四日目(4)



厳めしい楼門を潜り抜けた先に現れたのは、これまた立派な拝殿だった。ここに来る前はもっと小さくてひっそりとした神社を想像していたけれど、実際はなかなかに広い。ほう、と感嘆の息を吐いてぼんやりと拝殿を見上げる。小銭を持っていれば参拝できただろうか。そんなことを頭の片隅で思っていると、不意に「あー!」という子供の甲高い声が聞こえてきた。


「イミゴおにいちゃんが、女のヒト連れてる!」
「そいつ誰だ? もしかして、イミゴにーちゃんのカノジョ!?」
「え?」
「おい、シロ! クロ! ナマエに飛びつくな! 変なこと言って困らせるな!」


ぱたぱたと駆け寄って来た女の子と男の子が周りを囲う前に、彼が手慣れたように素早く二人の首根っこを捕まえた。途端に二人が大人しくなる。ぶらんと襟元が伸びてまるで猫のようになっているからなんだか可哀想で、つい「私は大丈夫だよ」というと彼が複雑そうな表情で「後悔するなよ」と手を離した。瞬間、白色と黒色を纏う二人がおしくらまんじゅうの如く押し寄せてきて、ぎょっとする。思ったよりも行動的というか、勢いが強い。


「なーなー、ナマエねーちゃんは神社に何しに来たんだ? ヒマならオレ達とあそぼーよ!」
「イミゴおにいちゃんにお饅頭くれたヒトって、もしかしてナマエおねえちゃんじゃない? あれとっても美味しかったの!」
「え、えーと、神社にはその、え? 遊ぶのはちょっと……。お、お饅頭? あ、それはそうだと思う。気に入ってもらえたならよかったよ……」
「だから言っただろ」


両側からほぼ同時に話しかけられて三人でてんやわんやしていると、一人冷静にことを見守っていた彼が額に手を当てて呆れたように呟いた。そうして、勢いに呑まれて困惑する様を哀れに思ったのか、また二人を捕まえて引き離してくれる。図らずも、ほっと肩の力が抜けた。自分で招いた結果だったはずなのに、今のでどっと疲れてしまっている。小さな子供ってここまで元気なものなのか。


「こら、おまえらは別のところで遊んでろ。ナマエはヒマじゃないし、これから帰るんだから」
「ええ! ねーちゃん帰っちゃうのかよ」
「なんでぇ、ここに住めばいいのに。イミゴおにいちゃんだって、本当は居てほしいんじゃない? そうだ、イミゴおにいちゃんがおねえちゃんと結婚すればいいのよ!」
「ばっ、シロ! 何バカなこと言ってんだ! おまえ、さては前に結婚式を見たからって影響されてるな……?」
「え、なんでわかったの!?」


「おにいちゃんもぜきしぃ読むべき!」「何の話だ」「げ。シロのぜきしぃの話は長いから大変だぞ」わいのわいの。止められなければずっと続きそうなくらいにテンポが良くて、眺めているとどこかほっこりとする。まるで兄弟みたいだ。微笑ましい、と思う。ただ会話の内容にはついていけないけれど。結局、彼女らは「そういえば、末社にお供物があったな」という彼の言葉に、目を輝かせて一目散に去って行ってしまった。嵐のようだ。


「お供物って、まさかあの二人食べちゃうの?」
「ああ、大体食べ物を与えとけば大人しくなるからな。別に食べたところで怒られはしないから平気だよ。あ、でも、お前は食うなよ?」
「う、うん、大丈夫。一緒にいる間は飲み食いしたらだめ、だったよね」
「よし、ちゃんと覚えてるな」


腕を組んで満足げに口角を上げた彼に、ふと気になっていた疑問を投げかける。“二人と兄弟なのか”と聞くと、それほど間も開けずに平坦な口調で“全員違う”と返ってきた。あまりに仲が良いから本当の家族なのかとも思っていたけれど、そうではなかったらしい。シロちゃんとクロくんの間にも繋がりはないというのだから驚きだ。こちらは双子かと思っていた。


「じゃあ、イミゴくんがお兄ちゃん気質なのかな。二人の扱いにも慣れてたし、面倒見がいいし」
「そうか? まあ、あいつらはイタズラ好きだから、一緒に過ごしてれば嫌でも慣れる。面倒見がいいかは自覚ないんだが……ここにいる奴らは勝手気ままだし、そうなるしかなかったんじゃないか」
「え、タガタさんも?」
「タガタも。てか、タガタが一番厄介なんだよ。俺で遊ぶからな。この前なんて髪を弄られて、面白いからって理由だけで三つ編みやら編み込みやら、やたらと手の込んだ髪型にされた俺の気持ちがわかるか?」


その時のことを思い出したのか、げんなりと嫌な顔を隠そうともせずに恨みのこもった低音を吐き出す。彼には悪いけれど、つい見てみたいと思ってしまった。今の髪型も男の子にしては違和感がないし、編み込みなんてしたらとても可愛くなりそうだ。きっと彼なら様になるような気がする。長い髪の先を摘んで睨みつけていた彼はふとこちらを見ると、目敏く察知したように「ヤダよ。見せないからな」と釘を刺してきた。何故だろう。うずうずしていたのがバレたのだろうか。


「そ、そんなこと思ってないよ……」
「……」


疑わしい目を向けられている気がして、さっと目を逸らす。なんだろう。彼のお面には真実を見通す力でも備わっているのだろうか。四つの目から逃れるように視線を彷徨わせて、その先でたまたま視界に映ったものに、「あ」と声を漏らす。たくさんの絵馬が掛けられている前に、おみくじが置いてあった。興味を惹かれて近づくと、彼が自然と後ろをついてくる気配がする。筒状のおみくじの箱には上の部分に小さな穴が開いていた。どうやら棒が出てくるタイプのようだ。


「このおみくじ初めて見た。棒に大吉とかの運勢が書いてあるんだよね?」
「ああ。この神社では普通だけど、外と比べると古いタイプかもな。気になるなら、試しに引いてみれば?」
「え、いいの? 私お金持ってないけど……」
「いいよ。別に金取ってないし」
「ほんと? ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」


大吉が出るといいな、と何気なく応援してくれる彼の声を背に、わくわくしながらおみくじを振るった。果たして、出てきた“大凶”の文字にぴしりと固まったのは、それを引いてしまった当人だけではなく。運勢が刻まれた細長い棒を手に、隣の彼と顔を見合わせる。ぽく、ぽく、ぽく。ちーん。数秒間、凍りついた空気を先に壊したのは彼の方で、ひょいと手の中からおみくじを拐っていく。


「うわ、すごいな、本当に大凶だ。このおみくじに大凶なんて入ってたんだな」
「せめて凶の方が……ううん、大凶かあ……」
「逆に運がよかったんじゃないか? 俺は大凶を引いたやつ、今初めて見たぞ」
「え、初めて? それはある意味すごいかも」
「何事も捉え方次第だよ。今の状況を考えれば、これ以上悪いことなんてそうそう起こらないだろ」


言われてみれば、確かに神社から帰れなくなること以上の不可解な出来事は、例え探したって滅多に起こらなさそうだった。この結果は、まさに今現在の運勢を表しているだけに過ぎない。そう考えると、今後は良いことが起こりそうな気がして、大凶を引いてしまったショックはだいぶ和らいでいた。諸々のお礼を言うと、彼は「ん」と小さく笑みを浮かべながら、箱の中へとおみくじを戻す。

その後、すぐにタガタさんが拝殿から現れて、準備が整ったからおいでと中に誘われた。墨に筆に、人の形に切られた形代という紙を目の前に、“此岸帰り”と呼ばれる方法で神社から出られると説明を受ける。物珍しさにぺらぺらと形代を裏表にして観察していると、「それに間違えないように自分の名前を書いてね」とタガタさんに言われて借りた筆を手に取った。

それまで無言でじっとこちらを見守っていた彼が「絶対間違えるなよ」と真剣な声音で念を押してくる。「大丈夫だよ」と笑顔で頷いた。ここに来た時、何故だか名前がわからなくなった瞬間があったのは確かだ。それでも、今はしっかりと覚えている。意識的に忘れないようにしていた。彼が呼んでくれるその響きを、もう二度と失いたくはない。

ーー“苗字名前”。

さらり、さらりと。
形代に自分の名前を書き記し、三度息を吹きかけた。





名前を記した方の形代を拝殿に置いたまま、何も書かれていない真っ白の形代を片手に、神社の鳥居まで戻ってきた。これを口に咥え、一切喋らないようにしながら家に帰れば上手くいくらしい。疑っているわけではないけれど、一度山の中をループした記憶が新しくて、なんとも不安な気持ちになってくる。今回、彼には一緒に行けないと言われていたから余計だったのかもしれない。


「ナマエおねえちゃん、帰っちゃうの?」
「せっかく会えたのにな……」
「シロちゃんにクロくん、二人とも来てくれたんだね」


駆け寄ってきた二人が両側から服の裾を摘んで、へなりと眉を下げた。ほんの少ししか一緒にいなかったのに、ひどく寂しがっているみたいで思わずぎゅっと彼らを抱きしめてみる。“二人に触れるな”とは言われてなかったから思い切った行動に出たけれど、どうやら正解だったようだ。びくりと一瞬だけ肩を跳ねさせた二人が、ふわりと笑い腕を目一杯に伸ばして抱き返してくる。えへへ、えへへと可愛らしく微笑む様子を黙って受け止めていたら、不意にべりっと二人が引き剥がされた。


「わ、イミゴくん?」
「確かにシロとクロについて注意はしてなかったけど、だからってあんまりベタベタするなよ。危機感がない」
「イミゴにーちゃん、何するんだよ!」
「イミゴおにいちゃん、今いいところだったのに!」
「あはは。でも、イミゴの言う通りだよ。あんまりシロとクロを甘やかすと、いよいよナマエちゃんが帰れなくなっちゃうからね」


タガタさんが口元に指を立てて上品に微笑んだ。帰れなくなるのは困る。けれど、それと二人がどう繋がっているのだろう。帰らないで、という駄々捏ねが始まるのだろうか。それなら、あり得そうではある。不思議に思いながらも、この数日間であらゆる疑問を呑み込んできたから、深く訊かないという選択肢を取るのは容易だった。知らない方が良いこともある。彼やタガタさんがそう判断するのなら、私は彼らのその意思を汲み取りたい。そっと姿勢を正して、タガタさんに向き直った。


「タガタさん。あの、急に来てしまったのに色々とありがとうございました」
「うん、どういたしまして。気をつけて帰るんだよ。この神社のことではなくて、帰りたい場所のことをしっかりと意識してね」
「はい、わかりました」
「それと、イミゴが世話になったね。ここ最近は、なんだかずっと生き生きとしていたような気がするんだ」
「え?」
「おい、タガタ!」


こそこそと内緒話をするように身を屈めていたタガタさんに、背後から彼の鋭い声が突き刺さった。止められるのを想定していたのか、対して驚いた様子もなく、両手を挙げて降参のポーズをとりながら離れていく。去り際にぱちんと意味深なウインクを残されて、大量の疑問符が舞った。

首を傾げているうちに、タガタさんがシロちゃんとクロくんを捕らえている彼の背を押して、前へと促す。それでもなお、じとりと睨むようにタガタさんへ顔を向けている彼に「イミゴくん」と小さく呼びかけると、ぴくりと反応してようやくこちらを向いてくれた。お互いに歩み寄り、距離が縮まる。


「今までありがとう。最後の日にこんなことが起こるとは思わなかったけど……それでも、この数日間はやっぱり楽しかった」
「……ん」
「イミゴくんのことはずっと、ずっと忘れないから。……あなたに会えて本当によかった」


そっと、彼に向かって片手を差し出す。もちろん握手のつもりで。意表を突かれたように一瞬固まった彼に、「“少しなら平気”、なんだよね?」とあの時の言葉を真似て笑いかけた。ぐっと言葉に詰まり、僅かにたじろいで唇を引き結ぶと、すぐに取り繕って小さく呼吸をひとつ。そうして、呆れたみたいに柔らかく笑んだ彼が手を伸ばしてくれた。

私と彼の手が重なる。思えば、自分の意思で彼に触れたのは初めてのことだった。すらりと伸びた指先に、自分とは違って少し骨張った一回り大きな手。思ったよりも体温が低い。ただ握手をしているだけなのに、何故だかどうしようもなく感動してしまって、つい繋がれた手をまじまじと見つめてしまう。そうしていると、不意にきゅうと握られる力が強まり、「俺も忘れない」と彼のひどく穏やかな声が聞こえてきた。柔らかく甘やかな響きで、名前を囁かれる。込められた熱に一瞬だけ呼吸を忘れ、ゆっくりと彼を見上げた。


「……おまえには、この四津村の外で自由に生きていてほしい」
「……」
「前にも言ったけど、もう、こんなところには来るなよ。外の世界で幸せになってくれ」
「…………う、ん」


意図せずに声が震える。頼りなく空気が揺らいで、努めて深呼吸をした。最後の別れを涙で終わらせなくはない。気を抜くとすぐに溢れてしまいそうなそれを必死で堪え、目の前で繋がれた手にもう片方の手を添えた。そっと、大切に包み込むように両手で彼の手を握る。記憶に、思い出に、彼の存在を刻んでいく。この先ずっと、忘れることなどないように。

ナマエ、と今度は気遣わしげに名前を呼ばれてはっとした。黙りこくっていたせいで、泣いていると思われたのかもしれない。しっかりしなければ。優しい彼に、いつだって気遣ってくれた彼に、最後まで心配をかけるわけにはいかない。小さく呼吸を整えて、俯いていた顔を上げる。また四つ目のお面を見つめ、今でき得る限りの笑みを浮かべると、ほっとした様子の彼が応えるように口元を綻ばせた。

何度も見てきた綺麗な微笑み。それを目に焼き付けて、瞬間、何の脈絡もなしに握っていた両手に力を込めて、ぐいっと彼をこちらに引き寄せた。当然、油断していた彼の体は僅かに体勢を崩して傾ぐ。唯一窺える唇が驚いたように薄く開かれていた。


「……ありがとう、イミゴくん」
「は、なんーー!?」


本当は、思いっきり抱きしめてしまいたかった。だってこれで最後だ。この胸に溢れる、とびきり甘くて切ない熱をどうしたらいい。どうしたら収めることができるのだろう。言葉にして伝えることはできない。するつもりもない。それを選んだら、きっと彼を困らせてしまう。何故だか、それだけははっきりと感じていた。

それでも、これだけはどうか許してほしい。普段はこんなことをする勇気もないくせに、この先、彼に会えないと思うと自然と体が動いていたのだから。

ほんの少し距離が縮まった彼に、背伸びをして顔を近づけた。風に揺らいだ赤みがかった茶色の髪が至近距離で視界に映る。衝動に背を押されたままに間近に迫った彼の頬へと、そっと、静かに唇を寄せ、お面の布越しに音もなく触れさせた。彼が息を呑む気配がすぐそばでして、次いで周りからどよめきが聞こえる。一瞬だけ柔く触れて離れたけれど、ほんのりと恥ずかしさが衝動に勝り始めてぱっと彼の手を解放した。


「………………」


頬に手を当て呆然と固まっている彼を見上げ、言葉もなくへらりとはにかむ。とんでもないことをした自覚はある。それでも、後悔はしていない。ただそれとは別に、やっぱり羞恥には耐えられそうもなくて。彼や周りの反応をこれ以上見ていられなかった上に、何かを言われて返せる自信もなかったから、持っていた形代を咥えて自分の口を塞いだ。

踵を返し、ゆっくりと鳥居の前に向かう。そこを潜る寸前に立ち止まって、みんなにもう一度感謝を込めてお辞儀をした。最後に彼に視線を向けると、先程とは違いしっかりとこちらを見つめていた。お面で顔は見えないのに、目が合ったような気がする。直後、読めない表情をしていた彼が今までで一番、見たことがないほどに、ひどく優しげな笑みを口元に浮かべてくれた。ありがとな、と音もなく唇が形を作る。色々な想いが込められていたように感じて泣きそうになりながらも、私こそと同じように囁いて精一杯に笑みを返した。

名残惜しくなって動けなくなる前に、今度こそ鳥居を抜けていく。止まりそうになる度に、無理やり足を進ませた。振り返ることはしなかった。言われた通りに、帰りたい家のことや母のことを思い浮かべて、ただまっすぐに山の麓を目指す。やがて、鬱蒼としていた木々が拓けて、出口が見えてきた。無意識に息を吐いて、気づく。形代がいつの間にか消えてしまっている。驚いて辺りを見回すと、空では茜色が闇色に溶かされて、夕暮れ時が今にも終わろうとしていた。

その景色を見て、漠然と彼との時間が本当に終わってしまったのだ、と思う。悲しいし寂しいのに、不思議ともう涙は出なかった。泣いていたら彼に心配をかけてしまいそうだから。彼へのあたたかい気持ちが溢れてきて、胸のところでぎゅっと手を握った。約束を守りたいから、もう彼には会えない。会えないけれど、この数日間のことはずっと忘れはしない。形代はなくなってしまったとしても、彼との思い出は私が覚えている限り失われることはないから。

ーー俺も忘れない。

不意に柔らかな彼の声が脳内で蘇って、背中を押された気がした。自然と体が軽くなる。夕日が沈んで完全に暗くなる前に、と急いで家に向かって駆け出した。