「(そろそろ出た方がいいかな)」
時計を確認すると時刻は10時50分を指していた。
待ち合わせ時刻は11時30分、家から待ち合わせ場所まで約20分。
電車を使えば5分で着く場所だが在宅ワークに転職してからというもの私の運動量は確実に減っている。
だからこそそのくらいの距離であればせめて歩くようにしている。
出掛ける支度は既に終えていた。
自宅の鍵を手に取りお気に入りのパンプスを履いて玄関の扉を開いた。
なんとなく湿度を感じて空を見上げれば太陽には若干雲がかかっていた。
「(天気予報では降らないとは言っていたけれど、仮に降り出した時、都合良く傘が手にはいるか分からないから一応傘を持っていこうか)」
そう考え私は一度戻って折り畳み傘をバックに入れた。
再び靴を履き扉の鍵をかけたことを確認すると今度こそ待ち合わせ場所へ向けて出発した。
「(どうせなら雨、持ってくれたらいいけれど)」
こればかりは神頼みをするしかない。
傘をさすことが億劫なのでいつもより気持ち早歩きで歩いていたが5分もすればぽつりぽつりと水滴が地面の色を変えていく。
やはり降ってきてしまったようだ。
普段なら小雨程度であれば気にせず進むが今日はデートということもあってきっちり髪も化粧も決め込んできている。
それが崩れるのが嫌で早々に鞄から折り畳み傘を取り出してそれを広げた。
「(持ってきておいてよかった)」
淡い青と紫で色付けられた紫陽花のような傘越し空を見れば先ほどよりも厚い雲に覆われている。
この分だと本降りになるのは時間の問題だろう。
私が予想した通り5分もしないうちに雨は強さを増していく。
トーマスは大丈夫なのだろうか?そう杞憂しつつ目の前の信号が赤に代わろうとしている。
私は素直にそこで立ち止まる。
焦った所でこの雨では走ることも厳しいだろう。
要らぬ事故等起こすわけにもいかないのだ。
しかしこの交差点の信号の長さを知っている私は小さくため息をついた。
街の風景を見ると予報とは違う天気の変化に傘をささずに走る人、軒下で雨宿りする人、開き直って濡れて歩いている人と様々な人が見えた。
そしてふと後ろを振り返るとそこには予想外の人がいた。
「凌牙君?」
そこにいたのはトーマスと様々な因縁の果てに最近ようやく友人のような形に収まった神代凌牙君だった。
名前を呼ぶと私を見て、ああ、あんたか、と返事をした。
「こんにちは。今からお出かけ?」
「いや、璃緒の奴が傘がないから迎えに来いって言いやがったんだ」
そう言った凌牙君の手には女物の傘が握られていた。
めんどくさそうにため息をこぼしつつも迎えにいってあげる凌牙君は良いお兄さんなんだろうと思う。
「天気予報は晴れだったもんね。
お迎えは駅まで?」
「ああ」
「よかったらご一緒してもいい?」
そうお願いすると凌牙君は素っ気はないが勝手にしろと同行を許可してくれた。
というか目的地が同じなので勿論ルートも同じだろう。
このまま後ろを無言で着いていくのも気まずいだろう。
「あんたは今からあの野郎と会うのか?」
意外なことに凌牙君の方から話しかけてくれた事に少し驚いた。
「うん、トーマスと。
よくわかったね?」
凌牙君は呆れ顔で私を見た。
そしてその視線が上から下へと動いた。
「あんたのその気合いの入った格好見りゃ誰でも分かる」
そう言われてなんだか気恥ずかしくなった。
普段は軽く化粧をしている程度の状態でトーマスを迎えていたからお出かけの日はその分気合いを入れていたのだがそれを第三者から改めて指摘されるというのはなんとも気恥ずかしい。
「····なんていうか、うん、はしゃいでてすみません」
「なんで謝るんだよ」
自分で口にしておきながら謝るのもおかしな話だと思いもしたが他に言葉が浮かばなかったのだ。
そうこうしている間に駅前の交差点に着いた。
「あ」
待ち合わせ時刻まではまだ余裕があるが駅にトーマスの姿がチラリとみえた。
トーマスの方はまだ私に気付いてはいないようだが。
そしてその隣には凌牙君のお迎えを待つ璃緒ちゃんの姿が。
「チッ、なんであいつといるんだよ」
凌牙君はトーマスの姿を見て眉間に皺を寄せあからさまに嫌な顔をした。
おそらく二人も私達と同じく偶然出会って声をかけたのだろう。
璃緒ちゃんとは仲良くさせてもらっている。
とても女の子らしくて可愛いけれど自分の意見をはっきりと言える強く、とてもかっこいい女の子だと思う。
璃緒ちゃんとトーマスか二人でいる姿は初めて見たかもしれない。
二人が並ぶ姿は絵になるなと思ってしまった。
彼女との事は昔の事もあってトーマスも気にかけていたこともあるので尚更そう感じてしまったのだと思う。
「····あんた今くだらねぇこと考えてんだろ」
そんな私に凌牙君はそう声をかけた。
鋭いその発言に心臓が一度大きく鳴った。
「そ、そんなに、分かりやすかった?」
「あんたは遊馬並に顔に出るからな」
遊馬君には悪いけれどそんなにわかりやすいのか、とちょっとショックを受けてしまった。
「·······ただ、璃緒ちゃんはやっぱり素敵な女の子だなって改めて思っただけだよ」
口にしてからこんなことを兄である凌牙君に言うのもどうかと後悔した。
みっともなく自分の妹に嫉妬している私をどう思うだろう。
「あんたが何くだらねぇ事考えようがあいつはあんたしか見えてねぇの分かってんだろ」
「いや、あ、うん、ごめん」
予想外に凌牙君は優しかった。
それが余計居たたまれない気持ちを増幅させた。
凌牙君の言うとおり私は凄く愛されている、それをはっきりと自覚できる程に。
それに負けない程私もトーマスを愛している、だから自分に出来る限りの愛情を返しているつもりだ。
でもそれとこれとは別問題だ。
「·····それに勝るくらい璃緒ちゃんが魅力的だってことこな?
······なんかほんとごめん」
「めんどくせぇ人だな、あんた。
チッ、あの野郎こっちに気がつきやがった。
あからさまにガンつけやがって、イラッとくるぜ」
そう言われて再びトーマスを見ればこちらを見て思い切り不機嫌な顔をしている。
なんというかトーマスは目力が強いから睨まれた凄く迫力がある。
だからその顔を見て一歩後ろに後退ってしまった。
信号は青に変わった。
すると傘もささずに全速力でトーマスがこちら側に走ってやってきた。
そして私と凌牙君の間に割って入る。
「なんでテメェが名前と一緒にいるんだよ!」
怒鳴るトーマスに凌牙君は心底めんどくさそうな顔をした。
「チッ、うるせぇーな。
テメェさっき璃緒といたんだから理由なんて想像できるだろうが。
いちいちイラッとくる野郎だぜ」
そう答えた凌牙君にまたトーマスが吠えている。
ふと璃緒ちゃんの方を見ると笑顔で私に手を振ってくれたので私も小さく振り返した。
「俺は名前がテメェと二人きりでいたって事が気に入らねぇんだよ!」
「それを言うならテメェも璃緒と二人だったじゃねぇか」
凌牙君の言葉にまた胸が騒いだ。
こんな自分が嫉妬深くて嫌になる。
「俺は名前以外の奴を女として見てねぇんだよ!!」
この人はなんて事を言うんだろうか。
先程とは別の意味で心臓がばくばく言って顔から火が出そうになった。
「ケッ!!言っただろう、こいつはこんな奴だってな。俺はもう付き合ってられねぇ。じゃあな」
私を一瞥してそう声をかけた後凌牙君は屋根の下で待つ璃緒ちゃんの元へと足早に向かった。
璃緒ちゃんは凌牙君から傘を受け取ると傘をさし横断歩道の手前まで小走りでやって来て璃緒ちゃんは私達に大きく手を振ってまたお茶でもしましょうと声をかけてくれた。
私もそれに手を振り返し首を縦に振った。
「と、トーマス傘やっぱり持ってなかった?ごめんね」
持っていた傘をトーマスも入れるように傾けタオルでトーマスの顔を拭いた。
するとトーマスはタオルを持っていた私の腕を掴んで空いた手で逃げられぬよう私の腰に腕を回した。
「ど、どう、したの?」
ここは外だからと傘を持った手でなんとかトーマスの胸を押そうとするもトーマスは離れようとしない。
「気にいらねぇ」
「···な、にが?」
トーマスが私の顔をじっと見つめる。
それは睨み付けるというよりは拗ねているように見える。
「あいつに、凌牙の奴なんか言ってただろ。
お前の事で俺が知らなくてあいつが知ってる事があると思うとムカつくんだよ」
トーマスの真っ直ぐな視線に先程考えていたことの小ささに恥ずかしくて堪らなくなる。
こんなにも愛されているというのに不安のようなものをかんじてしまう自分を恥ずかしく思う。
だからこそそれをトーマスに伝えるの事に抵抗がある。
「·········言わなきゃ、だめ?」
「ああ」
私の躊躇いを トーマスは早くしろと視線で訴えてくる。
もう腹を括るしかない。
「·····トーマスと、璃緒ちゃんが、その、絵になるというか、お似合いに見えるなぁって···」
先程トーマスの熱烈な告白を聞いた後に自分のした嫉妬が如何につまらないものなのだと自覚しているのもあって恥ずかしくて顔が熱を帯びていくのを自覚する。
恐る恐るトーマスの方をみれば虚を着かれたような顔をしていた。
「·····なんだ、お前璃緒に妬いてたのか?あいつまだ14だぞ」
「それを言ったらトーマスは17歳で私は20歳じゃない····」
改めてこれを言葉にすれば自身の子供染みた嫉妬心を恥ずかしく思う。
そもそも彼らを14歳と認識していいのかは微妙なところなのだがトーマスは遊馬君や小鳥ちゃん達と同じように凌牙君達と接している。
きっとミハエルと同じように弟や妹感覚で見ているのだろう。
最も凌牙君に対しては対等な友人と見ているように見えるが。
「何を持ってお似合いなのかは知らねぇけど俺がお前を好きでお前が俺を好きでそれじゃ駄目なのか?」
考えこんでいた私にトーマスは自身の想いを言葉にする。
トーマスは今も昔もいつだって私に真っ直ぐな言葉をくれる。
どれだけトーマスに愛されているか自覚しているにも関わらず嫉妬したのは私が自分に自信を持てていないせいだ。
「そもそも好きな奴に別の女とお似合いだって言われた俺の気持ちはどうしてくれるんだろうなぁ?」
言葉では私を責めていてもトーマスの表情は柔らかかった。
私の心なんてバレているのだろう。
私の知らない間にどんどん大人になっていくトーマスが眩しかった。
「·········ごめん、ね」
一言そう謝るとトーマスは私の頭をわしゃわしゃと撫でる。
その荒々しさがとても愛しい。
「取り敢えず行くぞ」
私の手から傘を奪い背中をぽんっと叩いた。
「ヤキモチやきな名前ちゃんにたっぷりとファンサービスしてやらねぇといけねぇからなぁ」
反論の言葉はとても口には出せなかった。
トーマスの言っていることは間違っていないしトーマスに甘やかされたいと思ってしまっているのだから。
「トーマス、·······ありがとう」
「おう」
空は先程よりも雨雲が広がっていて天気の快復は見込めそうになかった
それでも私はその日外れた天気予報に感謝した
そのおかげで今私は二人には小さすぎる傘の中でトーマスの側に寄り添っていられるのだから
きっと今日も素敵な1日になるだろう