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「およ……? オールマイト?」


 それは、朝の散歩中のことであった。
 ふらふらと適当に気分の赴くままに歩みを進め、とある路地裏に入る寸前のこと。建物の間をまるで駆け抜けるかの如く、軽々と飛び越えた黄色い塊が視界を横切った。ウサギの耳のように天を向く前髪が風圧で乱れている。
 一瞬で過ぎ去ったものの動体視力の良いネロは、その人物こそ、かのナンバーワンヒーローであると一目で認識した。それを裏付けるように周りからは「オールマイトがいた」「事件を解決」「助かった」などの声が次々と聞こえてくる。

『平和の象徴』様は多忙だなぁ。

 コスチュームではなく、見慣れないスーツで奔走する姿に同情してか、ネロは痛ましいものを見るように眉を落とした。
 先日の新聞記事が脳裏を過ぎる。どうやら彼は出勤途中でありながら、ヴィラン制圧に尽力しているらしい。要請によるものか、自主的なものかは定かではないが、どちらにせよ気の毒だと思った。


「授業もヒーロー活動もしないといけないなんて難儀なものですね〜」


 ぼんやりと小さくなる背中を見つめること数秒。ネロは、ふと思い立った。
 敵情視察にはもってこいなのでは? と。

 我ながらナイスアイデア! と自画自賛した彼女は、それはもう楽しそうに両手を合わせた。ぽむっ、といつもの間抜けな音をそこに残して、目の前の路地裏を駆ける。少し先の角を曲がると同時に、ネロはその場から一瞬で姿を消した。
 そうして、次に彼女が現れたのは、見晴らしの良いビルの屋上だった。


「さ〜て、さて。ナンバーワンと鬼ごっこです」


 にんまり、とネロの口元が弧を描いた。


♦︎


「う〜ん。移動は思ったより遅い? ですかね……。でも、さすが! 解決スピードは速いです」


 気配を消し、気づかれぬ絶妙な距離を保ちながら観察を続け、はや三十分ほど。
 視線の先ではオールマイトが二つ目の事件である轢き逃げ犯を捕まえていた。ちなみに、一つ目は家族を丸ごと人質にした連続強盗殺人犯だ。物騒だなぁ、とネロは他人事のように思った。見事に自分のことを棚に上げた感想であった。

 雑居ビルの屋上の柵にもたれ、徐に目の上へと手をかざす。陽光を遮り、しっかりと確認したオールマイトの様子は変わらない。
 やや疲労、あるいは焦りが滲んでいるように見えなくもないが、それが職場への遅刻を気にしているだけなのか、本当に体力を削られている故なのかは判然としなかった。前者ならば大抵の人が持っているただの危機感だし、後者ならば有力な情報にもなり得るかもしれない。

 何せ、“衰えているらしい”と死柄木たちに聞いたから──。


「それにしても、お人好しはヒーローの基本装備なのでしょうか。一向に雄英へ向かう様子がありません……職務怠慢では〜?」


 常に笑顔を絶やさず、人々の救いに応え、そして感謝されている様をあくびを噛み殺しながら見物する。
 果たして、自分の身を削ってまで人を助けることに意味があるのだろうか。ヒーローはよく「無事ならそれだけでいい」だとか「みんなの笑顔が力になる」だとか、綺麗な言葉を並べるけれど、それは薄氷を踏むような信頼関係に他ならない。本当は、どれだけ助けたって見返りなんてないのだ。

 だって、世界はもっと理不尽で。人はもっと醜く、残酷で、自分勝手だ。

 ヒーローに失敗は許されない。救えなければ糾弾され、今まで笑顔で慕っていた人々は簡単に掌を返す。後ろ指を指され、追いやられて行き着く先は、栄光とは程遠い針の筵である。


「(かわいそうに……)」


 知っているからこそ、共感はできない。しようとも思わない。


── 人間は一人では生きられないのよ。だからこそ、助け合うの。素敵でしょう?


 やさしい声がした。耳の奥でかつての母の声がする。朧げな記憶が一瞬だけ鮮明になって、憧れた女性の微笑みと目の前のオールマイトの笑顔が重なった。重なって、すぐに霧散する。
 過去の幻影を振り払うように目を伏せたネロは、別の現場へと向かおうとしているオールマイトを追うことなく見送った。どうやら次は隣町の立てこもり事件らしい。

 静かに佇む彼女の冷え切った瞳は何の感情も映さず、ただ遠くなっていく姿だけを無機質に捉えていた。

遊びましょう、永遠に