ーー多分もう、会えないけど。
「…………と、思ってたんだけどな」
なんでだ? と頭を抱えて丸くなる姿は、美術の教科書に載っていた考える人のそれとよく似ていた。しっかり数メートルの距離を空けて、手頃な大きさの岩に腰を掛けた彼は、またもや深刻な問題に直面したと言わんばかりに深く思考しているようだった。
この村に来て、二日目。彼と交わした言葉の通り、空が夕焼けに染められ始めた頃に同じ場所へ行くと、昨日寝ていた木の幹に背を預け、ぼうっと流れる雲を見つめている見覚えのある少年がいた。青色の和装に、四つ目のお面。出会った時と変わらない彼の姿に、本当に来てくれたと嬉しくなって弾む声で名前を呼ぶと、ぎょっと一瞬だけ肩を震わせた後に勢いよくこちらを振り向いて。
それからずっとこんな調子だ。とにかく、ひどく驚いているようだった。
「おまえって霊感ある?」
「え? どうだろう。変なものは見えたことないから、たぶんないと思うけど。どうして?」
「いや、もしかしてと思っただけだ。気にしなくていい」
「……私も聞いてもいい?」
「なんだ?」
「昨日から気になってたんだけど、イミゴくんって男の子……でいいんだよね?」
「はあ……??」
あ、やっと顔を上げてくれた。怪訝そうに眉を顰めて、声にも不信感を滲ませて、如何にも何言ってるんだこいつ、みたいな反応でこちらを見る。
「なんでだよ。自分で“くん”まで付けて呼んでたくせに、自信がなかったのか? 俺のどこが女に見えるってんだよ。髪か??」
「それも、ある。ごめん……顔も見えないから万が一があるかと思って……」
「別に女らしく振る舞ってるつもりはないぞ。この髪だって好きで伸ばしてるわけじゃない」
「え、そうなの?」
一つに束ねられている毛先を摘んで、げんなりしたように呟く彼に「切らないの?」と何気なく問いかける。単純な疑問に、大して間を置くこともなくぱっと指を離すと「事情があって切れない」と答えが返ってきた。髪を切れない事情ってなんだろう。気になるけれど、その事情を深く教えるつもりがないのは察せられたから別のことを聞いてみた。
「じゃあ、その布のお面は何のためにつけてるの?」
「秘密」
「ええ……、どうしてもだめ? 外せないの?」
「ダメ。逆になんでだと思う?」
「うーん、なんでだろう……四津村でお祭りをやってるとか?」
「ハズレ」
外せない理由、顔を隠す意味。それを予想するには、私には知らないものが多すぎる。この村のことだって最近母から聞いて初めて知ったのだ。それも田舎で自然が豊かだとか、そういう上辺的な情報しか知らないのに。考えてもわかりそうもなかったからつい、「すっごく綺麗な顔を隠すため」と半分冗談で言ったら、予想外だったのか彼がふっと吹き出して笑った。
「ははっ、なんだよそれ。目も潰れるほどのご尊顔ってか? そうそう、その通りだよ」
「嘘ばっか……、今適当に頷いただけでしょう」
「さあてね」
くつくつと肩を揺らせて無防備になっている横顔に、今なら覗けるのではとそっと視線を向けたけれど、輪郭に沿うように長い髪が邪魔をして布の隙間はちっとも窺えなかった。なかなかガードが固い。この滞在期間中に、彼の素顔を見ることはできるだろうか。無理に見ようとは思わないけれど、気になることもまた事実だった。彼が自ら素顔を明かしてくれる日が来るといいな、と心の中で密かに願う。
「そうだ。一緒に食べようと思って、家からお菓子持ってきたんだった」
「お菓子?」
「うん、お饅頭だけど。甘いもの平気? お母さんにイミゴくんのことを話したら、せっかくだからこれ持って行きなさいって」
「はなっ……、オレのこと話したのか!? なんて……!?」
「ふ、普通に友達に会いに行くって……あ、何かまずかった……?」
「あー……いや、なんでもない。何か他に言われなかったか?」
他も何も、母には友達としか紹介していないので、彼の名前すら伝えていないのだ。わからないことが多すぎて、それしか言えなかったともいうけれど。首を振って否定をすると、彼はどこか安心したようにほっと息を吐いた。それを不思議に思いながらも、数メートルの距離をほんの少し縮めて、なるべく離れた位置から片手を伸ばす。お饅頭を二つ、彼の掌に触れないように気をつけながらそっと乗せた。
距離を詰めないように心掛けたのは、先程彼がうんうん唸っていた時に「オレにあまり近づくなよ。何があっても触れるな」とよくわからないことを絶対だと言って、念を押されていたからだった。それは昨日の「約束はできない」と真剣な様子で語った彼と酷似していて。病気なの?と心配になって問うても、返ってくるのは違うの一言だけ。
何が理由かはやっぱり察することはできなかったけれど、あまりに彼がまっすぐで迷いのない声音で言うものだから、私は黙って言葉を受け入れることにした。わざわざ彼の嫌がることなんてしたくもない。今はただ、この時間が少しでも長く続いて欲しいと祈っていた。出会ったばかりなのに不思議と彼のそばが心地良いと思ってしまうのは、最初に感じた誰かの面影のせいかもしれない。
「……ありがと。これ、ナマエの実家から持ってきたんだよな?」
「そうだよ。中のあんこがね、甘くてすごく美味しいの」
言いながら、また距離を空けて元の位置に腰掛ける。それから手元に残った二つのうち、一つのお饅頭の包みを開けようとすると、「あ、待て! おまえは食うな……!」と焦ったように横から声をかけられて、驚いた拍子に地面に落っことしそうになった。
「えっ、と……?」
「悪い、貰っておいてこんなこと言って……。外から持ってきたモノだから、多分取り入れても平気だとは思う。でも、多分で片付けられるようなことじゃない。万が一があったら困る……俺じゃなくて、ナマエが」
「私が……?」
困ること、って何があるというのだろうか。ごく普通のお土産屋さんで売っているような、ただのお饅頭なのに。
「こっちの村では……というか、オレと会ってる間は、どんなモノでも飲み食いしない方がいい」
「……ただの水でも?」
「ただの水でも。……言っておくけど、おまえの分も食べようとか、変な食い意地張ってるわけじゃないからな」
「そ、それはわかってるよ。でも、その……理由は? 言えないことなの?」
彼は頑なに首を振った。「言えない。知ったら後悔するぞ」と、そう言われて静かに閉口する。知って後悔するのは私自身……。ふと、じっとこちらを見つめているであろう彼の拳が、ぎゅっと何かを堪え、呑み下すように力を込めて握られているのに気づきはっとした。彼のそれは本意ではないのだと嫌でも理解させられて、しまったと思う。
これ以上、私のせいで困らせたくない。
これ以上、私のせいで彼に秘密という重荷を抱えさせるわけにはいかない。
それに何より、彼は言っていた。“言わない”のではなくて、“言えない”のだと。誰のために、なんて、そんなのは明白だった。
「ーーわかった。守るよ」
「ナマエ、」
「イミゴくんの言う通り、ちゃんと守る。理由は気になるけど……でも、もういいの。無理には聞かない。聞けなくても、信じることにする」
「信じる?」
「イミゴくんの言葉に、嘘はなさそうだから」
「……………………。さっき、俺のお面のくだりで『嘘ばっか』とか言ってなかったか?」
「えっ……! そ、それとこれは別の問題なの……!! 全然違うよ……!」
特別打算があったわけではないけれど、びしりと伝えると数秒固まった彼が次に疑わしいような声色で切り返すものだから、慌ててばたばたと身振り手振りで必死に抗議する。ああもう、こんなつもりではなかったのに。恥ずかしさで顔が熱くなってきた頃に、不意に彼がふはっと息を漏らし、「何そのダンス」と、心底おかしそうに笑い出した。先程よりもずっと楽しげに、言うなれば素に近いのかもしれないその様子に、今度はこちらが固まってしまった。
お面がなかったら、目を細めて涙を浮かべていたのかも。ふと、そんなことを思う。どくり、どくり、と体の内側で小さく脈を打った。胸の奥底がじんわりとあたたかくなって、それから一瞬で爆ぜるように全身へ広がる。弧を描く口元が綺麗で、笑い声がどこか心地良くて。何より、笑顔でいてくれることが嬉しくて、特別なもののように思えて。ずっと、見ていたくなる。
自分のことで笑われているくせに、それを咎めるのも忘れてついぼうっとしていると、あ、と唐突に思い当たった。たった今、無意識に彼と重ねた彼女の笑顔。そうだ、彼の雰囲気はどこか、幼なじみである真依ちゃんに似ている。思えば何の偶然か、髪の色もそっくりだった。ずっと抱えていた疑問が一つ解消される。幼なじみの持つ空気感と似ているのなら、そばにいて居心地が良いと感じるのも何らおかしな話ではない。
「じゃあ、これは全部あげるね。よかったら家族とか友達と食べて」
「ふぅ……、いいのか?」
「うん、家にもまだあるし。イミゴくんが全部食べてもいいよ?」
「こんなに食うか。そうだな……ちょうど四つあるし、あいつらにでもあげようかな」
ありがとな。手の中に小さく積まれたお饅頭を見ながらそう言ってくれた彼に満足して、こちらも笑みを返した。夕日がだんだんと沈みかけて夜が近づいてきたので、今日はここでお開きだ。彼に「また明日」と告げて手を振る。ああ、と何気ない返事が聞こえ、私はまた細い川を軽く飛び越えた。
「…………は。あ!? やべっ、何が『ああ』だよ! 断らなくてどうすんだ、俺のバカ!」