終章「END13」



ーー…………ま。

誰かの声が聞こえる。

ーー……ゆ、ま。

ぼんやりとしていて、掴みづらい。知っている声だ。呼ばれているような……あれ、今は何をしていたんだっけ。


「ーー悠真!!」
「っうお」


至近距離から大きな声で名前を叫ばれて、がばりと勢いよく起き上がった。椅子や机がギシギシと悲鳴をあげる。起き抜けで茫然とする頭で辺りを見渡すと、通っている中学校の自分のクラスのようだった。瞬きを繰り返す。もう見慣れた空間で、担任を含むクラスの人々が皆一様にこちらを向いていた。怪訝な表情とおかしそうに笑う声を受けて、やばいと気づく。どうやら寝ていたらしい。


「……すみません」


一言だけ言って、大人しく席に座り直す。それから、先程自分の名前を呼んでいた隣の人物へ……呆れた顔をしている双子の片割れへと視線を送った。


「……真依、起こしてくれたのは感謝するけど、もう少し他になかったのか?」
「なによ、元々は寝てた悠真が悪いんでしょ。何回も呼んでるのに、全然起きなかったの。たまに唸ってたし、嫌な夢でも見てたんじゃない?」
「は? マジかよ……そういえば、懐かしい夢は見たな」


担任の目を盗んで、こそこそと会話を続けると真依が不思議そうに首を傾げた。「どんな?」と何気なく返されたから、「“ずっと昔”の」と遠い過去を思うように目を細めると真依はそれだけで理解したらしい。控えめに頷いて、僅かに口元を綻ばせた。真依にとっても、“あの頃”の思い出は大切なものだったのだろう。

唯一こいつと重なる記憶は、あの彼岸の神社での出来事のみ。真依の大切な一部を犠牲にして、今の俺や家族は成り立っている。そう思うとだいぶ複雑な念に駆られるが、バレると“そんなこと思ってない!”と怒られるので絶対に言わない。俺だってあの神社での縁を失くして、今ここにいる。ちゃんと生者として。それについて真依に感謝こそすれど、責めるような気は起きなかった。

ただ、全く後悔がないかと聞かれると微妙なところだ。タガタも、シロもクロも。たった三人で大丈夫だろうか。“生”を心の奥底で望んでいたのは本当のことだ。真依を恨む気持ちはなくともほんの少し羨ましいと思っていたことも、それを周囲に悟らせないようにしていたのも。でも、同時に神社での生活をそれなりに気に入っていたのも嘘ではなかった。まあ、例えどんなに気がかりだとしても、この世界ではそもそもあいつらに会ったことすらないわけだが。


「ーーじゃあ、転校生を紹介する」


ふと散漫していた意識が戻り、担任の声が耳に届く。今更転校生だなんて、随分と遅れてやってきたものだ。今の時期は夏休み明けの九月。一年次の新しい学期が始まっているというのに、入学式には間に合わなかったのだろうか。もうお彼岸の季節だぞ、と頭の片隅で考え、不意にきゅうと心臓が掴まれる心地がした。そういえば、ちょうど今くらいに出会ったのか。“あの子”の笑顔が脳裏を過ぎる。ずっと前の記憶だった。いっときも忘れたことのない、大切な。

徐に、ポケットからいつも持ち歩いているお守りを取り出した。母からもらったものではない、男が持つには随分と可愛らしい淡い桜色のお守り。何故か失くならずに幼い頃からそばにあったそれを、そっと指先でなぞる。あいつが居たはずの外の世界なのに影すら見当たらなくて、真依が言っていたアパートにもその姿はなかった。何が原因かはわからないが、大方時戻しの影響が彼女にも及んでしまったのだろう。

おおよその心当たりはあった。あいつの実家だ。ただ場所が場所なだけに簡単に近寄れなくて、というか逃げてきた四津村に今更戻れるはずもなく。父さんや母さんの守りが厳しすぎるから、俺や真依が声をあげても受け入れてもらえないのだ。いや、これも違うな。本当は、何故あそこに行きたいのか、と問われても俺達には明確な答えを返すことができないからだった。友達でも知り合いでもない赤の他人に会いたいから、なんて頭がおかしくなったのかと思われても不思議ではない。


「入ってこい」


というわけで、俺達双子は万事休すと頭を抱え、釈然としない思いで日々を過ごしていた。特に真依の方はあいつと幼なじみだったらしく、小さな頃から違和感が絶えないらしい。まさか、そこで繋がりがあったとは思わなかった。あいつも真依の話はしてなかったし、だからこそわかるはずもない“会ってみたい人”の話を溢したのだが。それがどうだ、何の偶然か“会えるよ”と言ったあいつの言葉の通りに、その一年後真依が神社に迷い込んできて、さらに今は双子として共に過ごしているだなんて、誰が想像できるだろう。

これであいつがいればな。転校生に毛程も興味が湧かなくて、ぐったりと机に身を預ける。ざわざわとクラス中から話し声が聞こえるから、たぶん転校生が教室に入って来たのだろう。顔を伏せて、目を瞑る。瞼の裏にあいつの姿を思い浮かべた。会ってどうするのか、どうしたいのかはいくら考えたって答えが出なかった。

それでも、もう一度、会いたい。あの時、鳥居の前で、あいつの背中を引き留めてしまいそうになった激情を、俺はまだ忘れられていない。口の中で音もなく、あいつの名前を紡ぐ。思ったよりも熱がこもっていて自嘲した。


「……ゆ、ゆうま」
「……」


真依が肩を軽く叩いてくる。感傷に浸っていた現状ではつい鬱陶しくて払ったのに、負けじと今度は体を揺すってきた。声が若干震えている。何をそんなに焦っているのだろう。気にはなるが、顔を上げる気力もなくて無視を決め込んでいると、諦め切れないのかばしばしと強く背中を叩き始めた。


「悠真、悠真ってば」
「ああ、もう……! 真依、さっきからなんーー」
「初めまして」
「だ、よ……」


真依を睨みつけようと思って、起き上がりかけた体が中途半端に固まった。鼓膜を揺らす、柔らかな声音。このクラスでは初めて聞く声だ。それでも、ずっと昔の記憶を刺激する聞き覚えのある声だった。無意識に一瞬呼吸が止まる。心が勝手に震えて、あの頃の思い出が溢れ、感情が暴れだす。ひどく緊張していた。冷や汗が流れたことにも気づけないほどに。

嘘だ、と思うのに。こんなに都合の良いことがあるはずない、と頭の冷静な部分が言っているのに、そうであってほしいと心底願っている。期待と緊張でどうにかなりそうだ。速まる鼓動を抑えることもできずに、恐る恐る顔を上げて件の転校生を見た。視界の端で、真依が同じようにじっと見つめているのが映る。


「田舎から東京に越してきました。苗字名前です。よろしくお願いします!」


ーー果たして、そこにはずっと焦がれていた姿があった。

がたんっ! と目の前の机に手をついて、勢いよく立ち上がる。完全に無意識の行動だった。同じ見た目に、同じ声、同じ表情。ただひたすらに転校生、ナマエの姿を目に焼き付けながら微動だにしない俺に、当人は困惑したように眉を下げてこてりと首を傾げていた。これも、また何度も見てきた仕草だ。懐かしい。

そこまで考えてはっとする。担任が俺と、その隣とで視線を交互にさせて眉を釣り上げていた。隣? 不思議に思って顔を横に向けると、真依が全く俺と同じ体勢をしていて、かつ同じ表情でこちらを見ていた。まるで、鏡のよう。こういうところで双子だと感じさせられる。たぶん、真依もたった今同じことを考えた。


「今日は随分と元気がいいな、佐原兄妹?」
「「す、すみません……」」
「まあいいが、転校生が来たからってあまり騒ぐのはやめてくれよ。度が過ぎると引かれるぞ。それともなんだ、苗字と知り合いだったか?」
「い、いえ、私は知りませんが……。えっと、どこかでお会いしましたっけ……?」


真依と視線を交わす。覚悟はしていた、会えたとしても記憶はないであろうと。俺達に前の記憶が残っていることがすでに奇跡なのだ。でも、実際に知らないと言われると心に突き刺さるものがある。一瞬傷ついた表情を浮かべた真依が俺と目を合わせ、首を横に振ったのでこちらも頷きを返した。


「昔の友達によく似てたの。でも、人違いだったみたい」
「驚かせて悪かったな」
「あ、ううん、いいんです」


ほっとしたように微笑んで、気にするなとひらひらと両手を振るナマエ。いや、今は名前と呼んだ方がいいか。俺はもう“イミゴくん”ではないし。俺達が口を閉じて腰を下ろすと、担任に座席を指定された彼女がこちらに歩いてきた。偶然にも俺の後ろの席らしい。そういえば、朝から空席が置いてあったのを忘れていた。一時間目は自習にするから自己紹介でもしてくれ、と担任がのんびりと教室を出ていく。あの人は時々ゆるくなるな。


「あの、二人は兄妹なの?」
「ぅえっ?」
「そ、そう! 双子なの。私がお姉ちゃんで、こっちが弟」
「は? 嘘つくなよ、逆だろ」


席に着いた名前から背中をつんつんと軽く突かれて、予想外のことに大袈裟に肩が跳ねた上に変な声が出た。最悪だ。格好もクソもない。というか、そもそもあの頃必要以上に接触しないようにと制限していた反動なのか、何なのか。こいつに触れられていると思うとなんだかぞわぞわする。体の内側のような外側のような、とにかくむず痒い感覚だった。その原因がわからないほど子供ではないつもりだが、知らぬ間に随分と大きく育ったものだ。およそ初めて会ったはずの人物に向けるべき感情ではない。自分でも少し引いた。


「仲がいいんだね。私は一人っ子だから、ちょっと羨ましいなあ」
「いやいや、そんな。悠真は一言多いし、結構意地悪だよ。あ、でも決して嫌な奴ってわけじゃないからね!」
「フォローするくらいなら、余計なこと言うなよ。バカ真依」
「ほら、そういうところだよ!」


自分達にとって日常茶飯事の言い合いをしていると、くすくすと堪えたような笑い声が聞こえ真依と同時に動きを止めた。ついいつものノリで喋ってしまったが、子供っぽかっただろうか。バツが悪くなって、横目で名前を見やる。口元に手を添えていた彼女は、これまた同じ動作で自分を見てきた俺達がおかしかったらしく、ふっと吹き出して柔らかに笑った。


「本当に双子なんだね。顔立ちも似てるけど、動きまでそっくり。えっと確か……佐原さんに佐原くん?」
「真依……! 真依でいいよ! どっちも佐原だから、わかりにくいし」
「……俺も、悠真でいい」
「わかった、真依ちゃんに悠真くんね。私のことも好きに呼んで」


よろしくね、と朗らかに俺達へ差し出された両手に、ふとあの時の、神社での別れを思い出した。重なり合う手に、与えられた頬への柔らかな熱。忘れられるわけがない。懐かしむようにそっと目を細める。彼女に本当の名前で呼ばれるのは、これが初めてだ。俺を呼ぶ聴き慣れた音ではないのがひどく不思議な気分にさせられたが、同時にむず痒く高揚もした。

彼岸に引き込んでしまうから、ともう気遣う必要もないのか。普通に触れられる立場にあることが未だに信じ難い。最初の頃は真依に対してだって、多少緊張していたというのに。僅かな葛藤を呑み込んで、あの頃を再現するかのように、目の前の彼女の手を優しく取った。

もう一度、ここから。
今度は、終わりではなく、新しい始まりを築けるように。

ーーその時は一緒に、どこへでも行こう。

おまえがくれた縁結びのお守り、言っていた通り随分と効力があるな。おかげで、今なら本当にどこへだって行けそうだ。