貴方だけは特別

「トーマスはほんとそういう所デリカシーないの!」

名前は先程から眉間に皺を寄せ怒っている。
兄様が名前を怒らせるのはこれで何度目だろうか。
それでもいくら喧嘩しようが時間が経てば二人はまた笑って話をしている。
それは何度も繰り返されてきた事だ。

兄様は名前か許してくれるのを分かってやっているんだ。
きっと名前もそれに気付いている。
兄様は名前の事が大好きで名前もきっと兄様が大好きなのだろう。
そんな二人を羨ましく思う。
だからこそそこに入り込めない事が悔しい。

「····あのね、その、ミハエルは優しいから言いにくいとは分かってるんだけど···ミハエルの目から見ても私そんなに太った、かな?」

名前は不安げに僕にそう訊ねた。
兄様が何の気なしに言った軽口を気にしているのがとても女の子らしくて可愛いと思う反面それをそこまで気にしているのが兄様に言われたからこそだという事実に少しイラついた。

名前の顔を見る。
普段と何も変わらないように思う、僕が好きな可愛い女の子だ。
自信無さげに下がった眉尻を見れば今すぐ抱き締めて安心させてあげたくなる。

ならば身体だろうか。
そう思って視線を向けようとするも名前に邪な感情を抱いている僕は罪悪感からすぐに視線を逸らしてしまう。

「···ごめん、言いにくい事聞いちゃったね」

名前はそんな僕の態度を見て自分が太った事を認めたがそれを正直に伝えるのが気まずくて目を逸らしたと受け取ってしまったようだ。
僕の不純な心が名前を傷付けてしまった。

「違います!···名前は、いつもと変わらず、その、素敵なままです!
····だから自信を持っていてください」

僕にとっては世界一可愛く素敵な人だと正直に口にしてしまえたらどんなにいいだろうか。
でもきっと名前がそう言われて嬉しいのは僕じゃない、その考えが頭に過って僕から言葉を奪った。

「···ありがとう····ミハエルは本当に優しいね。
私なんかよりずっと綺麗で可愛くて、羨ましい」

名前は僕を綺麗で可愛いという。
僕が名前に抱いている感情を伝えても同じ事が言えるのだろうか?
心の中がざわざわする。

兄様じゃなくてもいずれ名前は誰かのものになって僕じゃない人と手を繋ぎ抱き締め合いキスをしてそれ以上の事だってするんだろう。

そんな未来にイライラする。
僕は勝手に想像した未来に苛立ちを覚え下唇を噛んだ。
口内に不快でしかない鉄の味が広がった。
ああ、こんなに僕は気の短い人間だっただろうか。
我慢は慣れている筈だった。
でも名前の前ではどうしようもなく我が儘になってしまう。
此方を見て、僕を愛して兄様より誰よりも僕を、僕だけを見て、そう願ってしまう。

「ミハエル!く、唇切っちゃったの?」

名前は僕のそれに気付いて声をあらげた。
場所が場所なので絆創膏も貼れないしどうしようかと大袈裟に慌てている。

「····大丈夫ですよ、こんなの舐めてればすぐに治りますから」

こんな事で名前が僕の事だけを考えていてくれるならもっと酷い怪我をすればいいのか等と不謹慎な事を考えてしまう。

「でも、····ミハエルの可愛い顔が···」

けれど次に名前が口にした聞き慣れた筈のその言葉に無性に腹が立った。
僕は名前にだけは可愛いだなんて思われたくない。
名前にだけは、男としての僕を見てほしい。

「···そんなに心配なら名前が舐めてくれませんか?」

僕が我慢しきれず口にした言葉に名前は目を丸くした。
言ってしまったと一瞬後悔するも僕はその衝動を抑えきれない。

「兄様はデリカシーがないって言ってますけど名前だってないですよね。
どうして貴方はなんの警戒心もなく男である僕と二人きりになるんですか?
どうして男である僕と簡単に腕を組んだり抱き付いたり出来るんですか?
僕の事男だと理解していますか?」

こんな事が言いたいんじゃない、そう思っているのに溢れた感情が僕を加速させていく。
僕を見てほしい、本当の僕を。
貴方が望む僕ではないかもしれないけれど、それでも本当の自分を受け入れてほしいと願ってしまう。

名前は急変した僕に戸惑いを隠せない表情だ。
名前の前で必死で取り繕ってきた仮面が剥がれてしまったのだから無理はない。
これでもう今まで築き上げてきた信頼は失ってしまったかもしれない。
でもいつかフラれてしまうのならそれは今でも同じかもしれない。
寧ろ早くそうなった方がいい、今は無理でもきっと誰かの隣で笑う名前を祝福出来る気がする、そう考えた。

それでも出来れば名前を笑顔にする役目は僕が成りたかった、そう望んでしまう。

「····ミハエルの事、男の子だって言っちゃったら、もう一緒にいられないでしょ?」

名前の言った言葉の意味が分からない。
僕の事は異性として見れない、それを伝えられたのだろうか。
僕は名前に告白する迄もなくフラれてしまったのだろうか、だとしたら弱虫な僕にはお似合いだと思った。

だが続けて名前の口から出た言葉に僕は目を丸くした。

「····私みたいなのじゃミハエルにつりあわないんだもの」

「····どういう意味、ですか」

名前は申し訳なさそうな顔で言葉を躊躇う。
それに苛立ちを覚えながらも名前の言葉の続きをじっと待った。
諦めそうにない僕に名前は気まずそうに視線を逸らして小さく、だけれど僕には聞こえる声で呟いた。

「ミハエルのこと女の子みたいだなんて一度も思ったことないよ」

それを口にした後名前の顔は目に見えて分かる程朱く染まっていった。

「····え、·····名前····」

それはどういう意味なのかと訊ねようとするも名前は自身の手で顔を覆ってしまった。
それでも耳まで真っ赤になってしまった事にぼくは都合の良い想像をしてしまう。

「····名前、貴方が言ってくれないなら僕に都合のいいように受け取りますが、····それでもいいんですか?」

名前は僕の言葉に顔を隠したまま少し停止し、首を一度縦に振った。

「名前、僕ずっと好きで好きで仕方ない人がいるんです。
その人にそれを伝えようって思ってます。
でも僕それはちゃんとその人の目を見て伝えたいんです。
····だから此方を見ていただけませんか?」

そう言って僕は名前の手首を握った。
優しく彼女の顔から引き剥がせば名前の顔は先程と変わらず朱いままだった。

「貴方の事ずっと好きでした。
僕の特別な人になっていただけませんか?」

名前に抱いていた感情はもっと複雑なものだった。
でも何よりも大きなものは名前を好きだという事だった、だからその気持ちをシンプルに言葉にした。
僕の言葉に名前は目を潤ませながら再び顔を縦に振った。

「····もっと早くにこの言葉を口にしていれば良かったんですね」

可愛い愛しい女の子をたまらず抱き締めた。
僕から名前を抱き締めるのは初めてだった。
名前は自分からは何度も抱き付いていたのに今は僕の腕の中で慌てふためいている。

「今日の名前は今までで一番可愛いです」

服越しに触れる身体から名前の心臓が早く波打つのが分かる。
僕に抱き締められてこんなにもドキドキしてくれているのかと嬉しくて堪らない。

「今貴方とキスしたいくて堪らないんですが、駄目ですか?」

手が早いと怒るだろうか、幻滅するだろうかとは不安になりつつも僕はその欲望を抑えきれなかった。
それでも名前が嫌であれば我慢しよう、そう考え答えを待った。

名前は僕の肩に埋もれていた顔をゆっくりと僕から離し、気恥ずかしそうに目線を逸らしながらそれでも僕の方を向いて目を閉じた。
自分を受け入れるという名前の意思を受け取り僕は躊躇なく名前の唇に自身の唇を合わせた。

初めて触れたその唇は想像していたよりずっと柔らかかった。
優しく触れただけのそれはほんの数秒だった。
唇が離れた時先程僕が噛みきってしまった事で出た血が名前についてしまった事に気がついた。
それを慌てて指先で拭おうとすればその前に名前は自身の唇をぺろりと舐めた。

「····私のファーストキスの味、きっと一生忘れないね」

名前は顔を朱く染めたままそう言って照れくさそうに笑った。


そんな名前の笑顔に欲情してしまった僕はどうしようもないくらい男だった