おとうさん

昼休みいつものように外に出た私はやっぱりいつもの場所でお弁当を広げていた。

「(トーマスが言ってたのって····確か前にも簡単に妊娠しちゃうって言ってたけど····)」

人と化け猫の間に子供を授かる事が可能だという事実を改めて聞かされてそれを想像してしまった私は動揺した。
それが出来る出来ないという話にではなくトーマスが私に自分の子供を生んでほしいと望んでいることにだろう。

「(自分が親になるだなんて考えたことなった。
それもこんなに早く、トーマスはやはり猫であるからこそそういったことを考えるのが早いのかな)」

出会ってまだそんなに時間も経っていない。
好意を自覚したのも数日前だ。
もっともトーマスは違うらしいが。

「(別にそれが嫌って話じゃないけれど)」

生まれてくる子供はトーマスと同じく化け猫なのだろうか、そもそもトーマスは私と夫婦になりたいと考えているのだろうか、彼に結婚という概念があるのか、というよりも結婚が出来るのか、考えはじめるとどうしようもない不安が頭の中を埋めつくした。

「(···食欲がない)」

私が考えすぎているのかもしれない。
それでも私にとっては大切なことだった。
子供を生むとなれば仕事も休むなり辞めるなりしなければならない。
そうなると普通に病院で診察を受けるのだろうか?
何より両親になんと伝えればいいのか、悩みは永遠に尽きそうにない。

「····」

私は手付かずのままお弁当箱の蓋を閉じた。
どうにも食べる気になれなかったのだ。
それを鞄にしまおうとしたその時、なにか柔かなものが私の脹ら脛にあたった。

「あっ···」

足元を確認すると私を見上げてて可愛らしく鳴いた、一匹の猫、その猫はなにやら変わった仮面を付けていた。
そしてその仮面に私は見覚えがある。

「····もしかして、····トーマスのお父さん?」

その場にしゃがんで顔を覗くとその猫は笑うように目を細めた後人の姿に変わった。
私は驚いて周りをキョロキョロと見回した。

「大丈夫、ここには君と僕しかいないから」

やはり彼は以前会った男の子だった。
つまりはトーマスのお父さんということだ。
何事もなかったかのようにそう言ってベンチに座った。

「今日は名前と話がしたくて来たんだ、座りなよ」

トーマスのお父さんは私に座る事を促した。
断る理由はとくに見当たらないので私は黙ってそれに従った。
そんな私を見て彼は再びにこりと目を細めた。

「久しぶり、という程でもないけれど、自己紹介をするね。
僕はバイロン·アークライト、でも今はわけあって名前を変えていてね、トーマス、僕の息子達にもトロンと呼ばせているから君もそう呼んでくれるかい?」

トーマスのお父さん、トロンさんはそう言って私に手を差し出した。
名前を変えるだなんて一体どんな事情があるのかと気にはなったが取り敢えず私は頷いてその手を握った。
トロンさんはにこやかに私の手を握り返す。

「えっと、あ、私は···」

「大丈夫だよ、全部知ってる。
トーマスが迷惑をかけているね」

私の情報はどこまで知られているのだろうか。
考え始めるとそれを知るのがなんだか怖くなってしまったのであえて追及はしなかった。

「トーマスってね、口が悪かったり短気だったりするんだけれど、根は凄く優しい子なんだよ」

だから許してあげて、だなんてトロンさんは言った。
寧ろ私は彼の気が短い所なんて知らない。
もしかしたら我慢させているのだろうか、そう考えて気持ちが少し沈んだ。

「名前、君ってすごく分かりやすい子だね」

「え?」

トロンさんはそう言って私の頭を撫でた。
優しい笑顔は見た目が子供なんて事を忘れさせるくらい優しく頼りがあるように見えた。
その目はまるで父のようだと思った。
それはやはりトロンさんもトーマスの父だからなのだろうか。

「トーマスは君にそんな顔をさせるくらい愛されているんだね。
あの子の親としては嬉しい限りだ。
····君が良い子だって事は僕もよく知っているから、ね」

トロンさんはそう言って私の額にキスをした。
流れるようにおこなわれたそれを拒む事は出来ずに私は受け入れた。
最もそれを後悔などしていないのだが、トーマスにバレたらまた拗ねるかな、なんて考えた私は自惚れているのだろうか。

「····トロンさんも私の事、昔からご存知なのですか?」

トロンさんは緩く微笑んだまま答えようとしない。

「ねぇ、それ食べてないようだけど?」

私の質問には答えるつもりはないようだ。
トロンさんは私が片付けようとしていたお弁当を指指してそう訊ねた。

「えっと····今日は、食欲がなくて····」

「ふぅん、そう···なら僕が貰ってもいい?」

トロンさんの言葉にどうしようかと戸惑った。
自分の夜ご飯にしようとは思っていたがどうせトーマスの分を用意するのだから今これが無くなっても問題はない。
中身が問題なのだ。
初めて恋人の父に出すにはあまりにもお粗末で、なんとも華やかさに欠けるお弁当。
こんなものをどうぞと差し出して良いのだろうかという気持ちが私を躊躇させた。

「なんとなく君が考えていることが分かるけど、僕はそれが欲しいんだ。
駄目かな?」

「····いえ····その、本当に人様にお出しするようなものではないので恐縮なのですが····どうぞ」

結局私はそれをトロンさんに差し出した。
なんとなく拒めない気持ちになったのは私の気が弱いからなのだろうか?
トロンさんはありがとうとお弁当を受け取って早速それを食べ始めた。

「こういう家庭料理って久しぶりだよ。
うん、美味しいよ。ありがとう、名前」

たまご焼きを口にしてそう言ってくれたトロンさんに安堵のため息をついた。
しかしやっぱり普段はこういうものを食べていないのだと知ったのでいつかきちんとしたものを用意したいと考えた。

「何か勘違いしているみたいだね」

「え?」

トロンさんはそう言ってお弁当に入っていた昨日の残りのカボチャの煮物を口に運ぶ。

「妻を亡くしてからうちに女手がないから、手料理なんて長い間食べられてないってだけで別に高級なものばかり食べているというわけではないよ」

トロンさんの妻というとすなわちトーマスのお母さんということになる。
トーマスはお母さんを亡くしていたのだという事実を知ってしまった私は言葉を詰まらせてしまった。

「もう随分前だから僕ももう整理はついているし、トーマス、息子達もすっかり親離れしちゃってるから君がそんな顔をする必要なんてないんだよ」

だから笑って、とトロンさんは柔らかな標準のままお弁当を食べている。
私はまだ大切な人を亡くすという経験をした事がないのでその言葉がトロンさんの虚勢でないかなんて分からない。

「君は本当に分かりやすい子だね。
妻の事は本当に愛していたし一緒にいられて幸せだった。
そんな妻を看取ることが出来たのは幸福なことだったと思ってる。
僕は妻に感謝しているし忘れる積りはないよ。
それはトーマス達も同じだ、それだけあればいい。
だから、ね、君が沈む必要なんてないんだよ。
····お弁当、ごちそうさま。
名前、君の手料理が食べられるトーマスは幸せ者だよ」

トロンさんは優しかった。
ろくに知りもせずに勝手な想像で人に同情のような念を抱く私は失礼な人間だ。
それでもそんな私にこんなにも優しい言葉をかけてくれた。
話していれば分かる、トロンさんはもう私を娘のように感じてくれているのだ。
見た目はどう見ても子供にしか見えないのに、私には私よりずっと大きな大人の男性に見えた。

「私、····トーマスと出会えたこと、本当に幸せです。
ありがとうございます、トロンさんがいなければ今私はこんなに幸せな気持ちを知らずにいたと思います」

トロンさんの私を見る目は本当に優しくて、その父性に溢れた目に私のお父さんの面影を感じた。

「また会いにくるね、トーマスと仲良くしてあげて」

トロンさんは立ち上がり再び私の額に唇を寄せた。
そしてまたね、と一言軽い別れの言葉を口にして再び猫の姿に姿を変え軽やかにこの場をを後にした。
私はその後ろ姿が見えなくなるまで見守った。