恋は人を馬鹿にする

「貴方の初めてってどんなだったの?」

私に覆い被さっていた彼は私の言葉にあからさまに眉間にシワを寄せた。
そしてため息をついて私の上から身体を起こした。

「テメェはデリカシーって言葉知らねぇのか」

「さぁ、どうだったかしらね」

貴方にそっくりそのまま返してやりたい、と言わなかった私は優しい人間だと思う。
少なくとも彼がそんなものを持ち合わせていたなら初めてのデートで今ホテルになんて連れ込まれていない筈だから。

「シャワーも浴びさせずにがっついたから、って怒ってんのか?」

「...それも、あるけど...」

正直私はそこはあまり気にしていなかった。
彼が今までそれほど女に不自由していなかった事を知っていたから。
だからこそ私のような女相手に余裕のない所を見せてくれた事にほんの少し嬉しく思ってしまったところもある。

「も、ってなんだよ。はっきり言わなきゃ分からねぇよ」

私もどうしてこんなややこしいことをしているのか分からなくなってきた。
そのくらい私は今動揺しているのだ。
それは分かっている。
けれどそれをどう彼に伝えていいのかが分からない。
ろくに恋愛に興味を持たずにこの年齢まで来てしまった報いだろうか、なんて心はどんどん後ろ向きになっていく。

「...俺は少しも知りてぇなんて思ってねぇけど、じゃあお前はどうなんだよ」

「...なにが」

先ほど以上にあからさまに不快感を露わにして彼は私の初体験について訊ねた。
そこまで嫌なら聞かなければいいのにとは思ったが彼も半分意地になっているのだろう。
なんとも複雑な話だ。

でもこれもちょうど良い機会なのかもしれないと考えた。
言わなくたって別にダメなわけじゃない。
そんな人いくらでもいる。
それでも私は多少なりともそれを少しコンプレックスだと感じていたのだ。

「...ないの」

「あ?」

彼が初めての恋人というわけではない。
彼の前に二人お付き合いをさせていただいた事がある。
それは学生時代、相手がそういった事に興味がなかったわけではない。
だがその頃は私の方が尻込みしてしまっていた。
勇気が無かったのだ
堅すぎたかもしれない、がもしもの時お互いだけでは責任が取れない年齢であった事も引っかかった。

「そういった事をまだ経験していないの。
だから、今日が初めてで...」

私の言葉に彼はぽかんと口を開けて固まった。
彼の顔の前で手を左右に降れば彼はすぐに我に返って私の手首を掴んだ。

「は、お、お前それってつまり処女ってことか?」

「正確にだった、だけどね。
...貴方の方がよっぽどデリカシーっと言葉を知らないんじゃないの?」

私の苦言に彼は驚く程素直に悪い、と謝罪の言葉を口にした。
そして私の手首を掴んでいない方の手で自身の口元覆って顔を逸らした。
口元が見えずとも笑っていることが彼の目尻を見れば分かった。

「...なんなの?そんなにおかしい」

「ははっ、いや、悪い、馬鹿にしたわけじゃねぇよ...」

彼はそう言って私をベッドに押し倒してしまった。
笑っている、というよりだらしなくニヤついているという表現の方が正しいかもしれない。

「大抵の男は自分の女の初めてになれるってのは嬉しい事なんだよ」

「···トーマスも?」

「当たり前だろ?」

今度は隠す事なく肩を揺らして笑っている。
人前で見せるのとは違う悪い顔。
でも私は彼のこの顔がわりと好きなのだ、困った事に。

「前に男がいたって聞いてからずっとお前の俺の知らない部分を他の男が知ってるのかって想像したら腑が煮えくりかえるくらいムカついてたんだよな」

そう言って彼は胸元に顔を埋めた。
ちくりと鈍い痛み、おそらくしるしをつけたのだろう。
服さえ着れば隠れる場所だ、これは彼の譲歩というものだろうか。

唇は鎖骨の下やお腹に移動する、首筋や鎖骨の上に刺激を与えられる事は無かった。

「見える位置に付けて他の野郎にお前がエロいことしてます、なんてアピールして変な妄想でもされたら殺したくなるからな」

私への配慮ではなく自身の都合だったらしい。
理由はどうあれ私としては助かるから良いのだが。

「まぁお前は絶対隠そうとするから首が詰まった服着るんだろうけど女のタートルって下手に肌が露出した服よりエロいからな」

「...馬鹿じゃないの?」

彼もただの男だったらしい。
ごく普通の洋服でさえこじつけてそんな事が言えるのだから。
冬になればタートルネックやハイネックのニットを着た事は何度もある。
勿論付き合う前その姿で彼に会った事も。
こんな事を言われてしまっては今後彼の前で着られなくなってしまう。
今年の冬はどうすればいいのかと考えるとため息をついてしまった。

「男は誰だって好きな女の前では馬鹿になるって言うだろ?」

全く悪びれた様子はない。
困った人だ、と思いながらもやっぱり私はテレビの中での気取った彼より意地悪で少しお馬鹿な彼が好きだ。
だからきっと今この瞬間も私は幸せだと思っているのだと思う。

「そうね、だったらトーマスの馬鹿なところもっと沢山見せて」

もっともっと馬鹿になって私を好きになってほしい。
そんな意味を含ませて。

「あー、なら...」

結局彼が他の人と経験があったのかという話は有耶無耶にされてしまった。
でもきっと彼は私とは違ったのだろう。
そう考えると彼の気持ちも少しわかる。
彼のあんな顔を私以外の女の子も知っていた、なんてやっぱり妬けてしまう。
それでも私に経験がないと知ってあんなに嬉しそうな顔を見られたのだからもう考えないことにしようと思う。
私は今幸せだ。

「なら名前とのセックスのハメ撮りがしてぇ」

「......」

やはりあまりに馬鹿過ぎてはいけない、少し軌道修正させる事を決意した。

きっとそれでそれなりに幸せです。