醜く育った恋心

私は決まって胸を締め付けられる瞬間がある。
それは酷く子供染みた感情によるものと呼べるかもしれない。
私は彼より歳上でもう子供ではない。
働いて自身の給料で生活を送っている私はそれを嫌という程理解している。

それでもその感情を操作出来る程の器用さを私は持ち合わせていなかった。


「····ねぇ、その···この週末は忙し、い、かな?」

「あー···悪い、今週は凌牙と、璃緒と、ちょっと予定が入ってる」

「····そっか、うん、分かった」

いつからだろうか、ただ友人の予定を確認することに緊張するようになったのは。
いつからだろうか、凌牙君とトーマスが会う時当然のようにそこに璃緒ちゃがいるようになったのか。
いつからだろうか、トーマスが私の誘いを断るようになったのは。
いつからだろうか、トーマスがこんなにも穏やかに笑うようになったのは。

それはとても喜ばしいことだ。
苦しんで歪んで傷付いた彼が今こんなにも柔らかな表情を見せるようになった。
それは明らかに以前より彼が幸せであることを物語っている。

なのにそれを受け入れられない私はなんなのだろうか。


「····もう、私、必要ないかな」


胸の中に芽生えたそのどす黒い感情は私の中で大人しく留まることを拒んだ。
口から出たそれは私をとても惨めにさせた。

すぐに我に帰って慌てて口を塞ぐも一度口から出た言葉が消えることはない、その行為になんの意味もなかった。

自らがしでかした失態に私の心臓の鼓動が大きく鳴った。

顔を見ずともトーマスの視線が私に向けられているのが分かる。
私はその向けられた視線と目を交わす勇気が出なかった。

「ごめん、なんでもない····トーマスや凌牙君達が仲良しなのちょっと妬き餅やいちゃった。
ほんと、子供みたいで嫌になる」

「おい」

自身の醜い嫉妬心を誤魔化そうとすればなんとも早口になった。
そこでも敢えて璃緒ちゃんの名前を口にしなかった自分はやはり嫉妬に狂っているのだろう。
動揺を隠しきれていないことがとても恥ずかしい。

「名前が何考えてるかちゃんと聞かせろ」

トーマスは私を責めているわけではない。
口調は強くとも声色はとても穏やかだ、だから分かる。
トーマスは私にとても優しい、それに何度私が自惚れてしまっただろうか。
何度勘違いしただろうか。

私が彼にとって特別な存在であるのだと。

「·····っ」

恐る恐るトーマスの顔を見た。
普段は気にも止めない、考えないようにしている事が私の嫉妬心を煽った。
彼の顔に大きくついた傷痕。
トーマスと璃緒ちゃんを深く繋ぐようについたその傷痕に二人を結ぶ間に私が入る隙なんてないのだと言われているような気がした。

我ながらなんて嫌な女だろうとそんな事を考える自分に嫌気が差して目を閉じようとすればトーマスが私の顔を掴んでぐいっと顔を近付けた。
私はそれに驚いて閉じようとしていた目を見開いた。

真っ直ぐにぶつけられる視線、嫌でも視界に入る傷痕、それは私を責め立てているようで目頭が熱くなった。

そしてトーマスはほんの少し悲しい目をした。
それを振り切ろうとするようにゆっくりと一度瞬きをしてトーマスはしっかりと私を見据える。


「····俺の事、視界に入れるのも嫌なくらい嫌いなのか?」

語尾が少し震えていた。
彼が傷付いているということがわかる。
傷付けたのが私だということも分かっている。

私は今大切な友人を傷付けている。
嫉妬心という至極身勝手な感情で。

私がトーマスの側にいればこれからもこうして彼を傷付け続けるのだろうか?
彼が私を友人として大切にしてくれていることは知っている。
その気持ちを裏切って私はこれからも彼が愛想を尽かすその日まで彼を傷付け続けるのだろうか?

それはとても悲しい。
私はただトーマスが好きなだけなのに。

それならば今全てをぶつけてしまいもう終わりにした方が良いのではないか。
明日からもうトーマスが側にいないかもしれない、そう考えるととても名残惜しい。
それでも覚悟を決めた。


「·····あのね、·····私、とても嫌な人間なの」

私はトーマスの頬に触れた。
優しく彼の顔に出来た傷痕を指でなぞった。
彼の表情は変わらない。

「····トーマスが凌牙君·····ううん、璃緒ちゃんと仲良くしていることに·····凄く嫉妬しているの」

ああ、なんて醜いのだろう。
今私はどんな顔をしているだろう。
きっと見るもおぞましい顔をしているに違いない。
嫉妬に溢れたら女の顔はたいそう傲慢で醜いだろう。

「この傷痕も·····きっとトーマスはどんなことがあろうとトーマスの心の中にはずっと璃緒ちゃんがいて····きっと·····」

自分を庇いたい、私は良い友人だと、理解のある人間だと思われたい。
なのに私の心はとても醜い。
それを隠させてくれない、なんて、なんてみっともない。

「····違う、こんな····こんな事が、言いたいわけじゃっ····」

傷付けるくらいなら消えてしまいたいと望んでいる筈なのに私はどこかで嫌われたくないと願っている。
言い訳などしたくないのにそれでも涙と共に口から吐き出される言葉に胸が苦しくなった。

トーマスは依然私を真っ直ぐ見据えている。
だがその目から先程まであった憂いは消えていた。
そしてそれに気付いた直後私は彼に抱き締められた。
何が起こっているのかわからなかった。


「俺はお前が泣いてるのが嫌だ」


彼の胸に顔を押しあてられている私は彼が今どんな顔をしているかわからない。
だがその声色はやはりとても穏やかで優しい。
その声色と同じように優しい手つきで彼は私の頭を撫でた。

慰めるようにされたそれに涙は湧水のように溢れていく。

「····大丈夫、泣いてない」

「泣いてるだろうが」

呆れるでもなく咎めるでもない、優しい優しい声に必死で感情を押し殺す。

「なんで見てないのにそんなことわかるの」

「お前の考えなんてお見通しなんだよ····どんだけ一緒にいると思ってんだ」

知られたくないと強がって出た言葉はとても可愛げのないものだった。
それでもトーマスは責めることなんてせずに私を撫でてくれている。

期待してしまう、その優しさに。


「俺がお前のことで知らないことがあるなんて認めたくねぇ」

自惚れてしまってもいいのだろうか?
期待してもいいのだろうか。


「なんで、そんな····」


お願い、私の期待している言葉が欲しい、そう祈って顔を上げればトーマスは私を抱き締めていた腕を緩めてとても穏やかな顔をしていた。


「俺は誰よりもお前のことを知っていたい、誰よりもお前に俺を知っていてほしい」

「·····そんな···そんなの····」

特別だと言われているようなものだ。
トーマスにとって私は友人以上だというのだろうか?
自分が何より可愛い私は都合の良いことばかりが頭を過る。

「この意味が分からない程お前は俺の事を知らないって言うのか?」

「そ····んなの、言ってくれなきゃ、わかんない···」

はっきりとした言葉か欲しい。
確信が欲しい。

「なら言わせろ、泣きべそかいたその顔も笑ってる顔も全部俺に見せろ」

「····意地悪なのは変わらないんだね」

一番欲しい言葉がある。
きっとトーマスも私の望んでいる言葉が何なのか理解している。

「ああ、でもお前が望むならいくらでも変わってやるよ」

「····そんなことしなくていい···意地悪なトーマスでいい」

それでもトーマスが私を側にいる事を許してくれるというのであれば私はその言葉が貰えなくても構わない。
そんな風に思い始めたその時。


「そうか·····名前、好きだ、愛している」


トーマスはやっぱり意地悪だった。
諦めかけた次の瞬間私の望んでいた言葉をくれたのだから。

私の気持ちなんてきっととっくにバレていたのだろう。
トーマスは私の返事など待つ事もせずに私にキスをした。

「···ははっ···しょっぱいな」

再び私を抱き締めたその腕は先程より力が込められていてその強さがとても心地よく感じられた。
彼の胸から伝わる心音が普通より速く聴こえた。
これは私の自惚れかもしれないのだがとても幸せに感じられた。

「···この傷痕がお前を傷付けたことは悪いと思ってる。
でも俺はこれからもずっと自分のやった事を忘れない、忘れてはいけないと思ってる」

「····うん·····ごめんなさい」

先程と同じように私の頭を撫でる彼は自分自身にも言い聞かせているように思えた。

「遠回りをしてしまった、あいつらにとって最悪の思い出になってしまったことは理解している。
それでも俺は今あいつら兄妹となんやかんや良い友人として付き合えている事を幸せだと思ってる、···璃緒は俺にとって良い友人の一人だ」

お前とは違う、そう耳元で囁かれた声はとても甘いものだった。

「····トーマスを好きになって自分がこんなにも醜いものだということを知ったの」

嫉妬心に駆られた私はなんて醜いのだろう。
人を好きになることがこんなにも人を醜くするだなんて知らなかった。
トーマスもこんな感情を璃緒ちゃんに抱いているのだろうか、私にそれを向けてくれたら、なんてことも何度も考えた。

「俺はお前が醜いだなんて思わない」

そう言ってトーマスは私の耳に唇を寄せた。
たまらず身震いを起こせばトーマスは喉を震わせた。


「名前の中で俺は随分綺麗なものに見えているようだが····俺は名前が思うよりずっと汚れた人間だ」

再び口を塞がれた。
今度は先程よりもしっかりと、角度を変えて何度も私の唇を啄んだ。

「俺はお前以上に嫉妬深い、お前が俺に抱いた感情よりずっと汚い感情を何度も胸に抱いた。
想像の中で何度お前を汚したかなんて、数えるのもおぞましい」

肩を抱く手に力がこもる。
それは痛いくらいだ、けれどとても気持ちがいいものだった。


「なぁ····そんな俺も捨てないって、誓えるか?」


ギリギリと肩が軋んだ。
痣になるかもしれないと考えた。


「捨ててっていっても逃がさない、ずっと···ずっと側にいて」


トーマスの歓びに満ちた笑顔はとても綺麗だった。

それが正しい感覚だったかはわからない。


それでも私達は幸せだから、そこに正解や間違いなんて定義は必要ない

きっと今夜私は眠ることが出来ないだろう

私はこれからも彼を愛する事を許された

きっと今日は私にとって最も幸せな日になっただろう