所謂痴話喧嘩

「おい」

背後から掛けられた声、その声の主は振り向かずとも分かる。

「...なに?」

その声の主が今けしてご機嫌というわけではない事は何となく察しがついた。
だからこそわざわざその不機嫌な顔を見るのが億劫で私は振り返ることをせずに返事をした。
手には読みかけの本を開いたまま。

「......」

彼、IVは言葉を続けようとしない。
何か話があるから話しかけた筈なのに、どことなく漂っている空気が重い。
私は先ほどまで読んでいた本の文字を追った。
けれどその本の内容は入ってこない。
ずっと続きが読めるを楽しみにしていて今日やっと新刊が出て手に入れたというのに。
私はそれを楽しめずにいた。

「なんで何も言わないの」

私は本を読む事を諦めた。
今このまま読み続けた所でこの物語を楽しむことは出来ないと分かっていたからだ。
そんな事はこの本の作者様に失礼だし何より私が楽しくない。
だからこそ億劫でもこの状況を先に何とかする事を優先させた。

「...お前が怒ってるからだろ」

振り返ってみた彼の顔はやはり不機嫌そうだった。
出来れば喧嘩なんてしたくない。
楽しく笑って美味しいものを食べてたまには全力でデュエルして、ずっとそうしていられたら何よりだ。
それでも人間、意思を持つ動物である以上衝突が免れない時もある。
今はきっとそんな時。

「怒ってるって言うってことは私が何で怒ってるか分かってんの?」

IVは視線は外しはしないものの気まずそうな表情をしている。
理解はしていても自分に非は無いと思っている顔だろう。

「そう言うなら俺がムカついてる理由考えたことあんのかよ」

ああまただ。
正直めんどくさいと思ってしまうのは私にも問題がある事は分かっている。
その上でそういう考え方をやめられない自分にも嫌気が差すこともある。
それでも誰にだって超えてほしくないラインはあると思うし意思を持った人間であるからこそそれも仕方ないと思うのだ。

「耳障りが良い言葉がお望みっていうならそう言ったら?」

それを言ってあげるとは言っていないけれど。
敢えてIVの精神をイラつかせるような挑発的な言い回しをした。
けれど彼の顔は気まずさを滲ませたままだ。
怒っている様子はない。

「悪かった」

「...え?」

それは予想外の言葉だった。
彼はどかっと私の隣に腰を下ろして自身の膝に肘を乗せ顔を伏せたまま溜息を一つ。
そしてそのまま顔だけを此方に向けた。
先ほどより至近距離で見たその顔にはどことなく疲労感が見受けられた。

「...とりあえず謝っておけってやつ?」

我ながら嫌味な言葉、まるで彼を試しているように見える。

「別にそう思ってくれても構わねぇよ」

絶対に今度こそ怒ると思っていた。
それでも彼は驚く程素直にそれを認めるような言葉を口にした。
彼の気持ちが分からない、一体どうしたというのだろうか。

「一体どうしたっていうの」

「別に、ただせっかく顔を合わせてる時にイライラしてる時間が無駄だって思ったんだよ」

だから謝ったというのだろうか。
正直私はそういうのが好きじゃない。
根本的な問題は何も解決していないのに、ただ上部だけの謝罪に何の意味があるというのだろうか。
文句を言おうと口を開いたその時。

「...な、に...」

IVは私を抱きしめた。
言葉を遮る為なのかなんなのか。

「俺は名前が好きで一緒にいる。
でもお前の全てを理解しているわけでも無いし合わない所もある。
それでもそれ全部納得してどちらかの考え方に合わせるか無理矢理にでも納得しなきゃ一緒にいちゃいけねぇってのか?」

IVの言葉に私はなんとも言えない気持ちになった。
どんなに近い家族にしろ友達にしろ考え方が合わない事は多々ありそれにもやもやしながらなぁなぁで済ます事はある。
それが限度を越えれば疎遠になってしまうことも。
互いを尊重するということは相手を思いやること。

「名前は逆の立場でそういうの気にしねぇかもしれねぇけど俺はお前が好きだからこそそういうの気にする」

多少合わない所を感じながらもそのもやもやを抱えて関係を築いていくのは他に良い所が沢山あるからこそだ。

「俺はそこは譲れねぇ、でもお前とずっと気まずいままでもいたくねぇ」

合わなければ衝突することすら面倒でさよならすることもある。
苛立ちを感じながらも胸の中に秘めてしまうことも。
私は彼に対してどうしてここまで頑ななのだろうか。

「俺の事本気で無理だって言うなら突き離せよ。
そうじゃねぇなら暫くこのまま大人しくしてろ」

IVは私に言葉を求めなかった。
お世辞にも素直ではない私が可愛い言葉を口に出来る筈がない事を理解しているからだらう。
私は多分彼の事がとても好きなのだ。
恋愛に夢を見ているところもある。
自分の全てを丸ごと受け止めてその上で愛してほしいところもあるのだろう。
世間のカップルでもそんなことが成立しているカップルは殆どいないのだろうということも理解しているつもりだ。

「心臓の音速すぎでしょ」

結局私は彼に甘えているのだ。
今私の心臓の鼓動だって彼に負けない程速くなっているのに。
私は素直に自分の本心を伝えられないまま。

「そりゃ好きな女とこうしてりゃあ速くもなるだろ」

彼の言葉通り、あんなに気まずい時間を過ごすくらいならこうして何も話さずに触れ合っていた方がずっと意味があるのかもしれない。
今日の所はそう思うことにした。