかったのだ。
しかし、驚きと同時に少しの安堵も感じていた。ちょうど良い。この人に道を尋ねてみよう。
何気なく振り返り──固まった。
「大丈夫? 気分悪いの?」
「いっ、いえ……! なんでもないです……っ、ダイジョウブ」
明らかに大丈夫ではない返事をしてしまったが、咄嗟に取り繕うこともできずに声を振り絞るので精一杯だった。
目を惹く整った顔立ち。若草のような珍しい髪色。ふわりと微かに舞う薔薇の香りに、遠い記憶が刺激される。
……この人、知ってる──!
「そう? 無理はしないようにね」
ふっと柔和に細まる翡翠の瞳。やや憂いを宿すその姿さえ絵になっていた。夢見る少女ならば“絵本から出てきた王子様”と表現するかもしれないし、そうでなくとも彼に夢中になる女性は多いだろう。
かくいう私も目が離せなかった。例の如く、意味合いは全くの真逆であるが。恋の波動とは程遠い殺伐とした心境の中、ただ呆然と彼を見つめる。
その容姿は“加藤ルミ”の時よりもはっきりと見覚えがあった。それは、つまり『覚えていられるほどに原作においての登場回数が多かった』ということ。
「ところで君、転校生の天野要さんだよね?」
「……そうです、けど……よくわかりましたね」
「ふふ、女の子のことはみんな覚えているから」
じわじわと首を絞められているようだった。
なんでもない声の調子で、彼は私をどん底へと突き落とすのだ。
「──初めまして、僕は花房五月。よろしくね」
「(やっぱり知ってる……っ!)」
だ、誰か〜〜! へるぷみ〜〜!!
身構えていてもやはり衝撃は大きかった。心の叫びは当然誰にも届かない。助けは来ない。というか、来られても学園内にいる限りは高確率で原作に関わる人物なのでは? どちらにせよ死。
「僕は二年A組でね、君と同じクラスだよ。お近づきの印に──はいこれ、要さんにプレゼント」
「えっ、はあ……ありがとうございます……?」
徐に花束を差し出されて困惑する。流れで受け取ってしまったが、あとで問題になったりしないだろうか。具体的に言うと、彼のファンに『私の花房くんに近づかないで!』とか『転校生のくせに生意気よ!』みたいな、どこかで見たようなやっかみに発展しそうで……。突き返すか否か、内心で天秤が揺れる。
できれば学園内での自分の立場は悪くしたくない。ただでさえ“聖マリー”に放り込まれたイレギュラーなのだ。……。
ちらりと彼を窺う。裏のなさそうな好意的な微笑みがこちらを見守っていた。…………。
逡巡の末、もぞもぞと花束を持ち直す。天秤は受け取る方へと傾いていた。悪意のない純粋な歓迎を無碍にするだけの勇気がなかったのだ。
胸に近づけた花束に何気なく顔を寄せ、ふと。予想とは違う甘い香りが鼻腔をくすぐった。花の匂いではない……? 今まで原作の登場人物である“花房五月”に意識が向いていたため気がつかなかったが、よくよく見ればその花束には普通ではありえない光沢があった。
これは──!
「これって、飴細工……?」
いや、上手すぎじゃない……? 彼まだ中学生だよね……??
見た目は完璧に薔薇そのものだ。すごいとしか言いようがない。見せつけられた凄まじい技術と才能と、それを支えているだろう努力を思い、じわじわと高揚感が増してゆく。
わあ、と子供のように空に掲げ、キラキラと太陽の光を反射する様を色んな角度から眺める。数秒前まで突き返そうかと葛藤した自分がいたことも、そばに“花房五月”がいることも、原作に関わる諸々も、この時ばかりはスイーツに魅せられて失念していた。
そう、彼がくすりとおかしそうに笑うまですっかり抜けていたのだ。
「そんなに喜んでもらえたならよかったよ。庭の薔薇が綺麗に咲いててね、作ってみたんだ」
「そ、そうですか……。お上手ですね……」
「うん、ありがとう。まだまだ学ぶことはあるけどね」
子供じみた言動をした自覚があったので、居た堪れなくてぎこちなく姿勢を正す。幸か不幸か、そこに馬鹿にするような意図はなく、彼は微笑ましげな反応を見せていた。……ような気がする。恥ずかしくてすぐに視線を逸らしてしまったので定かではない。しかも、何にしても余計な印象を残したことに変わりはないという地獄。
ところで、そのキラキラしたエフェクトなに? 幻覚??
王子との遭遇
(ファンに刺されそう)
(背後に気をつけなくては……)