「···やはりトーマスにやるには惜しい···本当に良い子に育ったよ」
父がそう言って私の頭を撫でるとトーマスはどういう意味だ、と不満を口にした。
父はそのままの意味だと言い返したのでまたしてもトーマスは不機嫌を露にした。
「···あの、お父さん、···お父さんは、···お父さんも化け猫、ってこと?」
「···ああ、そうだ。
そしてお前と同じ体質を持った人間であるお前の母さんと出会って夫婦になった。
そして生まれたのが名前、お前だ」
私にとって驚愕の真実ではあったが何となく付に落ちた。
母が猫を避けはしていたものの動物を嫌っているようには思えなかったのだ。
母のハンカチや小物に猫が描かれているものもちらほら見かけていたから猫もそもそも好いているのではないかと疑ったこともある。
それでも小さな子供の頃から外で猫を見かける度に私を抱き上げてあからさまに避けるものだからアレルギーか何かなのだろうかと思っていた。
「お父さんとお母さんは、結婚しているの?」
「名前、世界には化け猫だけではなく人ならざる者が沢山存在しているんだ。
その事実はごく一部の人間にしか知られていない。
そしてその存在は人と共存していけるように、人として生きる事を選択する道も用意されている」
父は四つ折りにされた一枚の紙を私に差し出した。
それを受け取り広げてみるとそれは戸籍謄本だった。
だがそこに私の名も母の名も記載されていなかった。
それどころか父の家族の名前すらそこには存在していない。
「これは私が結婚する前のものだ。
私がお前の母さんと、人として生きることを選んだその日、私は化け猫である父や弟、トーマス達とは完全に他人になった。
全く別の新しい人生をスタートしたんだ」
「···お母さんと一緒にいる為に、全部捨てなければならなかったの?」
それは戸籍を新しくしたようなものなのだろうか。
私だって結婚してしまえばお父さんの戸籍から抜ける。
それでもなんだか、それは寂しいことに思える。
父はいつかこの事を私に話すつもりでこれを持っていたのだろうか。
「捨ててなんていないさ。
現にこうしてトーマスと対面している。
たまに父に連絡をとることもある。
父から聞いたよ、色々とびっくりしただろう?」
トロンさんがトーマスのお父さんだと聞いた時は確かに驚いた。
それでもそれを案外あっさりと受け入れられたのはトーマスが化け猫という稀な存在だったからなのだろうと思っている。
「···じゃ、じゃあ····トーマスはお父さんの弟ってことは、私の叔父さんになっちゃうけど、その、私とトーマスって、けっ、けっ····こん、って····」
全て言い終える前に後ろからトーマスに抱きしめられた。
振り返って顔を確認すればトーマスは上機嫌だと言わんばかりの笑顔だ。
そして今度は父が大きくため息をついた。
「猫にとって親兄弟とかあまり関係ないって言ったろ?
その特殊性に加え俺が名前と生きる事を選んだ時点で俺は兄貴とは他人の人生を送ることになる。
まぁそもそも兄貴が結婚した時点でもう他人になってんだけどな」
トーマスはにこにこ笑いながら父の前だというのに私の頬にキスをするものだから私は慌ててトーマスを引き剥がした。
「お前のような奴が理性を保って一人の男として名前を守っていけるか疑問だがな。
名前、お前はまだ若いからゆっくり考えなさい」
「はぁ?お前の可愛い可愛い娘が俺を選んだんだ。
可愛い娘の選んだ道を父親のお前が否定するなんてどうかと思うぜ?なぁ、名前?」
トーマスは父の言葉にダメージなど受ける様子もなく私を抱きしめて頬擦りをする。
恥ずかしくもあるが可愛いと思ってしまうのは惚れた弱みというものなのだろうか。
それにしてもこんなに感情的になる父を私は初めて見た。
そんな父の一面を見られたのはトーマスのおかげだ。
私は今日また父を好きになれた。
「お父さん、···結婚とかは、まだもう少し先の話だけど、私トーマスの事大好きだから、今は一緒にいたいって思っています」
だから一緒にいることを許してください、と頭を下げた。
トーマスは後ろで明日籍を入れてもいいなんて言っているがさすがにそれは早急すぎると聞き流した。
「···嫌になったらいつでも追い出していい、帰ってきて構わない。
···今日は突然訪ねて悪かった。
今度母さんと一緒に来るから、ゆっくり休みなさい」
父はそう言って立ち上がった。
玄関先まで見送ると最後にもう一度頭を撫でてくれた。
なんだか凄く気恥ずかしい気分になるのはそれだけ私が大人になったからなのだろうか。
そして父はだめ押しだと言わんばかりにトーマスに私はまだお前にはやっていない、と釘を刺して私の家を後にした。
時刻は既に0時を過ぎていた。
「···ねぇ、ちょっとだけお散歩したいな」
トーマスにそうお願いするとトーマスは優しく笑う。
「取り敢えずなんか腹に入れてからな」
トーマスにそう言われた直後私の胃袋が空腹を訴え鳴いた。
私はそれが妙に可笑しくてお腹を抱えて笑った。
「何買ってきてくれたの?」
「取り敢えず簡単に食えるもの適当に、お握りとかパンとか、あと冷凍のグラタンとか保管効くもの買ってきた」
トーマスはがさがさとビニール袋からそれを取り出していく。
冷凍のものが溶けかかっていたので急いでそれらを冷凍庫にしまった。
「おにぎりおっきいね?」
「ん、うまそうだったしエネルギー高そうだったから」
所謂爆弾おにぎりという具が沢山入ったずっしりとしたそれを手に取り笑った。
女の子に、しかも深夜に食べさせるものとは思えないチョイスだ。
それでもトーマスの気持ちが嬉しくて今日くらいは良いか、と思いそれの封を開け口に運んだ。
噛む度に味の濃いしっかりとした味付けのそれは私の食欲を増幅させていく。
「悪くないけどやっぱり俺は名前が握ってくれたおにぎりの方が好きだ」
トーマスも同じものを食べていた。
以前彼に出したものはただの塩おにぎりだったにも関わらずそう言ってくれる彼の優しさに心が満たされていく。
「私はトーマスが私の為に買ってきてくれたおにぎり、凄く美味しいって思うから、だから今度一緒におにぎり握ろっか。
何処か空気の美味しい所に行って一緒にそれを食べよう。
トーマスが握ったおにぎりは全部私が食べるからね」
「なら10個作るから全部食えよ?
腹が膨れて動けなくなったら俺が抱えて家まで連れて帰ってやるから」
「さすがに10個は無理だよ」
トーマスとしたいことが沢山ある。
行きたい所が沢山。
でもきっと一緒にいられたら何処だろうが何をしようが幸せなのだと思う。
私は心底彼を好きになったらしい。
彼が私の最初で最後の恋人になるといいな、そんな事を考えながらおにぎりを食べた。