「名前、名前」
つい先程眠りについたばかりだというのにその眠りは深くなる前に現実に戻される。
「どうしたの?」
私を眠りから覚まさせた張本人に閉じそうになる目蓋を擦りながらそう訊ねれば彼は私を不安げな目で見つめている。
「····名前が他の奴を好きになる夢を見たんだ」
それが怖かったと目を滲ませて言った。
「おいで」
夢に怯える彼を胸に閉じ込めれば彼は益々泣いた。
これで何度目だろうか。
「なんで、」
背中に回された手の指先が私の背の肉を抉る。
きっとまた傷が出来てしまうだろう。
私の背中は彼の爪痕で既に傷だらけになっていた。
「どうしたの?」
優しく声をかけるも彼はその手の力を緩めない。
骨が軋むほどに強く強く抱き締められる。
「····俺のこと、好き?」
毎日のように繰り返されるその問答。
私はいつも決められた言葉を口にする。
まるでテープレコーダーにでもなった気分だ。
「勿論大好きだよ」
彼は私の胸から顔をあげ涙をいっぱい溜めた瞳を此方に向ける。
「なんで俺が聞くまで言ってくれないんだ」
そう声をあらげてまばたきを一回。
大粒の涙が彼の頬を濡らしてゆく。
「だって私が言う前にトーマスが聞くんだもの」
そう言って指で彼の涙を拭ってやれば彼は益々泣きだしてしまった。
これと同じやり取りはつい先程、私が眠りにつく前にも同じように行われていたことだった。
「名前がもっと言ってくれてたら俺は聞かない」
何に怯えているのか分からない。
私が誰を好きになれるというのだろうか。
私は外に出ることすら許されていないというのに。
いっそ言ってしまおうか。
「なら私をここから出して?」
私がそう口にすれば彼はたかが外れたように泣きだした。
こうなることも分かっていた。
それでも眠ることも満足にさせてもらえない日々に精神的にも疲れてきていた。
「ごめんね、嘘だよ」
狂ったように頭を壁に叩きつける彼を背中から抱き締めてあげれば再び弱々しく私の膝に顔を押し付けて泣いた。
「やっぱり、名前は俺が嫌いなんだ····俺はこんなに名前を愛しているのに」
パジャマのズボンが彼の涙で濡れて冷たくなっていく。
慰めるように彼の頭を撫でれば彼は私の手を掴んでそのままベッドに押し倒した。
「愛してる、名前、本当に愛しているんだ····」
そのまま唇を押し付けられる。
泣きじゃくった彼の唇はしょっぱかった。
荒々しく口内を荒らす舌から逃げることもせずにそれを受け入れる。
抵抗する気等ないのに彼は私の両腕を強く抑えつける。
彼が動く度に静かな部屋にカチャカチャと耳障りな音が鳴り響く。
「俺の事好きだって、愛してるって言えよ」
このやり取りに果たして意味があるのだろうか。
それでもまた暴れられては面倒だと指示された台詞を口にする。
「トーマス好きよ、愛してる」
その自ら言わせた言葉に彼は満足げな笑みを浮かべ私の身体を余すことなく貪りつくす。
なぜ彼はこんなに私を求めているのかはわからない。
ある日当然彼に話しかけられた。
そして次に会った時には私はここにいた。
訳がわからないままにずっと好きだったと彼に告げられた。
プロデュエリストとしての彼を知ってはいた。
そんな有名人である彼が何故ただの一般人にすぎない私をこんなに求めているのかはまるで分からなかった。
何も分からなかったが手足に付けられた金属のそれがカチャカチャと囁きかけた。
お前はもう逃げられないよ、と。
不快だった、気持ち悪くて吐き気がした。
下手をすれば殺されるかもしれないということを危惧して抵抗をしなければ彼はゾッとするほど優しく私を抱いた。
それがどうしようもなく不快だった。
彼は決して私を乱暴に扱わなかった。
時折こうして情緒不安定になってしまうけれど本当に宝物を扱うように接してくれた。
その姿はまるで子供のようだった。
それでも優しく優しくされているうちに恐怖はさほど感じなくなっていた。
普通に出会って彼と接していればとっくに好きになっていたかもしれないとすら思う程に。
「痛くないか?」
丁寧すぎるほどに解されたそこに彼自身が侵入する。
そんな彼に触れられて感じてしまう自分の身体に心底嫌気が差してしまう。
「大丈夫だよ」
早く終われ、もっとして、心の中で正反対の感情がぶつかり合う。
悲しい憎い苦しい痛い
今度は私が涙を流した。
それを彼が優しく指で拭った。
「大丈夫だ、俺は名前しか見ていない」
慰めるように目尻にキスをする彼に心が砕けそうになった。
私が今こんなに苦しんでいるのは目の前の彼のせいなのに。
どうして、なぜ私はこんな事を思ってしまうのだろう。
彼をただただ好きになりたかった。
きっとその願いはもう叶うことはないだろう。
ねぇ、どうして普通に私と出会って友人になって、告白してくれなかったの?
どうして私に貴方に恋をさせてくれなかったの?
「俺が18になったら結婚しよう」
なぜそれをこんなに寒くて何もない部屋で言うの?
胸が張り裂けそうになった。
この優しい地獄はいつ終わりを迎えるのだろうか。
きっと貴方は私の事など永遠に見てはくれないのでしょうね