新たな出会い

「なんだか緊張する」

私は自分の日常とは全く無縁の場所に立っていた。
それには理由がある。
今日仕事に必要なものを忘れてしまったので届けてほしい、とトーマスに頼まれたからだ。

覚悟を決めそこへ足を踏み入れ警備員に声をかけた。
トーマスが話をつけてくれていたようで私はすぐに通された。

静かな通路を通って教えられた部屋の扉を開けると中はそれなりに賑やかだった。
キョロキョロと室内を見渡すとトーマスの姿を見つける事が出来た。
彼はとても綺麗な女の子と親しげに話していた。

今日トーマスがデザインした服の撮影が行われる、その為にスタジオにトーマスも呼ばれたらしい。

「(あらためて見るとやっぱりトーマスは凄くかっこいいんだよね)」

トーマスと並んで立っている女の子の着ている服に見覚えがある。
あれはトーマスがデザインしたものだ。
ということは彼女はモデルなのだろう。

「(トーマスは私の為に服をデザインする仕事についたと言っていたけれど、やっぱり綺麗な人が着ている方がその服は輝いて見える)」

私は彼女に嫉妬しているようだ。
私はトーマスが他の女の子と一緒にいるところなど見た事がやかったから、そんな感情を抱いたのは今日が初めてだった。


「名前!」

考え込んでしまっていたその時、トーマスに名を呼ばれた。
トーマスは急いで私の側まで来ていつもの優しい笑顔を私に向ける。

既に見慣れている筈のそれが今日はとても刺激的なものに見えて私は彼から目を逸らしてしまった。

「ねぇIV、そちらの女性が貴方の大切な女性なのでしょう?
私には紹介していただけませんの?」

すると先程の女の子がトーマスにそう言った。
フォー、と呼んだ、それはトーマスのあだ名か何かなのだろうか?
私から挨拶すべきなのだろうかと不安に思いトーマスを見るとうんざりしたような顔でその女の子を見た。
真意は分からずとも二人がそれなりに気の知れた仲であることが想像出来た。

「悪い、名前、場所を変える」

トーマスは私の背を軽く押して女の子にもおそらく着いてくるように、と目配せをした。
そして私達はスタジオからそう離れていない個室に入った。
扉には[IV様控え室]と書かれていたのでおそらくトーマスにあてられた部屋なのだろう。
中にはトーマスのコートか掛けられていた。

「名前、今日は迷惑を掛けて悪かった、ありがとうな」

トーマスにそう言われて慌てて頼まれていた彼の忘れ物を差し出した。
トーマスはそれをすぐに確認してデスクの上に置いた。

「別に紹介なんざしたくはねぇんだが、しておかねぇと後々面倒な事になるのは目に見えてるから一応紹介しておく。
神代璃緒、うちのブランドのモデルをやっている奴だ」

「貴方自社の広告塔に向かってなんて口振りを致しますの?
···まぁ貴方のことなんて構いませんわ。
初めまして、IVから貴方の話は沢山聞いておりますわ。
宜しければ仲良くしてくださいね」

神代璃緒さんはそう言って私に手を差し出したのでその手を握り返した。
やはり彼女はプロのモデルだった。
彼女はとても可愛い、でもそれだけでばなくどこか色っぽい。
見た目の年齢は私より若く見えるがその表情や仕草、物腰は私よりもずっと大人びて見えた。

「ああ、因みにIVっていうのは俺の仕事上の名前だ」

「あら、貴方大切なパートナーにそんな事も言っていなかったの?
秘め事は女性を不安にさせる元ですから、少しお勉強なさった方がよろしくてよ」

神代さんはトーマスをからかうようにそう言った。
二人の話の内容になんの甘さも感じられないにも関わらずなんだか不安を感じてしまっているのは彼女の言うようにトーマスが私にそれを教えてくれていなかったせいなのだろうか。

「てめぇにそんな事言われる筋合いはねぇよ。
名前、俺は死ぬまでお前以外を愛する事はない。
だからこの女の戯れ言に惑わされないでくれ」

「まぁ、なんて言い種でしょう。
名前さん、貴方本当にこんな男でよろしいのですか?」

トーマスが恥じらうことなく口にした言葉に顔が熱くなった。
その言葉を聞いても神代さんの態度は変わらない。
どうやら二人は所謂悪友、といった関係らしい。

「ったく、だから狐は嫌なんだよ!
すぐに人を拐かす」

「あら、すぐに人をたぶらかす猫にそんな事を言われる筋合いはありませんわ」

トーマスが言った言葉はどういう意味なのだろうか。
狐、と言った。
それはまさか···トーマスの顔を見ると心底うんざりした顔で先程口にした言葉の意味を教えてくれた。

「こいつも俺と同じ、異形の存在なんだよ。」

「化け猫風情と同じにしないでいただけます?
名前さん、あらためて名乗らせていただきますわ。
私は神の眷族の狐、人間としての名は神代璃緒と申します。
人間には銀狐の名の方が有名かもしれません。
そして私には双子の、対の兄がおりますの。
そちらは神代凌牙、金狐と申します」

璃緒さんはそう言ってもう一度丁寧に挨拶をしてくれた。
私は彼女が神の使いだもいう予想だにしていなかった彼女の告白にしどろもどろになりながら言葉を返し頭を下げた。

「別に名前がそんなに慌てる必要なんてねぇよ。
偉そうな肩書きがあろうがバカみたいに長生きしてるただの化け狐なんだからよお」

「貴方本当にそのうちバチがあたりますわよ。
まぁ貴方のことなんてどうでも良いのです。
名前さん、私貴方とお近づきになりたいのですわ」

彼女はそう言って私の手を両手で包み込んだ。
覗き込まれたその目は先程よりもずっと色っぽく魅力的で、吸い込まれてしまいそうだと感じた。

「あ、えっ、あ、あのっ···!」

「言ってる傍からじゃねぇか!
てめぇ名前を拐かしてんじゃねぇよ!!」

トーマスは私を彼女から強引に引き剥がし彼女を見られないように顔を自身の胸に押し付けるように抱き締めた。

「失礼ですわね。
私はただお友達になってくださいとお願いしただけですわ」

彼女の言葉に私を抑えつける腕に力が込められた。

「名前は俺がやっとの思いで手に入れたんだ。
狐ごときにやらねぇよ」

「貴方のその異常な執着、気を付けないといつかそれを手離すことに繋がりかねましてよ」

彼女の言葉にトーマスの心臓が大きく鳴った。
そしてその鼓動はどんどん速くなっていく。

「俺達はもう死ぬまで離れる気はねぇよ。
部外者が余計な事言ってんじゃねぇよ」

トーマスは彼女の言葉に分かりやすく動揺している。
神代さんの方はどういった意図でそれを言ったのかは分からない。
振り返ってみてもトーマスに睨み付けられている彼女は顔色1つ変えずにゆるく笑みを浮かべたままだ。

私はどうしていいか分からずに何も言えずにいるとコンコン、とドアをノックする音が聞こえた。

『IVさん、少し宜しいですか?』

外からかけられた声に小さく舌打ちをしたトーマスは神代さんに余計な事をするなよ、と念押しして部屋を出た。
私は彼女と二人きりになってしまった。


「取り敢えず座りましょう。
インスタントで申し訳ないですけれどお茶を入れますわ」

神代さんは先程の挑発するような笑みではなく柔らかな笑顔で私にそう言った。
おそらく控え室に備え付けられているのであろう紅茶のパックをコップに入れポットからお湯を注いだ。

「このスタジオの控え室はみんな同じように備品が設置されておりますの。
ですから彼の部屋に入りびったっているというわけではございませんので、誤解なさらないで下さいね」

そう言って私にコップを差し出した。

「あ、ありがとうございます」

私はそれを受け取り彼女が椅子に座ったのを見届けてから同じように席についた。

「私の事は是非名前でお呼びください。
貴方と親しくなりたいと望んでおります私にはそのほうが都合が良いので」

まばたきをする度に長い睫毛がぱさりと羽ばたいているように見えた。
同性の私ですらこんなに魅了されてしまうのは彼女が神に近い存在だからなのだろうか。

「···あの、どうして···私なんか、と···」

口から出た言葉は随分自分自身を卑下した言葉だった。
失言をしたと焦ってそれ以上言葉を発することが出来なくなってしまった私を彼女は見ている。

「一番は好奇心ですわ。
私あの方とはそれなりの付き合いですの、勿論ビジネス上ですが。
彼が名前さんの事を随分前からお慕いしていた事はご存知ですわよね?
私はずっと兄と、凌牙と二人きりで生きて参りました。
ですから恋というものを知りません。
それも自分とは違う種族との。」

あの方、とはトーマスの事だろう。
一体トーマスは彼女にどんな話をしたのだろうか。

「詳しい事は存じておりません。寧ろ隠そうとしていましたから。
彼がとても独占欲が高いのはおそらく当事者である名前さんはよくご存知だと思います。
それでも隠しきれないのです。
彼は化け猫、本質的に本能に忠実な生き物ですから。
我々狐よりもずっと」

神代···璃緒さんはそう言って紅茶に口を付けた。
そんな日常の一コマでしかない姿にも見とれてしまう。
トーマスはこんなに素敵な女性が傍にいるというのになぜ私を選んだのだろう。

「名前さんは随分自己評価の低いお方なようで···申し訳ありません、失言でしたわね」

璃緒さんは立ち上がり私の隣に座り直した。
そして私の手を握る。
近くで見ると本当に陶器のように美しい肌をしている。

「私、人より長く生きている分色んな人間を見てまいりましたわ。
欲深い人間や悪人と呼ばれる存在も。
凌牙、私の兄はそのような人間を忌み嫌っておりますが、私はそんな人間も完全には嫌う事は出来ませんの。
私達、彼や異形の者達はやはり動物に近いのです。
だからこそ感情1つで私達が想像もつかないような事をしてしまう人間達が愛しくすら思う時もあるのです。
···きっと私は人間が好きなのでしょうね」

璃緒さんは流れるような仕草で私の手にキスをした。
私はそれがあまりに自然に行われた為反応することが出来なかった。

「私が人間に正体を明かしたのは随分久方ぶりの事ですわ。
それが出来たのは貴方が彼の伴侶にお成りになるおかげですわ。
私は我らが主である神に誓って貴方に不誠実な事は致しません。
ですからどうか、お友達になってくださりますか?」

私は目の前の彼女の話をしっかりと聞けていたのだろうか。
ただその存在に魅とれていたように思う。
何も考えられなくなっていたのだ。
それでも私は気づけば首を縦に振っていた。

「ありがとうございます、どうぞこれから宜しくお願いします」

最後に彼女が見せてくれた笑顔は外見の年齢相応の可愛らしい笑顔だった。
一体彼女はどれ程人を魅了するソレを持っているのだろうか。

そしてその数分後戻ってきたトーマスは私達を見て眉間にシワを刻んだ。

「だから狐は気に入らねぇんだ。
おい、璃緒!こいつの全ては俺のモノだ。
100歩譲ってお前が名前と友人になりたいと言うのならそれは許してやる。
だが名前の身体に唇を寄せて良いのは俺だけだ」

トーマスは私を抱き寄せ後頭部を掴んで璃緒さんの目の前で私にキスをした。
予想だにしていなかった私は抵抗する余裕もなかった。
人前でそんな事をしてしまった事が恥ずかしくて一気に顔に熱が集まってしまった。

「っ、トーマス!!」

不満を彼に伝えようと胸を叩けば彼は此方を見つめる。
怒ろうと思っていたのにまるで捨てないで、と不安に怯える子猫のような顔をしていたものだから私は何も言えなくなってしまった。

「まったく···余裕がない男は嫌われますわよ。
名前さん、私はそろそろ失礼致しますわ。
お会い出来て嬉しかったです。
こちらは私の連絡先ですので、今日のお詫びに近いうちに美味しいケーキでもご馳走させてくださいね」

璃緒さんは私にメモを渡して部屋から出て行った。
私は受け取ったそれを取り敢えずポケットにしまった。
トーマスは相変わらず私に抱き付いている。



「···ねぇ、トーマス。
今日は夕方にはお仕事終わるって言ってたよね?
だったら折角だから少しデートしない?」

「···デート?」

「そう、私トーマスとちょっとだけ寄り道したいなって。
トーマスのお仕事が終わるまで近くで適当に時間潰してるから、ね?」

彼の背に手を回し撫でてあげるとこっちが良い、と言わんばかりに頭を下げたので頭を優しく撫でた。
トーマスは私の肩にすりすりと顔を擦り付けた。

「···出来る限り早く行くから、デートする」

トーマスは璃緒さんとは違う意味で表情豊かだ。
こちらがドキリとする程妖艶である時もあるが基本的には子供のように無邪気な表情を見せてくれる。
今日気付いたのだ、そんな表情はおそらく私やトロンさんの前でしかしないのだと。
気が知れているであろう璃緒さんの前ではトーマスはこんな顔をしなかった。

「ありがとう、お仕事頑張ってね」

「ん···」

最後にもう一度キスをして一旦私達は別れた。
璃緒さんは信じられない程魅力的な女性だった。
トーマスの言っていた拐かすという言葉に納得してしまう程に。
もしタイミングが違えば私は彼女の魅力に骨抜きにされてしまっていたかもしれない。

そうならなかったのはきっと既にトーマスに骨の髄まで魅了されてしまっていた、からなのかもしれない。